彼方からの告白
 
 
 
 
 
自分たちがいない間に、アルコールとサキイカとおっさんのニオイが、
部屋中に充満していると知ったら、ちみっこども…きっと怒り狂うだろうな…。
 
「番人になったボーヤにしっつもーん」
 
「…なんスか」
 
なんスか、俺は見てのとおり昼メシの準備で忙しいんスよ。
だいたいなんでアンタら当然のように朝メシ食いにきたと思ったら、そのままウチで朝っぱらから酒盛り始めたあげく、まったりゴロゴロ我が家のよーにくつろいでるんッすか!
…を省略した「なんスか」
全部言ってやりたいのは山々だけども、そろそろ遊びに行ってるちみっこ達の腹が減る頃だ。
とりあえずは昼メシのソーメンを茹でて、天ぷらを揚げて、薬味をきざむのが先だ…ってなんでこの人達の分まで用意してんの俺…。
 
「やっぱ番人も食わなかったら餓死すんの?」
 
背を向けているから見えないが、おつまみのスルメでも噛んでるんだろう、モゴモゴとした声でロッドが言った。
どうやら元同僚のイタリア人は"番人" の生体に興味があるらしい。
不老不死、まあフツー気になるよな。
 
「さあ…?」
 
茹だったソーメンを冷水でザブザブ洗いながら俺は答えにもならない返事をした。確かにちょっと気になる事ではあるが、正直わからない。腹は普通に減るのでためしてみた事がないのだ。
よくよく考えてみれば自分の体ことさえわかってないなんて、番人として問題あるかな…おっと天ぷらもそろそろ油から上げないと。
ロッドも同感らしく、オイオイ緊張感ねーなと失笑している。
 
「まあでも、歳とらない以外はフツーッすよ。髪も伸びるしケガもするし」
 
歳をとらないといっても、20歳からまだ4年しか経っていないのだから、その実感もイマイチないというのが正直なところだ。
キッチンに立つ俺の後ろでは特戦部隊が勢揃いしているが、ロッドか隊長が時々話しかけてくる程度で、今のところ特に害はない。
昨日パプワ島に上陸してから皆ずっと飲みっぱなしだし、さすがに疲れが出てるのかもしれない。
なんといってもこのおっさん達は、俺と違ってあれからも着実に歳くってるわけだし。
ロッドはなるほどフツーね、と納得した様子で続けた。
 
「んじゃあ、これはボーヤにおみやげだ」
 
ロッドらしい足音が近づいてくるが、俺は海老の天ぷらを油からざるに上げていたところだったので、振り返らなかった。
今日は皆おとなしかったから油断していたともいえる。
足音が背後でぴたりと止まると、頭上からロッドの太い腕が降りてきた。
ロッドは二本の腕で俺の頭を挟むようにして、手にしていた雑誌らしきものを俺の目の前でバッと開いた。
その光沢のある紙に印刷されていたのは、金の長いウェーブヘアと白い肌のコントラスト。
青い血管のうかんだ大きな乳房に異様なほどピンク色の乳首。
こちらにむかって惜し気もなく広げられた太もも…
 
「ポルノ・フロム・イッターリア」
 
「うわ、スッゲ…」
 
番人になってからというもの、本物はおろか雑誌のグラビアでさえも女を見る機会がなかった俺は、イタリア製だというそのポルノ雑誌のみひらきに思わず目が釘付けになってしまった。
その瞬間は天ぷらもソーメンもちみっこも、あんなに酷い目に遭わされてきた、"特戦部隊"でさえも忘れてしまっていた。
 
「うおりゃ!!!」
 
いつの間にか背後に近づいていた隊長の、その気合い十分のかけ声を聞いた後ではなにもかもが遅すぎた。
俺のズボンとパンツ…そう、下半身に身につけているエプロン以外の全ての衣服が、なにもかも一緒くたにに膝まで引きずり下ろされた…に違いない。
要するに尻まるだしだ。
下半身にこころもとない涼しさを感じて一気に頭が真っ白になった。
 
「だーーーーーーーッ!!!何すんだっ、あっち!!あちッちょ、あっちィイ離せえええ」
 
俺はパニック状態になり手に持っていた菜箸に、揚げたてアツアツの天ぷらをつまんでいた事を忘れて暴れてしまった。
そのスキにロッドが動くとアブねえとか言いながら俺を後ろから羽交い締めにし、
すかさず隊長が俺の下半身の最後の砦、そうフリルのついたエプロンをめくった。
 
