ハーレムの入隊試験
 
 
 
 
 
後ろ姿をひと目みて、軍人だとわかった。
背中まである獅子のたてがみのような堂々とした金髪は、薄暗い場末の酒場の中でまるで発光しているかのように鮮やかだった。
 
「親父ィ酒!」
 
けれど声を聞いて、落胆した。
それは鍛え上げられた背中の気配と、たてがみの荘厳な印象とはほど遠い、惨めでだらしない、道ばたの酔っぱらいの声だったからだ。
それどころか、男は酒壜を親父の手からひったくると、まるで3日間のまず食わずで砂漠をさまよってやっとありついた水のように、安物のバーボンを喉に流し込んだ。
浴びるようにヤケ酒を飲んでやれと思って酒場へ来たのに、本当に浴びながら飲んでいる人間を見て、ロッドの気は一気に削がれた。
ロッドはカウンターの席のひとつ、たてがみの男とスツールを2つを挟んだ場所に腰をおろした。
終戦直後のバーは人もまばらで、皆一様にすすけたように疲れきった顔をしている。
元気なのはこのたてがみの男、ひとりだけだ。
ロッドはウィスキーのロックをダブルで注文した。
空きっ腹にグラスの半分を流し込んだ頃に、ロッドは誰にともなく、けれどひとり言にしては大きすぎる声で呟いた。
 
「まさかこんなに早くケリがついちまうとはね」
 
2つ席をあけて座る男が、言葉に反応してぴくりとたてがみを揺らし、こちらを向いたのがわかる。
牙を剥いてうなる大型肉食獣のイメージが脳裏をよぎる。
睨んでいるに違いない、やめりゃよかった、噛み付かれるかもな。
ロッドは後悔半分、好奇心半分で男を見た。
 
変わった色だ。ロッドはまず新鮮に驚いた。
たてがみの男の瞳は青は青だが、薄い水色や灰がかった青だとかの、いわゆるブルーアイズの青ではなく、海の深い所のような真っ青なブルーなのだ。
しかも酒に染まってどんよりとした瞼をしているのに、その青い瞳に見られていると、スナイパーライフルの高性能スコープに照準を合わせられているかのような気分になるのはなぜだ。
唾を飲み込む隙さえ見せられない。いつの間に吹き出したのか、汗が背筋を伝った。
 
「まったくだぜ」
 
あきらかな敵意が消え、ふてくされたようにたてがみの男は視線をはずした。
緊張が解けると同類のにおいが強くなる。
最初に男を見たときから、ロッドはそのにおいを感じ取っていた。
実際彼らは大酒飲みという点でも同類で、なおかつ今現在の境遇までもが同類だった。
ロッドにも酒がまわる頃になると、いつの間にか二人の間にあったスツール2つぶんの距離ははなくなり、2人はまるで久しぶりに会った幼なじみのように笑いあっていた。
 
「ギャハハハ、終戦はんたーーーーい!!」
 
ロッドは母国イタリア軍兵士として、本日敵国であるここ某国まで派兵されてきたのだが、到着したその日に自軍イタリアが降伏してしまったのだ。それというのも、
 
「兄貴のヤロー、イタリアとやるなら俺にも言えっつーんだよ」
 
某国はイタリア軍との戦闘による自国の被害と長期化をさけるため、国家が傾くほどの大金を払ってガンマ団に戦闘代理を依頼したのだった。そして
 
「てゆーかガンマ団、強すぎっしょ〜」
 
ガンマ団の圧倒的すぎる戦力の前にイタリア軍はたった数時間で降伏し、戦争は終わった。
間に合わなかった男、ロッドを残して。
 
「おめーらが弱すぎんだろーがよ!」
 
間に合わなかったのはロッドだけではない。
総帥である実兄に某国からの依頼を伏せられていたハーレムは、完全に出遅れた。
というのも某国は"被害最小"を条件としていたため、総帥マジックとしてはこの依頼を弟に知られるわけにはいかなかった。
なにしろこの過激な性質の弟は、始めたからには一から十まで破壊しつくさなければ気が済まないのだ。参戦されれば被害甚大間違いなしだ。
そしてハーレムはロッドと同じく今日、終戦直後の某国に到着したのだった。
もうちっとイタリアが粘ってくれりゃあなとハーレムは愚痴る。
アンタらが出張ってこなけりゃとロッドはぼやいた。
 
「けどガンマ団はいいじゃねえの、いくらでも戦場が飛び込んでくるってモンでしょ?」
 
終戦となればイタリア軍に戦闘の機会は当分ないだろう。国の痛手は大きい、もしかするともう二度とないかもしれない。
楽天的なロッドでもため息が漏れた。明日からは復興と訓練だけの毎日が待っている。
 
「ああ、明日からはアジアだな。来るか?」
 
たてがみの男はこともなげにそういった。
 
「あの内戦か!行く行く!連れてってくれよ〜!」
 
「ぶぁーーーか!嘘に決まってんだろーが!へっぽこイタリア軍人なんざ誰が連れていくかよ!!」
 
「あ〜怖いんだ〜。俺の実力知るのがこ〜わ〜い〜ん〜だ〜」
 
「んだとコラァ」
 
「いやいや、いいんッスよ?俺は自分より弱あ〜い上司でもね、全然」
 
「ハッ!ケツだけなら使ってやってもいいぜ色ボケイタリア人」
 
「…ちょっと言い過ぎなんじゃないの?」
 
「ビビッてんのかァ、このドシロート!」
 
 
 
 
 
 
「ハーレム」
 
顎を上げ気味に歩くその姿は、ふてぶてしく堂々としていて嫌でも目に留まる。
しかし彼は兄ではない、同じ組織で生きる、いわば同僚なのだ。
心の中でそんなまじないをかけながら、サービスはアジアの支部内で偶然見かけた一族の、そして組織の問題児を呼び止めた。
自分の姿を認めた瞬間の、あからさまな怪訝な顔つきはもはやあいさつのようなものだ。
 
「凄い請求書が出ているらしいね」
 
サービスはおかえしに、用件の前に嫌味のひとつも言ってやることにした。
 
「某国の建築物破損の修繕費…たしか7000万だったかな。某国でなにか任務があったのかい?」
 
今回の某国への戦争代理に関して、ハーレムが蚊帳の外にされていた事をサービスはもちろん知っている。
 
「嫌味な奴だな、俺に黙ってっから高くついたんだろ」
 
ハーレムが口を開いて初めて、サービスはある事に気付いた。
ハーレムの唇の端が、切れて血が滲んでいるのだ。
若い頃はともかくここ最近、この男に傷がついていることなどまずない。
サービスは不思議に思いながらも、すでに自分に背を向けて歩き始めている背中に向かって、彼を呼び止めた本来の用件を述べた。
 
「新しい部隊の隊員の選出はどうなってる?」
 
ハーレムはのしのしと金髪を揺らして歩を止めずに答えた。
 
「一人おさえた、イタリア人だ」
 
…なるほど。イタリア人か。
破壊された酒場もまるで無意味というわけではなさそうだ。しかし、それにしても額が額だ。
 
「経費で落ちるかな」
 
ひとり言のつもりで呟いたつもりだったが、地獄耳は拾っていたようだ。
 
「落ちなきゃ弁償させるぜ。もっとも」
 
ハーレムは手袋の指で傷をかばいながら、唇を笑みの形に曲げた。
 
「一生かかるだろうがな」
 
相変わらず、胸の悪くなるようなえげつないやり口だ。
やはり関わらなければよかったと言うように、サービスは不快そうに眉を寄せて、双子の兄に背を向けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
end.