種の懊悩
 
 
 
 
 
「家政婦ー!どこいったのー?おやつまだ…イデッ!」
 
コタローの足下には一体どこから現れたのか、光沢のない暗い黄色の果実がごろりと転がっていた。
頭に受けた衝撃と、その物体の関係に気付くまで2秒ばかり。
 
「悪リィ!あたっちまったか?」
 
探していた人物の声は、意外な方向から聞こえてきた。コタローの真上だ。
森の黒い天井にあいた無数の穴から、太陽の光が細くもれている。
声の主の姿はすぐに見つかった。
彼の登っている木には、コタローの足下に転がっている果実がクリスマスツリーのオーナメントのように実っていた。
 
「んもー!顔に当たったらどうする気ー!」
 
足下の果実を拾い上げると、セリフのわりには嬉しそうな顔で、コタローは頭上に声を張り上げた。
今日のおやつはきっと、このもぎたての梨に違いない。
 
 
 
 
 
 
「ねーパプワ君、このタネを蒔けば梨ができるんだよね?」
 
「もちろんできるぞー、やってみるか?」
 
森の中でおやつをすませると、コタローとパプワは梨の種を植える為に、チャッピーに穴を掘ってもらっていた。
彼らのすぐそばの梨の木の上では、背中にカゴを背負ったリキッドが収穫に精を出している。
梨は豊作でシロップ漬けなどををつくるにしても、自分たちで全てを食べきるには多すぎる。
かといっても腐らせてしまうのももったいない。
幸か不幸か臨時の住人の数も多いので、あとで彼らにも持っていってやるかと、リキッドは次々に梨をもいではカゴに放った。
 
「わー完成だね!家政婦、僕の梨でおいしいデザート作ってよね!」
 
背中のカゴがどっしりと重たくなる頃、ちみっこたちの作業も完了したらしい。
リキッドは器用に木から降りつつ、生意気な子供に答えてやった。
 
「あーいいぜ、ただし18年後だけどな!」
 
ええ〜!どうして!と抗議するコタローに、博学のちみっこパプワが教えてやる。
桃栗3年柿8年、梨のつぶては18年。
梨が実をつけるようになるには実に18年もの歳月を必要とするのだ。
 
「てことは僕…28歳!そんなあ、それじゃあとんだ美青年だよー」
 
3人は家路につく為ゆるゆると山を下りながら、18年後、梨の実のなる日のことをあれこれと話した。
 
「家政婦はえっと、38?プッ!もう立派なオヤジだね!」
 
「フッフッフ。残念だったなあ〜俺は歳、とらねーんだぜ」
 
「ああ〜!!」
 
番人であるリキッドは歳をとらない。
コタローはリキッドを現在20歳として18年後を38歳と計算したようだが、そもそもリキッドが番人になっていなければ現在は24歳である。
リキッド自身もあまり実感がなかったのだが、今日土の中に埋めた種が実をつける頃、この小さなコタローは自分を追い越してしまうのだ。
 
「お前がオッサンになったときが楽しみだな!」
 
一瞬かすめた妙な気分を顔には出さないように、リキッドは意地悪く笑ってスプレーのトリガーを引く真似をしてみせた。
 
「え〜考えたくないよ!でも…僕がオッサンになったらパプワ君もオッサンだよね!」
 
「ああ、ロタローとは同い年だから僕もオッサンだな」
 
すでにオッサンのような雰囲気をもつ10歳の少年は淡々と同意した。
 
「そうだよね!パプワ君と一緒なら僕、それでもいいや!」
 
コタローは満足げに笑うと、オッサンになっても僕は加齢臭なんて無関係だよ、だってかわいいものといつもの調子で付け足した。
 
 
 
 
 
 
ちみっこ達と一旦パプワハウスに戻ってから、収穫した梨を半分ほどを袋に詰め、リキッドは第二のパプワ島に最近できた奇抜な小屋の前に立っていた。
誰の指示でこのようなデザインになったのか、ひと目でわかる。なんだって窓を…いや、つっこみ出したらきりがない。
一応ノックをしてみると、やや間があってからロッドが戸をひらいた。
梨のお裾分けにロッドは喜び、部屋の適当な所へおいてくれと入室をうながした。
 
「おじゃましまーす」
 
リキッドはこの特戦の仮住まいには何度か入った…または連れ込まれた事があるので、室内の雰囲気がいつもと違う事にすぐに気付いた。
煙草のけむりで白く濁った室内では、メンバーがテーブルを囲んでいた。
いつもならば暑苦しいほどの歓迎を受けるところだが、今日はドアを開けたロッド以外の人間はリキッドを振り返りもしない。
あふれる煙草の吸い殻、白く曇った密室の空気、そしてなにより全員がテーブルについているにもかかわらず、酒のにおいがしないのだ。
リキッドはこの光景を知っていた。彼らは軍議の最中なのだ。
特戦部隊の隊服に身を包んでいた頃の、過去の一場面に足を踏み入れてしまったような、奇妙な錯覚がリキッドを襲った。
 
