手袋と17歳
 
 
 
 
 
祝ってくれる人がいなくても、誕生日は誕生日だ。
ケーキがなくても、プレゼントがなくても。
任務で失敗して殴られて蹴られて、鼻血が出ても。
それでも17歳の誕生日には違いない。
 
「オー痛そ!派手にやられたねェ〜」
 
作戦室という名の拷問部屋からやっと解放されたリキッドを迎えたのは、これ以上嬉しい事はないという顔をした同僚達だ。
 
「るせーな。ン…どっか行くのかよ」
 
3人は隊服ではなく私服に着替えて、今まさに艦を出るという風情だった。
少なくとも明日の正午までは待機命令が出ているから、呑みにでも行くのかもしれないとリキッドは思った。
 
「そ、朝までお留守番頼んだぜボーヤ」
 
ロッドは上機嫌でリキッドの殴られたばかりの頬をちょん、と指でつついた。
 
「いだッ!触んな!くっそー」
 
この上機嫌には覚えがある。こいつらは呑みに行くのではない。おそらく女を買いにいくのだ。
そんな日は決まって朝まで帰らないし、むかつくほど清々しい顔で帰ってくる。
特にロッドは調子に乗って、留守番のリキッドにお土産を買ってくることすらある。
そう、たしか前回はチェリーコークをまるまる1ケース。鼻歌まじりに瓶をガチャガチャ言わせながら帰艦した。
年上の同僚達はリキッドを童貞だとバカにするが、金もない、女の子と知り合う機会も、暇もないこの生活で、童貞を捨てる方法があるなら言ってみろといいたい。
しかし、いくら自分に非があるわけではないとわかってはいても、むかつくものはむかつくのだ。
 
「もう帰ってくんな!」
 
それでなくてもムシャクシャしていたリキッドは、口の中の傷が開くのもいとわず楽しそうな同僚達の背中にそう叫ぶと、思いきり中指をつき立てた。
 
 
 
 
 
 
週に一度のディズニー番組が最悪な誕生日に重なったのが、リキッドにとって唯一の救いだった。
…が、番組の始まる3分前になっても、リキッドはテレビの前に座れないでいた。
L字型の黒い革張りソファの真ん中、つまりコーナーの部分に両腕をソファの背に乗せ、まるで縄張りを主張するかのように獅子舞がどっかりと陣取っていたのだ。
向こうに気付かれないうちに自室に回れ右してしまおうかとも思ったが、あいにく部屋にはテレビがない。
リキッドがテレビを見れるのは、この共有スペースに限られている。
暴力の恐怖はまだ癒えないが、このまま泣き寝入りするのはどうしても嫌だった。
なにしろ今日は誕生日なのだ。
 
「座っても、いッすか」
 
リキッドはそれなりに緊張して声をかけたが、ハーレムは「おう」と軽く答えた。
昼間の失敗を引っぱられる事はなさそうだが、つい数十分前にこってり叱られた側としては少々気まずい。
テーブルには紙巻き煙草の箱と灰皿、酒の壜というハーレムの3点セットが置いてある。
テレビはついていない。
隊長室にはテレビがあるのだから、テレビを観る為にここに座っているわけではないのだろう。
それではなぜ、自室ではなく共有スペースににいるのか。
そんな事はわからない。
きっとハーレム本人に聞いてもわからないだろう。意味なんかないのだ。たまたま、なんとなく気まぐれで。そこにソファがあったから。
リキッドはハーレムからなるべく離れた所に腰を下ろした。
といっても真ん中をとられているのでその距離2メートル弱といったところか。
 
