以上、11名





アルバート番外編
「アフター ザ イレブン」




ぱちん、ぱちん

広げた新聞紙の上に、11歳のちいさな白い爪が散らばっている。
どたどたと、廊下を走る足音がこちらへ近づいてくる。

「雲水ー!ちょっと待っててー」

ぱちん

家のどこかで聞こえる弟の声を聞いて、雲水はふと顔を上げた。
俺は何を待つのだろう。
古新聞にちらばった、自分の爪を見る。
やがて、すたん、という音を立ててふすまが開いた。

「あれ」

そこにはハーフパンツにサッカーシャツ、
ジャージとスポーツバッグを手に持った坊主頭の弟が、
驚いたような顔で立っていた。

「今日、練習じゃなかったっけ」

普段着で畳に座り、のんびりと足の爪を切ってる兄に、
練習着姿の弟は言った。

「練習だよ」

ぱちん

雲水はそう答えて、残った左の薬指と小指の爪に取りかかる。
そしてこう続けた。

「お前はな」

あと15分もすれば始まるサッカーの練習に、兄が急ぐ様子はない。
なぜ、自分だけ練習にいかなければならないのか。
阿含は不思議に思った。

「雲水は?」

阿含がそう言うと、雲水は銀色のつめ切りをたたみ、
ちらばった爪を包むように新聞紙をたたんだ。

「今日はだいひょうれんなんだよ」

だいひょうれん、てなに、と阿含が問うと、
雲水は代表だけがする練習の事だと答えた。
先日の代表メンバーの発表で、
サッカー歴ひと月の雲水は当然のように代表には選ばれず、
サッカー歴ひと月の阿含は、代表フォワードに大抜擢された。

「じゃあ、雲水いかないの」

驚いたように阿含が言う。

「行かないよ」

当然のように雲水は言う。

「じゃあ、俺も行かない」

ドサリ、とスポーツバッグを畳におろし、
阿含は畳に腰をおろした。

「なんで」

雲水の幼い表情が表情が怪訝になる。

「雲水だって行かないじゃん」

弟の阿含の表情もまた、不満げに曇る。

「いけよ」

「やだ」

「いけって」

「やだよ、俺ばっかり」

代表に選ばれなかった兄が、
口をへの字にまげた弟を睨んだ。

「なんでそんなに嫌なんだよ」

雲水はそう言うと、ぷい、と弟から顔をそむけた。
せっかく選ばれたのに、という小さなひとりごとは、
駄々をこねる代表選手に聞こえただろうか。

「雲水が行くならいいよ」

阿含は拗ねたように、口をとがらせた。

「俺は…代表じゃないんだから、行かないよ!」

聞いたこともない強い語気の兄の声に、
阿含の肩は、ビクリと飛び上がった。
どきどきと激しい心臓の動きが落ち着いてくると、
今度はふつふつと何かが沸いてくる。

「なんで雲水、代表じゃないんだよ!」

阿含の声は興奮でうらがえる程だった。
顔を真っ赤にして、兄の顔をにらみつける。

雲水は、ぽかん、とした表情で、弟の顔をみている様に見えたが、
その瞳には、精一杯すねる弟の表情は映ってはいなかった。



なんで、って。




雲水にはかえす言葉が見当たらなかった。

いや、正確にはたくさん見当たった。

俺はまだサッカーを始めたばかりだから、とか、

まだ下手くそだから、とか、

どちらかといえば、

普通は選ばれなくて当然なのに、

お前が選ばれるのがおかしい、とか、

でも、

どれも言いたくなかった。

雲水は、それでもこの弟に、
何か言わなければならないと思った。

「…いけよ」

なぜか、阿含の顔を見れなかった。

「……」

阿含は何も言わなかった。
雲水は自分の前に座った弟の、ハーフパンツから出た膝を見た。
膝の上で握りしめた拳が、ちいさく震えている。
やがて、その震える拳がおそるおそる開き、
そっと、ぎゅっと。
雲水のシャツを掴んだ。
雲水は、自分の服をしがみつくように握りしめた、
弟の顔を見た。

「!」

自分と同い年の弟のくちびるは、かさかさに乾き、
赤かった頬は蒼白にかたまって、
めいっぱいに見開かれた目は、すがりつくように雲水を見ていた。

なんだ?

雲水の目もまたみひらいた。
さっきまで駄々をこねていた、同じ弟の表情とは思えなかった。

ハッ…

阿含は脅えるように短く息を吸った。
雲水は注意深く弟の表情を見た。

気のせいだろうか、自分のシャツを掴む弟の手がぐんぐん伸びているような気がする。
雲水はいちど思いっきり目をつぶると、もういちど阿含の手を見た。
夢じゃない、気のせいじゃない。
阿含の手は、子供の手の形のまま、
大きさはすでに大人のような大きさだった。
雲水はふたたび阿含の顔を見た。

阿含の顔は、雲水が思ったよりも高い位置にあった。
黒目が、めまぐるしく動いていた。

この瞬間にも巨大化していく自分の腕を見、

遠ざかる畳を見、

みるみる小さくなっていく、

兄の姿を見た。

阿含は、脅えていた。
見開いた目から、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
阿含は、雲水のシャツにしがみつき、
声にならずただ、首を振った。



やだ。

いきたくない。



その目はそう訴えていた。




(弟が、連れていかれる





雲水はなぜかそう直感した。



「阿含!」


雲水は自分のシャツを掴む、阿含の拳をにぎった。
不思議な事に、大人よりも大きくなっているはずの阿含の手は、
雲水の手のなかにすっぽりとおさまってしまった。
叫ぶように、雲水は言った。

「やめよう!サッカー」

真っ赤な目から大粒の涙をいくつもぼろぼろと落としながら、
阿含は力いっぱい、何度もうなずいた。
膝の上で握りしめてた右手を伸ばして、左手と同じように雲水のシャツを掴むと、
シャツごと雲水を引き寄せるように、坊主頭を兄の肩にうずめた。

「やめる」

やっとの事で出した阿含の涙声は、あまりに小さく、
兄のシャツにすがりついて泣く彼の姿は、あまりにも幼かった。

その日ふたりは、少年サッカーを揃ってやめた。
穴のあいた代表フォワードは、他の少年がつとめる事になるだろう。


end.


060301
ReheaRsal/北川