リキッドの横顔
 
 
 
 
 
軍用ヘリコプターの開発者には、乗り心地を考慮するという頭はなかったらしい。
強烈な二日酔いを抱えたまま数分後の空挺攻撃を控え、俺は戦場の空に浮かんだブラックホークの中で、吐き気をギリギリの所でこらえていた。
その時になって、初めて気付いた。
空挺部隊と化した特戦部隊を乗せたこのヘリに、見慣れない若者が乗っている事に。俺は朝からグロッキーだったから気付かなかったらしい。
 
「何ジロジロ見てンだよ、オッサン!」
 
オッサン。
まあ、こいつは中学生…いや高校生くらいか?
目の下の傷とそれなりに纏った筋力がイキがって見えるが、声や肌の新芽のような初々しさは隠しようがない。
特戦部隊オリジナルの革の隊服を着ているところを見ると、間違って紛れ込んでしまったわけではないらしいが、白いシャツとハイスクールのエンブレムの入ったブレザーの方がよく似合いそうだ。
 
「ロッド、背負わせてやれ」
 
隊長は地上の位置を確認しながら、オイルライターで煙草に火をつけてそう言い放った。
強気な坊やも、自分が何を背負わされるのか気付いてさすがに青ざめた。
軍用ヘリに詰め込まれてあの台詞を吐けただけでも、ガキにしてはまあ、悪くねえと思うけど。
どうしたもんかと他の隊員を振り返れば、Gは瞑想よろしく腕組みして目を閉じているだけだし、マーカーはかるく肩をすくめてみせただけだ。
隊長が「ロッド」と苛立たしげに急かす。
 
「…イエッサー」
 
上官の命令には何も考える必要がないのが、雇われ軍人の気楽なところだ。
どっしりと重たい軍用パラシュートを背負わせると、余計にその肩は幼く頼りなく見えた。
タヒチの海水のような目が、不安そうに俺を見た。
グッドラック。
戻って来れねえ方が幸せかもな。ああ…それにしても、昨晩は飲み過ぎた。
 
 
 
 
 
 
ある時、特戦部隊に5日ばかりの休暇があった。
Gは祖先の墓を参りに、実に十数年ぶりに故郷ドイツへ帰るとの事で、特に予定のなかった私とロッドはGを送りがてら、ドイツビールでも飲みに行くかという話をしていた。
そしてロッドがいつもの調子で新入りの坊やに言ったのだ。
 
「リキッドちゃんはパパとママに会いに行かなくていいのかい?」
 
小型犬よろしく噛み付くかと思ったが、坊やはふてくされたような口調でひとこと言い捨てただけだった。
 
「親なんかいねーよ」
 
Gは祖国で生きて行く権利を奪われて、もうずいぶんと経つ。
ロッドは隊長と同じで、病的なほどにひとつ所にいられない性格だ。
私も血縁者の顔はずいぶんと昔に忘れてしまった。
聞いた所によるとこのアメリカ小僧は、なぜか日本で隊長に誘拐され、そのまま入隊させられたらしい。
しかし今現在は、何も鎖をつけられて繋がれているわけではない。
逃げ出そうと思えばいつでも逃げられる状況で、すでに1年になる。
たしか隊長がリキッドのふりをして手紙を書いていたので、親がいないというのは嘘かもしれないが、帰る場所がないのは確かかもしれない。
破壊と戦闘だけを生業とする部隊にいる人間には、それなりに理由がある。
それがまだ十代を折り返したばかりの子供ならば、帰れる家に帰らない理由を探す方が難しい。
ちょっとした家出気分で居続けられるほどこの部隊は楽ではないし、事実、未熟な坊やは何度も死にかけ、何度も人間不信、また自己不信に陥っている。
私のまわりにそういった人間が多すぎたせいだろうか、「親がない」と言うその境遇を、私はすこしも疑おうとはしなかった。
育ちの良さが、あの甘ったれた性格にあんなにも顕著に表されていたにもかかわらず。
 