「隊長は行かなかったんすか」
 
この男が皆と一緒に女を買いに行って明日の朝まで留守にしてくれたら、どんなに良かったことか。
豪勢にとはいかなくとも、心休まる誕生日の夜になったに違いない。
ハーレムは透明な壜に直接口をつけると、大胆に傾け、とろりとした黄色の液体をゴク、ゴク、と二度のどを鳴らして飲んだ。
ハーレムは酒ならなんでも呑む。この男の体は表面だけでなく、食道や胃袋などの内臓までも鋼のごとく鍛えられているに違いない。
リキッドは以前、興味本位でウィスキーのロックとやらを舐めてみた事があるが、ほんの少しで舌が痺れてしまった記憶がある。
雄牛の絵のラベルには"ZUBROWKA"と書かれているが、リキッドには何の酒かはわからない。あんな風に呑むのだから、アルコール度数はそう高くないと信じたい。
ところで、リキッドの問いは黙殺されたようだ。
見ればわかるだろうという事だろうか。どちらにしても機嫌はあまり良くないようだ。
リキッドは持参したペプシの缶をテーブルに置くと、リモコンを取った。
そもそもここは隊員達がくつろぐためのスペースなのだから、テレビを観るのに気をつかう必要はない…はずである。
ばつんというアナログな音を立てて、テレビは停泊した無音の艦に別世界の音と光を運んで来た。
チャンネルを合わせると、ちょうど番組のオープニングが流れているところだった。
できればオープニングもきちんと最初から観たかったが、贅沢は言えない。
リキッドはペプシのプルトップを上げた。
やはり自分にとってランドのキャラクターや音楽は何よりも大きいと、リキッドは改めて思う。
小さな頃から何千回と聴いたイッツ・ア・スモールワールドがワンフレーズ耳に入っただけで、昼間の失敗も、痛む体も、同僚にバカにされた悔しさも、ましてやそばにいる上司との気まずさなど、取るに足らない事に思えてくる。
そうだ、今日はバースディだ。おめでとうリキッド。ありがとうミッキー。
リキッドの紫色に変色し始めた頬は自然と微笑んでいた。パチパチと音を立てる冷えたペプシを口に運ぶ。
 
「おい」
 
急に聞こえた上司の低い声と共に、炭酸が口の中の傷に強烈に滲みた。
 
「な、なんすか」
 
リキッドはまさかテレビを消せと言われるのではないかと身構えたが、帰って来た答えは色々な意味で意外なものだった。
 
「金やっから、どっか行ってこい」
 
リキッドが考えた事は、隊長が金をくれるなんておかしい、とテレビが観れなくなる、の2つだった。
 
「え…いや、いいっすよ」
 
困惑しながらも、もしかしたら自分の誕生日を知っているのではないか、とも思った。
この男に限ってそんな甘い事があるはずもないが、リキッドは生まれてこのかた16年間、家族なり仲間なりに毎年盛大に祝われてきたのだ。多少甘い幻想を抱いてしまうのも無理はない。
ハーレムは自分のくわえた煙草の煙に顔をしかめながら、ジャケットのポケットを漁った。
そして差し出された白い手袋の指には、よれた紙幣が数枚はさまれている。
 
「マジでいらないって!」
 
ハーレムが本気だと知ってリキッドはうろたえた。
給料さえもらっていないのだから、当然貰っても良いはずの金額だが、リキッドは恐ろしくなった。
この男が人に…いや自分に金をよこすなんて不吉な予感さえするほどだ。
明日はハリケーンか?
 
「いやホラ、テレビ、俺テレビ見たいんだって」
 
リキッドはテレビを指差し、なんとかハーレムの気を逸らそうとした。
今日の隊長はどこか違う。ただ機嫌が悪いのとも違う。
ハーレムは舌打ちをひとつすると、金をポケットへ戻した。
金がもらえなくてホッとするなんておかしなものだと思いながら、リキッドは息をつく。
 