「ハッ!確かになんも変わってねェな!」
 
「うあああああああああああ」
 
かつて俺がロッドの羽交い締めを外せたためしがないし、両腕をとられている俺が隊長の目を塞げるわけもなく、マーカーやGがおいおいやめてやれよなんて言いながら助けてくれるはずもない。
俺はただ情けなく叫んだ。
 
「ただいまー…ギャー!何してんの家政婦!!」
 
「良い大人が尻まるだしとは情けない」
 
その後はもう、食事前にグロ映像はトラウマになるだの、どうせなら秘石にもっとデカくしてもらえだの、それはさんざんに言われ、おまけに鍋にのこったままの天ぷらは揚げ過ぎになってしまった。
 
「はあ…」
 
これでも一応パプワとロタローの保護者を気取っているわけだから、さすがに気分が沈む。
 
「リキッド」
 
このとんでもないお調子者のイタリア人は、なぜか小声で俺を呼ぶと、左手にソーメンの大皿、右手に積み重ねたそばちょこを持って、両手の塞がった俺のズボンの尻に何かをねじこんだ。
 
「ま、とっとけって」
 
語尾にハートマークを付けてそう言い、ついでに俺の腰をポンポンとやさしく叩いて食卓へ戻っていった。
 
 
 
 
 
 
深夜。
ロッドの枕元におかれた高級腕時計の文字盤を覗くとすれば、時刻は午前の2時。
リキッドは子供達を起こさないよう、そっとパプワハウスを出た。
ノースリーブシャツとハーフパンツという寝間着のままで、リキッドは深夜の島をあるく。
月は満月にちかく、急な岩場をおりるのにも苦労はしなかった。
なにより、リキッドはもう何十回と月明かりの下、このコースを通っているのだ。
 
「よっと」
 
崖のように急な岩場が終わり、リキッドのサンダルは白くサラサラとした砂を踏んだ。
そこは真上から見ると直径10メートルほどの半円型をしたビーチで、180度を岩の崖に囲まれ、あとの180度は海が広がっている。
このささやかなビーチに来る為には、先ほどのように急な岩場を降りるか、舟でぐるりと廻ってこなければならない。
そこまでしてこの崖に囲まれた小さな砂浜に来てみても、苦労に見合うだけの特別ななにかは何もない。
それがリキッドにとっては好都合だった。要は、ここはリキッドの隠れ家のようなものだ。
わずかな月明かりさえあれば、リキッドは難なくここへ到着することができるが、今日はとくべつに明るい。
"読書"にはもってこいではないか。
リキッドは砂浜に腰をおろすと、尻のポケットから昼間ロッドにもらったグラビア雑誌を取り出した。
イタリア人であろう豊満な肉体の女性達は、リキッドにとってはドラゴンやツチノコといった伝説上の生き物と同じくらい現実味がない。
硬派という名の男所帯で短い青春時代をすごし、女の子とはほとんど接した事がなかった。
特戦部隊の戦場にはリキッドが抱きしめたくなるような健康的な女の子はいないし、薄給の彼には先輩達のように女を買うこともできない。
そして今現在、番人になってからは女はおろか人間は子供のパプワだけである。
あとはたくさんのナマモノ達。
話相手には困らないし、番人としての島暮らしは楽しいけれど、いささか健全すぎる。
 
「うーん…」
 
本物の女の子の身体をみたこともないのに、こうして写真をみればどこからか欲望が突き上げてくるのだから、本能とはまったく不思議なものだ。
番人になったからといってリキッドの身体は"歳をとらない以外はフツー"なのだから、朝起きれば腹が減っているように、生殖機能もそのまま"フツー"に機能している。
そういった意味でロッドは"永遠の二十歳である"という事をよく掴んでいたといえよう。
リキッドは雑誌をひらいたまま砂浜に置くと、一応すこしだけあたりを見回してから、もぞもぞとハーフパンツを腰まで下げた。
交配の可能性がほとんどゼロの番人…すくなくとも自分に、なぜこんなムダな欲望があるのかと、赤の秘石をうらめしく思うこともあったが、無かったら無かったで戸惑うに違いない。
開いたページのモデルは妖艶すぎるイタリア人女性のなかでは少し幼く、困ったようなブルーの瞳があどけない。
腰は細く、胸まであるブロンドのストレートヘアが健康的でセクシーだ。
リキッドは彼女と決めて、すでに熱のこもり過ぎている20歳の身体を解放すべく、自らをゆっくりとこすり上げた。
恒久的にかわらない波音とは対照的に、リキッドの唇から漏れる息は次第に荒く、速くなっていく。
慣れた行為ではあるものの、今日は興奮の度合いが段違いだった。
この青い目を潤ませたの彼女の肌に本当に触れることができたらどんなにいいだろう。
リキッドは目をつむり、視覚を捨て、普段そうしているようにイメージに頼ることにした。
まぶたの裏の暗闇の劇場に、火がともるように青い両目が浮かび上がる。
その双眸がこちらを向くと内臓がぎゅっと収縮するようなたまらない気持になる。
目のふち取りの、特に下睫毛が長い。それが凄まじい気性と裏腹に妙に優雅で、まるで意外な一面を見てしまった時のようにどきりとする。
その眼差しが自分を見ていると思うだけで、うまく息ができなくなる。
苦しくて、リキッドは肚の底から切なく息をつく。
そんなリキッドを、青い目の男は意地悪く口角をつりあげ、高圧的に笑い、言った。
 