「ではガンマ団から団員を引き抜く、という事ですか?」
 
「おうよ、シンタローのやり方に不満を持っている者すべてだ」
 
「それではいずれガンマ団とやり合う事になる」
 
「んまあ、それはそれで面白いんじゃないの?」
 
「あの…何の話ッすか?」
 
リキッドは思わず疑問を口にしてしまった。
軍議についていけず、ただやり取りを見ている事しかできなかったあの時のように。
 
「オメーには関係ねえ」
 
間髪をおかずに断固とした口調でハーレムは言った。
フィルターぎりぎりまでまで吸った煙草を、すでに吸い殻で満杯のビールの空き缶に苛立たしげに押し込む。
昔とすこしの劣化も変化もなく再現された"隊長"の声は、懐かしいなどといったノスタルジーとはほど遠く、むしろトラウマに近い恐怖があり、リキッドは条件反射的に身が縮み上がった。
 
「今後の身の振り方をよ、考えてんのよ俺らも」
 
ロッドはハーレムの不機嫌などは意に介さず、勝手にリキッドの問いに答えた。
 
「もはや私たちは特戦部隊ではないからな」
 
「独立を考えている」
 
マーカーとGがあとを繋げると、リキッドにも話がだいたい見えてきた。
ガンマ団をクビになった今、戦闘しかできない彼らだけでは独立はむずかしい。その計画を練っていたというわけだ。
おそらく問題は山積みのはずだが、まあなんとかなるでしょ、という気楽さはいかにもロッドだ。
 
「まずはこっから出ねーとな」
 
関係ないと突っぱねた事を、ハーレムはすでに忘れたようだ。
横を向いたまま、いつのまにかまた火のついた煙草を口にくわえている。
たちのぼる白い煙はゆったりと窓の方向へかたむき、やがて外へ流れて行く。
煙より、窓の外より、ずっと遠くを眺めるようなハーレムの横顔に、リキッドの胸がじりり、と焦げる音がした。
早くこの島を出て、自分たちの世界に戻り、なんとしてでもやりたいように生き、そして死ぬ。
ハーレムの顔は、それで頭が一杯の人間の顔だ。
心はもう、この島ではなく新しい場所へ行っている。
確かに隊長はそうだった。前からずっとそうだった。
リキッドはギッと唇を噛んだ。
隊長のくせに誰よりも無責任で、自分で始めておいて後始末は部下に押し付ける。
刈り取る事を考えて種を蒔いたためしなど一度もないのだ。
俺を愛してると言った口で、この島を出たあとの後のことを平然と語る。
実に、隊長らしいじゃないか。
 
「…オヤ?もしかして寂しいんでちゅか〜」
 
ロッドは椅子に腰掛けたまま背を曲げてかがみ、急に黙り込んだリキッドの顔を覗き込んだ。
リキッドは怒ったように眉間にぐっと皺を寄せ、口をへの字に結び、じっとなにかに耐えているような顔をしている。
泣くのか?ロッドにはそんな風に見えた。
 
「…俺、帰るっす」
 
「は?」
 
「これ、ここ置いとくんで」
 
リキッドはごろごろと梨の入った袋を足下に置くと、怒ったように強張らせた顔をそむけてつかつかとドアに向かい、出て行った。
バタン、という音を境に、この島の平和を象徴するような鳥のさえずりだけが部屋に充満する。
元・特戦部隊の面々は、しばらくの間、黙って鳥のBGMを聞いていたが、やがてロッドが同僚の中国人の冷たい横顔にそっと顔をよせた。
 
「隊長、追わなくていいのかな」
 
あくまでわざとらしくひそめたその声は、しっかり全員に聞こえていた。
クールなマーカーはまるで何も聞こえなかったような顔をしていたが、ハーレムはロッドが期待した通りのリアクションをくれた。
 
「うっせーぞ、ロッド!」
 
蹴飛ばしたテーブルが揺れて、吸い殻の詰まったビール缶がテーブルの上で一度バウンドしてから扇型に転がった。
小さな飲み口から吸い殻がすべて出ることはなかったが、舞い上がった灰にマーカーは睫毛を伏せた。
瞼を閉じたまま、灰が重力に負けて沈んでいくのをマーカーはじっと待つ。
やがて椅子を引く音が聞こえ、次にごつ、ごつ、という大股な足音が聞こえた。
ガチャリという音とともに、マーカーの瞼の裏の闇が1トーン薄まる。
 
バン
 
目を開けると、数秒前の風景からハーレムの姿だけが欠けていた。
テーブルの上に視線を落とす。こちらの風景はなにひとつ変わっていない。
ちらかっているビール色の吸い殻と灰も、ついでになくなれば良かったのだが、とマーカーは思った。
Gが何も言わずに立ち上がった。後始末をするための物を取りに行くのだろう。
まったく不便で仕方ない。4年前ならば片付けておけと一言いいつけるだけで済んだのだ。
だというのにマーカーの主である男の機嫌は4年前から悪くなる一方で、こういった雑事は増えるの一途である。
あの下っ端小僧はずいぶんと思い詰めた顔をしていたが、自分が4年前にどんな種を蒔いて出ていったのか、知りもしないのだろう。
まるで牢獄のような鉄格子のはまった窓の外は、どこまでも晴れている。
 
 
 
「いい気なものだ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
end.