「!?」
 
唐突に肘のあたりを掴まれ、腕が肩から抜けるかと思うほどに強く引っ張られた。
視界がおおきく揺れ、リキッドの体はなぎ倒される。
 
「いィッ!」
 
殴られ、内出血した頬がちょうど固い何かにぶつかって、跳ね上がる程に痛い。
 
「しょーがねぇな」
 
ハーレムの声は、声というよりは振動として伝わってきた。
リキッドは上半身をハーレムの胸に預けるように倒れ込んでおり、頬の位置にはジャケット越しの鎖骨があった。
いつの間にかハーレムの腕が、リキッドの頭を抱え込むようにまわっていた。
リキッドはハッとした。背中から抱き込まれるようなこの体勢は…
スリーパーホールドが来る!
この太い腕に首をぐるりと一周されたら最後、確実にオトされる。今まで不意打ちで何度食らったかわからない。
柔術はハーレムが最も得意とする体術で、時には新技開発の実験台に、時には暇つぶしに、リキッドはおおいに貢献しているのだ。
リキッドはあわてて身を起こそうとした…が、ハーレムの腕はそれを察知したかのようなすばやい動きで顎の下まで回り込み、その太い筋肉が首を静かに締め上げた。
頭を上へ引き上げるように締められると、頸動脈の閉じる音が聞こえてきそうだ。
リキッドは自分の首に大蛇のごとく巻き付いた腕を、3回叩いた。ギブアップ!今までこれで許してもらえた試しは一度もないのだが、やらないわけにもいかない。
もうオチてしまったのか。リキッドは一瞬そう思った。
地獄のような圧迫がふっと緩んだのは、ギブを聞き入れてもらえたからではなく、失神後の夢心地なのではないかと思ったからだ。
せき止められていた血液がいっせいに走りだす。
リキッドの上半身を支えているハーレムの胸と腹の筋肉が、分厚い軍用ジャケットの下で動く気配がした。
リキッドはすばやく反応して身を起こそうとするが、今度は耳が捕まった。
ハーレムの唇に。
リキッドが自分の身になにが起こっているのか気付く前に、ハーレムの舌は耳の裏側をべろりと舐め上げ、とがった先端を口に含んで軽く吸い上げた。
同時にスリーパーをかけたときに回り込んだ右手の指先で、まだ初々しいのど仏の首をやさしく掴むようなかたちで触れる。首をおさえていれば、そう下手に動くこともできないだろう。
歯を少しだけたてて耳を噛む。噛みながら舌を動かしやわらかな産毛をなでて濡らす。
暴れて大騒ぎするだろうというハーレムの予想を裏切って、リキッドは身体をこわばらせたまま、まるで動かなかった。されるがまま、人形のようだ。
今度は耳の表側、軟骨の芯の入ったひだの間に舌先を滑りこませながら、ハーレムはずいぶんとに大人しい部下の横顔を盗み見た。
不自然に盛り上がり紫色にはりつめた左の頬以外、リキッドの顔はどこもかしこも均等な赤色に染まっていた。
まぶたをぎゅっと閉じ、唇をかたく結び、眉をこわばらせて健気にもただ「耐えて」いた。
本人は何が起きているかさえもわからないらしいが、ハーレムから見ればもうひと押しで甘いひと息をついてしまいそうな、ぎりぎりの表情に見えた。
舌先を耳の深くに一度潜り込ませると、ソファの背とリキッドの背中の間から自分の身体だけを抜き取り、リキッドの両肩を掴んでソファの座面へ押し付けた。
自分はソファから一瞬立ち上がると右足を軸にして身体をくるりと半回転させ、リキッドの両太ももの間に左の膝を割り込ませる。
それは押し倒した、というにはあまりにも無駄のない動きだった。
得意の柔術ならば、どんなに不利な体勢からでも、どんな体格差があろうとも脱出し、相手の上を取る自信がある。
自分が押し倒されると思ってもいない人間を組み伏せることなど、なんの雑作もないのだった。
押し倒され、完全に不利な体勢は、リキッドの本能的な恐怖を一気に呼び起こした。
顔を青くしたらいいのか赤くしたらいいのかわからない、そんな表情で薄水色の瞳がハーレムを見上げた。
何すんだよ、本当はそう言いたかったに違いない。
実際は驚いたようにうすく唇をあけることしかできなかった。
 
 
 
覆いかぶさっているハーレムの長い金髪が、口の中にひとすじ入ってしまった。
取りたくても分厚い肩に阻まれて、とても口まで手が届かない。どうしよう、困った。
…違う。
問題なのは口に髪が入ってしまったことではなく、このデカイ体が自分にのしかかってるこの状況である。
いや、それも違う。のしかかられて技をかけられる事はよくあるが、いまは耳や首筋、鎖骨のあたりを舌で舐め回され、皮膚を吸われているのだ。
しかもそれは全く痛くないのだ。そうだこれだ、これが問題なんだ。
 