 
(この俺がコタローの為だけにこの島まで来たと、本当にオメーそう思ってンのか?)
 
 
「…!」
 
リキッドはきつくつむっていた目を、これ以上は開かないというほどにがっと見開いた。
自分を慰めていた右手は止まり、驚愕の表情で凍り付く。まるで急に電源が落ちてしまったかのようだ。
しかししばらくすると、パチンと魔法が解けたように、薄いブルーの瞳はおろおろと宙をさまよった。
かと思えば急に電話帳をめくるような忙しさでグラビアページをめくり出し、一気に最後の広告ページまでめくり終えると、リキッドは立てた両膝にひたいをこすりつけて、両手でがばりと頭をかかえた。
人が、動物が、全てが眠っても波は休む事なく打ちよせ続けている。
波音が小さな月の浜辺を支配している。
しばらくの間、リキッドはまるで砂浜の岩かなにかのように動かなかった。
 
「アー…わかんね…」
 
情けなく弱々しい声でそう呟くと、勢いよく顔を上げた。
 
「わっかんねーーーーーーーー!」
 
先ほどとは打ってかわって今度はやけくそに叫び、立ち上がり、海の向こうに何か大事な物でも見つけたかのように全力で駆け出した。
サンダルを履いたままざばざばと黒い海を突き進み、ある程度の深さまで来ると勢いをつけて指の先から夜の海に滑り込んだ。
 
 
鍛えられた身体が疲労しきる為には、かなり長い時間を要した。
泳ぎ疲れたリキッドは、服も髪もぐしょ濡れのまま砂浜に大の字になっていた。
まるで打ち上げられたクラゲのように力なく。背中側は白い砂にまみれているに違いない。
ノースリーブシャツごと濡れた胸だけが、静かに上下している。
その胸のうちで誰にともなく、リキッドは告白した。
確かにこの4年間、隊長を思って自慰をくり返してきました、と。
閉鎖された世界で永遠に生きる道を選んだ自分にとっては、グラビアのイタリア娘も、
ランドのミッキーも、元上司のの鬼隊長も、アマゾン奥地の首狩り族も、触れ合う事のないありとあらゆるものが同列になっていた。
永遠に触れることがないのなら、無いも同然だと気付いた。
過去にそれがどんな大きさの気持ちであったにせよ、リキッドの中でハーレムはすでに過去の、そして二度と自分と重なりあう事のないものになっていた。
だからこそ、安心して思い出に浸ることができた。
思い出をどうにでも使うことができた。けれど、
 
「なんだよ、いまさら」
 
リキッドにとってあの男がこの島に来るなどという事は、映画のスクリーンから本物のティラノザウルスが飛び出すのと同じくらい、ありえない事だった。
かつて夢と魔法の王国にいた自分の首根っこを掴んで、戦争という現実を突きつけたように、リキッドが無意識に目を逸らしていた現実を嗅ぎ付けけて来たようにあの男はやって来た。
いまさら、と呟いてみてもリキッドはその言葉を昨日からもう何百回と反芻している。
 
(愛してんだよ。言わせんな)
 
当然だろうというように、投げてよこしたその言葉を、4年前の俺がどれだけ欲しがっていたかなんて知らないくせに。
過去に埋めてかくした願い事が、亡霊となって今よみがえったのか。
 
 
「迷惑なんだよ」
 
 
薄むらさき色の空に呟いた。もうすぐ、夜が明ける。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
end.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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