数年後、コタロー様がパプワ島で暴走し、小僧の抜けた特戦部隊が本部へ帰還してから一週間弱。
 
「軍機利用申請書…?一体何に使うんだ」
 
現在ガンマ団は新総帥の就任式を控えて、かなりあわだたしい状況だ。
純粋な戦闘しかできない特戦部隊が出動するような任務は今の所ない。
シンタローが無事に総帥閣下となれば、ガンマ団自体が今後どう展開するかも不透明な状況だ。
そんな時に、Gはもくもくと小型輸送機の利用申請書を書いていた。
一字一字噛みしめるような筆圧の強い文字はいかにもGらしく、軍人の家系らしい、力強くバランスのとれた美しい字だ。
Gが言うには赤の番人になるリキッドに最後に一度だけ、肉親に会う機会が与えられるのだそうだ。
リキッドはGに故郷まで送っていってはもらえないかと頼んだらしい。
Gは率先して新人いびりに参加するタイプではなかったから、小僧にとっては一番信頼できる人間であったに違いない。
親はいないと言っていたが、やはりあれは強がりだったのだろう。
最後の最後には親の顔を見たくなった…か。甘ったれの坊やらしい。
Gは申請書の全ての欄を書き終え、最後にサインを残すだけだ。行き先はアメリカ合衆国、
 
「大統領官邸…?」
 
いち国民で要人でも何でもないただの若造が帰国するのに、大統領官邸に行かなければならない理由はない。
Gは何でもないようにサラサラと自分のサインをすると、ソファから立ち上がった。
 
「待て、G。どういう事だ?」
 
同じフロアでだらだらと酒を飲んでいた隊長とロッドも、なんとなく異変に気付きこちらの様子をうかがっている。
 
「リキッドを家に送り届ける」
 
Gはそれだけ言った。
 
「家って、大統領官邸がか?」
 
自分で言ってみてから、やっと「まさか」という所まで頭が回った。
少し遅れてロッドが口笛を吹いた。…やられた、無意識にそう呟いていた。
大統領の息子だと?逃げようと思えば逃げられた、どころではない。
ほんの一声あげれば、合衆国のSPが飛んできたのではないか。
大統領の息子を拉致、監禁、拷問となればいつでもこちらを陥れることなどできたのではないか。
少なくとも大統領令息という前途洋々たる若者が、ガンマ団の中でも最も過酷なこの部隊に、4年も留まる必要が一体どこにあるというのだ。
 
「隊長、知ってました?」
 
ロッドの声につられて隊長を見ると、隊長は…
 
「隊長?」
 
知らなかった。
その表情を見れば一目瞭然だった。
テーブルの上に両足を放り出し、くわえ煙草のまま隊長は固まっていた。
呆然。さすがの鬼隊長も驚いたとみえる。
後で分かった事だが、隊長の手紙の宛先は小僧が入隊時に住所録に登録したもので、もちろん官邸ではなくテキサスの自宅だった。
父親の名前が現大統領と同じだったことを、隊長は気にした事はなかったらしい。
仕方のない事だ。
大統領の名前はアメリカ人としてはごくありふれていた名であったし、同名だというだけであのヤンキー小僧と一国の長を結びつけていたらきりがない。
しかし、最後の最後に特戦の全員が、あの下っ端小僧に「してやられた」と認めてしまった事は確かだろう。
秘密兵器を腹にしまったまま、あの小僧はどんな気分でこの部隊にいたのだろうか。
いつか言うつもりだったのだろうか、それとも隠し通すつもりだったのだろうか。
それを確める術はもうない。
くっくっくっくっく…隊長の肩が揺れている。あンの野郎…ふざけやがって。
そう言いながら隊長は心底嬉しそうに顔を歪めた。
隊長はひとしきり笑っていたが、やがて笑い疲れたようにぐったりとソファの背に頭をあずけて、あー、と気の抜けた声を出した。
それから実に4時間以上も、隊長はその体勢のまま動こうとはしなかった。
眠っているわけでもなく、煙草に火を付けるわけでもなく、強いていえば何か考えごとをしているように見えたが、真相は定かではない。
ただ、隊長の口から「リキッド」という言葉を一切聞かなくなったのは、あれからだったと記憶している。
再びこの島に来るまでは。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
end.