「た、隊長どっどけよ!何してんだよッ!」
 
ヤバイ、ヤバイ。
自分の言った言葉がなぜか嘘にしか聞こえない。本当はこれが一番まずい。
 
リキッドは強烈な焦りを感じていた。鼻の奥が熱く、身体のまわりにも妙な熱気がまとわりついているのに、寒気に似た震えが止まらない。
それでもいいや、と思いそうになる自分をなんとか叱咤して、唯一掴める位置にあるハーレムの腰骨を手のひらで押し上げるようにした。
抵抗の意だ。
無様にひらいた膝の間に体を割り込まれているのだから、そう簡単にどかす事ができるとは思えない。けれど無抵抗というわけにもいかなかい。
抵抗を受けて、ハーレムはおもむろに身体を起こすと、リキッドの両手首をやわらかく、けれど揺るぎない力で掴み、ばんざいさせるように頭上へもっていった。
弾丸を装填するような顔つきで、リキッドの両手の親指をクロスさせ、その交差した部分を、白い手袋の人差し指と中指そして親指が輪を作るように掴む。
リキッドがぽかんと口を開けている間に、完全に自由になったハーレムの左手が、リキッドのライダース風の革ジャケットのジッパーを下げた。
その時はじめて、リキッドは自分がほとんど動けない事に気付いた。
拘束されているのはたった指2本なのに、肘、腕、肩のすべてが動かない。
人の体とはどうやらそういう仕組みになっているらしい。こんな所でキャリアの違いを見せつけられたようで、それもまたいたたまれない。
ジッパーを下ろすジィィ、という音が止むと、はだけた自分の胸がやけに白く見えて、リキッドは強烈な羞恥を覚えた。
いくら経験がなくてもわかる、自分はいま貞操の危機を迎えているのだ。
ということは必然的に、俺を押し倒し、ジャケットを開いたこの男は、隊長は、俺に欲情しているということになる…のか?
そんなバカな。
リキッドは改めて剥きだしになった自分の身体を確認した。
いくら白いとはいえ腹筋の浮き出た男の腹だ。隊長にくらべれば細いかもしれないが、女の子のようにとはいえない。
隊長が特別男を好きだなんていままで一度もそんな気配は感じなかったし、自分のことなど犬っころ程にも思ってない。
「隊長」のしるしである白い手袋が、触れるか触れないかのやさしさでリキッドの若く白い胸を滑る。
隊長の手なのに、その情欲を煽るような動きはリキッドの知っている「隊長」のものではない。
指の通った軌跡に熱いような、冷たいような汗が浮くのを感じた。
 
「ッ!」
 
何がおきたかわからなった。
真冬の鉄のドアノブに触れたような、静電気の痺れに似た感覚があって、思わず息を詰めた。
目をあけて、白い手袋の指先が自分の胸の小さな突起をおしつぶす瞬間を目の当たりにした時は、信じられない思いだった。
 
「んァッ」
 
頭蓋骨に響いたかすれて吐息の混じったその短い声が、まさか自分のものだとは思わなかった。
ロッドに頬をつつかれた時のように、反射的に出す声はいつでも自分の知らない声だが、今の声はまるで…いや、自分がそんな声を出せるはずがない。
嘘だ嘘だと自分に言い聞かせるリキッドは、自分の出した声が性的な色に染まっていた事を認めていた。
指はその声を探知したかのように、胸の突起をあからさまに苛みはじめる。
男についていても意味がないと思っていたそれが、その白い布地の指先のいいようにされると、いちいちスイッチが入るように頭まで痺れてくる。
自分の身体がこんな風になるなんて、聞いてない。
 
「あッ、わけ、わかんね…」
 
自分の腹のうえに落ちた影が動き、胸に金髪が降りて触れた。目が思わず毛先を昇り、その先を見てしまった。
 
だめだ。もう。
 
自分を見るハーレムの目が、リキッドの胸に熱いものを濁流のように流し込んだ。
どろりとした欲望が奥で渦巻いているのに、それを必死にリキッドから隠そうとしているような奇妙に優しいまなざしで、ハーレムは笑った。
 
「ばーか」
 
ハーレムはわかりやすく大きな舌を出して見せると、自分の拳を打ち付けて内出血させたリキッドの頬の痣を、ゆっくりと舐めた。
リキッドのからだがびくん、と竦む。
痛い、痛い。
内臓までも堅いのではないかと思ったハーレムの舌は、あくまでやさしくやわらかく、リキッドの痛みを撫でて濡らした。
それでもじりじりと与えられる痛みにリキッドは歯を噛み締めて耐えた。
痛いはずなのに、舌が火照った頬に冷たい感触をのこして離れる時にはなぜか「やめて欲しくない」という甘さだけがあとに残った。
胸の突起にもそのざらりとした分厚い舌を這わされて、リキッドは震えた。
今、手を離されたら困る。そんなことが頭をかすめる。
拘束されている手を離されたら、自由にされたら、自分は嘘でも突き飛ばさなければいけなくなるだろう。
だから困る。
思考がどろどろと溶けていて、そう思う事がいいとか悪いとか、考える余裕すらなかった。ただ子供の駄々のように嫌だと思うばかりだった。
しかし不穏な動きを下半身に感じて、リキッドはかすかな不安を覚える。
まさか!
そう思った時には遅かった。
この男は、隊長は、こんなにも器用だったのかと今日は何度驚かされたことだろう。
ハーレムの白い手袋の指は、すんなりとリキッドの革のパンツをくつろげると、一発で下着の中に滑りこんだ。
黒革のソファとレザーのパンツの尻が擦れ、ギッと鳴いた。
 
「お、いッ!!」
 
リキッドがやっとのことで抗議を発したその時には、とんでもない光景を目にすることになった。
見慣れた自分の性器が上官の証である白い手袋の指によって、白い蛍光灯のひかりの下に引きずりだされている。
そしてみずからの目で見て初めて、リキッドは自分がほとんど勃起している事に気付いた。
がっちりと拘束されていた両手の親指が、好きにしろと言わんばかりに解放された。
急所が直接掴まれているのだから自由にされた所で、両手はただ路頭に迷うことしかできない。
いや、もし急所を捕らえられていなくても、リキッドは抵抗しなかったかもしれない。
一方、親指のロックを解除したハーレムの右手は、まっすぐに自らの口元へむかった。
白く並んだ前歯が中指の先を噛む。
半裸のリキッドに対して、ハーレムの服装は完璧で、ジャケットのボタンひとつ外れてはおらず、両手の手袋でさえ嵌ったままだった。
その手袋を、ハーレムは食いちぎるような動作で脱いだ。
太い節と厚い手のひら、古傷の残る皮膚。自分とはスケールのまったく違うその手を、リキッドは初めて見たような気がした。
実際には何度も視界に入っているはずだし、この頬をここまで腫らせたのは他でもない、その拳だ。
 
「隊長…」
 
遠くに、遠くに、ランドのキャラクター達の歌うエンディングテーマが聞こえる。なんの歌だったか思い出せない。
ただ、その裸の拳を一体どうしてくれるのか、それを思うとリキッドはたまらなくなった。
右手が延びてくると、リキッドは条件反射で思わず目をつむった。
リキッドの髪は整髪料で固められていて、ハーレムの指がすんなりと梳き入ることはできなかった。それでも、手袋をしていない素肌の指が生え際をやわらかく撫でた。
なんで、そんな風に触るんだろう。
手加減なしで殴ったその手で。
 
「たい、ちょう」
 
額に感じる生の体温に、苦しいような甘いような何かが、リキッドの喉元までせり上がってくる。
もっと触ってほしい、触ってくれと言ってしまえと、全身の細胞が叫ぶようにリキッドをせかす。
ふと、ハーレムの体が膝の間から後退したかと思うと、その素肌の指がリキッドに絡んだ。
たとえ期待していたとはいえ、思わず腰が引ける。
ハーレムの手袋の左手が、決して乱暴ではない手つきでリキッドの膝頭を包むように掴む。
掴まれただけで、ああ逃げられないんだと観念してしまうような、大きな手で。
ゆっくりと刺激され、リキッドは覚悟をきめたように唇をきつく噛んだ。
ハーレムの手のひらはしっとりと湿ってはいても、生え際をなでられた時ほど体温を感じない。自分のその場所の方がずっと熱いせいだ。
ハーレムの唇が、膝に落ち、内股に落ち、そしてきつく皮膚を吸った。
痛い、と感じても、この痛みが痛みだけで終わらないという事を、リキッドはもう覚えてしまった。
はあ、と口からついた息が鼻に抜けて甘い。
内股に赤い痕を残した延長でハーレムは若い性器を口に含んだ。含んだまま、頭をゆっくりと下げ、そして上げると必死の指先に髪を掴まれた。
 
「うァっ、たいちょう」
 
決して拒絶のものには聞こえなかったので、ハーレムはかまわず口に含んだまま舌を使った。
 
「マ、ジで、やめろっ…て!」
 
容赦なく髪を引っ張られ、泣きそうな声に興味を示し、ハーレムはリキッドを解放してやり、彼を見上げた。
泣いてはいなかったが、白であるはずのその肌は真っ赤に染まり、安堵したような青い色がこちらを見ていた。
泣いてはいなかったので、ハーレムは彼によく見えるように舌を出すと、彼を見つめたまま下から上へ舐め上げて見せた。
 
「ひっ…」
 
ひきつるような声とともに、リキッドは体を震わせて吐精した。
2度、3度と吐き出すと、まるで小さい子供が泣きすぎた時のような息をして、眉を切なげによせた。
しかしの余韻がさめぬ間に、ハーレムは濡れた指先をリキッドの後孔に滑り込ませてしまった。
 
「…!?」
 
自らの体とはいえ、射精後の今では正確には把握できていないらしく、リキッドは涙の幕の張った目でハーレムに説明を求めた。
何をしたんだ、と。
ハーレムが再び身を進め、リキッドの首筋に口づけをするのと同時に、中指の先が一層奥へ押し進む。
探るような指の動きに、リキッドは開きかけた歯を食いしばった。
生まれて初めて人に触られている場所の思わぬ深さに、痺れた頭が言葉をならべる余裕などない。
そのうちにハーレムの指先が、ある地点を探し当てた。
怯えの浮かんでいたリキッドの顔色が、さっと色を塗り替えるように艶を帯びる。
 
「なッ…何!?んっ、あ…!」
 
ここを擦られると、男は誰でもこうなる事を知らないのだろう。
混乱と恐怖と色気の混ざった表情は、取り繕うことのできない初々しさで、ハーレムの指を加速させた。
身体の中をかき回されていると理解した瞬間、とてつもない恐怖がリキッドを支配したのは確かで、その恐怖は今も体中を廻り続けている。それなのに。
押し入っている指が緩く止まりそうになると、ひどく残念な気分になる。
逆に、ある場所を刺激されるとたまらなく悦んでしまう。
わけのわからない自分の身体と、突然出会った知らない自分にリキッドは混乱していた。
意識がちっとも定まらず、白濁としている。どこを見たらいいのかわからない。
その場所に熱い塊が押し付けられた時も、まるで夢でも見ているようにぼんやりと待っている事しかできなかった。
しかしハーレムがいよいよ体内に侵入して来た時、思ってもいない圧迫感と、雄である自分が同じ雄の欲望を挿入されているのだという違和感が、リキッドの顔を歪めた。
自分の身体はきっと、こんな事を受け入れるようにはできていない。
 
「待っ、てっ…!」
 
逃げようにもリキッドの腰は、ハーレムの手袋の左手と、裸の右手にがっちりと固定さていた。
ハーレムはゆっくりではあったが、決して止めることはせずに腰を進めた。
 
「…痛てェか?」
 
さんざん自分を殴りつけた男とは思えない、酷く優しい声だった。
自分の欲望をなるべく殺さなければならないと葛藤する、そんな目だった。
リキッドの瞳は揺れた。どう答えたらいいかわからなくなった。
違和感と圧迫感、それに恐怖も不安もあるが痛みはない。痛くはないが…痛くないと言ったら一体自分はどうなるのだろう?
ハーレムはリキッドの返事を待ちながら、ゆるゆると腰を引いた。
その引き抜かれる時のなんともいえない感覚に、リキッドは思わず声を上げてしまった。
少しでも自分にいいように返事をしようと思っていたのに、苦痛とはほど遠い色でリキッドは喘いだ。
ハーレムはそれを返事と受け取り、腰を再び進め、そして動かし始めた。おかしくてたまらないと言うようにくつくつと笑いながら。
 
「うッ…ちくしょうっ」
 
肩を揺らし、揶揄するように笑うその顔には、普段の"隊長"の面影が戻って来ていて、リキッドは急に騙されたような気分になった。
ハーレムが腰を揺らすたびに、自分の革ジャケットの背中がソファの革とこすれて大げさな音を出すのが忌々しい。
それでも今更どうすることもできずに、ただ揺さぶられている自分が悔しくて、顔を真っ赤にして負け惜しんだ。
 
「騙し、やがってッ」
 
「いいぞ、もっと言え」
 
もう絶対に顔を見る事はできない。
声の感じからしてハーレムはにやにやと笑っているのだ。こんなにも簡単にオチた俺を。
リキッドは唇を歯で噛み締め、横を向いた。もっと死ぬ気で抵抗するんだったと自分を恨んだ。
その態度を受けてか、ハーレムははっきりとわかるようにスピードを上げはじめた。
絶対に見るものかというリキッドの決意はいとも簡単に陥落した。
 
「まっ…隊長、ま、てって…!」
 
強情にはりつめていた水色の瞳は、揺さぶられるごとにゆるゆると溶けていった。
ふだんの勝ち気な表情はどこかへ流れて消えてしまう。
よせた眉根の健気さに対して、薄くあいた歯の奥の、舌の赤さが妙に淫らだった。
ハーレムはまた少し速度を早め、見つけたばかりのリキッド場所を狙う。
 
「んッ、たいちょ…隊長っ」
 
「隊長、隊長って」
 
ハーレムは眉を寄せてそう言うと、腕立て伏せのように肘を曲げて身を屈め、リキッドの耳に唇を寄せた。
 
「すげェ燃える」
 
 
 
 
 
 
誰かが艦内のシャワーを使っているとき特有の、ゴボゴボという下水管の音を聞きながら、リキッドはぼんやりと天井を眺めていた。
革でできた隊服もソファも、ちっとも汗を吸い込んではくれず、背中などはまだぬるりと滑る程に濡れている。
セットしていた髪はいつの間にかすっかり乱れ、額にはりついていた。
こんばんは、ニューストゥナイトの時間です。
衣服の乱れも正さずに、半裸でソファに身体を預けるリキッドの耳に、きっちりとスーツを着たフォーマルな声が届く。
9時か…。
7時半から始まるディズニー番組から、9時のニュースが始まるたった1時間半の間に、上司とセックスするなんて事、世の中にあるんだな…。
それも17の誕生日になんて、何だか作り話みたいだ。
疲れた頭ではまるで人ごとのように思えた。
軍隊や刑務所に男同士の性行為があるとは聞いていたけれど、それとはだいぶイメージが違った。
それはもっと屈辱的で、暴力の延長上にあるものだと思っていた。想像するだけでおぞましく、一生傷になるような。
けれど実際は違った。
自分はほとんど何の抵抗もせず、苦痛どころかいいように快楽を与えられて、いとも簡単に身体を許してしまった。
許す、という言葉でさえ罪悪感があるほど、完全に溺れていた。
もしこれが女だったら、尻軽だと噂されても仕方がない。
シャワーの水音が止まり、バタン、とドアの閉まる音が聞こえてリキッドは飛び起きた。
隊長が戻ってくるかもしれない。
自分の身体が冷えた体液で汚れている事に気付いて焦る。が、ドアはどこかで一度開き、そして閉まった。
それきり、ハーレムが姿を現すことはなかった。
テーブルの上には灰皿と煙草の箱、ボトル。そしてあの男が唯一脱いだ、右の手袋がのこされていた。
 
ハッピーバースデー、リキッド。
親父の声が聞こえた気がして、なぜか泣きたくなった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
end.