「45点」





その後の部活はさんざんだった。

盛大に転ぶ、何でもないところでボールは落とす、最終的には突き指だ。
「アイシールドは今日チョーシが悪りィんで、帰るんだそーだ」
と、ヒル魔さんに「部活強制退去勧告」を出され、すごすごと部室へ戻り、「主務Tシャツ」に着替え、
今ぼんやりと夕暮れの部室の椅子に、腰掛けている。

今日、どうしても彼を目で追う自分を、止められなかった。
細いけれど、引き締まって筋肉質な長身。
強引だけど、絶対的なリーダーシップ。
犯罪ギリギリの頭脳。

それに…あの声。
あの声がまとわりついて、離れない。
むしろ、そのまとわりつかれる事に溺れてる。
目が離せなかった。彼のような人になりたいのかな僕は。
でもあり得ない。あんな人、あの人以外どこにもいない。
強いて言えば、あの人になりたい。…それも、違うかな。
そんな思考がとめどなく流れ出て、冷えた部室の椅子から動けずにいる。

「コラ、糞チビ。主務サボっていいってダレが言った」
部室の戸が、がちゃりと開いた音もなく、彼はそこに立っていた。

「ヒル魔さん…」

「…」

「…」
「あンだよ。今日のテメーは…」
「…ル魔さん!!ってあの、英語上手なんですね。びっくりしちゃいました!
今日たまたま通りかかって聞いて…その、…英語!!英語僕に教えてくれませんか?」
なんだろ、口が止らない。

「……ア?」
「こっこの前の中間、ぼ、僕45点でっ!で、あの…」
「んで?」
「で…。」
「この俺様にカテキョをしろ、と?」
「すっ、すいません!あ、う、じょ、冗談ですよ!」
「…」
な、何言ってんだ僕…。完全に挙動不審だ。ヒル魔さんにか、家庭教師なんて…。
つい、何か言わなくちゃと思って…45点は本当だけど…。ああもう、嫌だ!馬鹿みたいだ、一人で!

ただ…。
ただもう一度、あの声が聴いてみたい。

「45点てのは…本当か?」
はい、本当です…。
こくりと、うなずく。
怒ってる顔はよく見るけど、ヒル魔さんのあきれた顔…初めて見る…。
その目が僕に向けられてる事がやりきれない。
墓穴掘った…その墓穴に走って飛び込みたいくらいだ…。

「いいぜ」

え?

「それでアイシールドが戻ってくんならな。」

アイシールドが…。

「ただし俺は貴様のウチには行かねぇ。親ウケわりィからな。場所はココ。時間は部活の後。いいな。」
「…」
「返事はどうした!この糞45点!!」


駄目だ…。
手が震える…自分の字じゃないみたいだ。
顔が熱い。
僕の体のまわりにだけ、熱い空気の層ができてるせいだ。
僕が動くとその熱も一緒に着いてきて、逃れられない…熱い。

「出来ました…。」
ここはさっきと同じ部室。
でももう陽は沈み、練習を終えた部員のみんなは、40分ほど前にみんな帰ってしまった。

今はヒル魔さんと、僕の二人きり。
練習問題を解く僕の手が、なぜこんなに震えるのか。今は考えがまとまらない。
「ここはdoingじゃなくて、to doの方が正しいな。」

doing

時々、ヒル魔さんの口から発せられる英単語に、思わず息を詰めてしまう。
大きくて重い物に、ぐっと押されるような痛みが胸に走るから。
息苦しいような、でも、もっと欲しいような。

ヒル魔さん。

なんて真剣な目なんだろ。
アメフトの為、だもんね。
アイシールドがあの様じゃ駄目、だもんね。
自分の能力を、ここまで買ってもらったのなんか、生まれて初めてだ。
大切にしてくれる人はいたけれど。
誇らしい。ってこういう気持ちを言うんだろうな。でもそれと同時に情けない。
…でも、嬉しい。

でも、
なんだろ、なんかちょっと…。

「聞いてんのかよ、糞45点。」

「す、すいません!」
全然聞いてなかった…。

45点…。
成り行きとはいえ、自分で頼んでおいて聞いてなかった…。
「…駄目ですね。アイシールドなのに、僕…。」

なんでだろう。ヒル魔さんは何も言わない。
でも、何を考えているのか、その顔を確認することが出来ない。
行き場のない右手のシャーペンを握りしめる。


急に
世界が暗転した。
驚いた。
けれど、まぶたにあたる温かさで、それがヒル魔さんの手だと気づいた。
目隠しされてるんだ。
何?何が起こるんだ?ヒル魔さんは何も言わない。不安で、僕は何か言おうとしたのだけど。
なんだか
ヒル魔さんの気配が、急に近くなった気がする。
くちびるにかかる、熱い空気。

何か言おうとして開きかけた唇に、乾いて温かいものが、僕のくちびるに押し付けられた。

僕、キスされてる…。

初めてだけれど、それがキスだってすぐわかった。
人の唇って、こんなにやわらかいものなんだ。
でもなんで?どうして僕にキスを…?
目隠しはされたままだ。
ヒル魔さんの、おそらく右手、で押さえられているまぶたが熱い。今日はあつくなってばっかりだ、僕。

唇をおしのけて、思ったより大きく、ぬるりとした物が侵入してきた。
まるで意志を持った生き物だ、僕の舌にからみつく。
その生き物は、絶えず動いているのに、僕を捕まえて話さない。
ヒル魔さんの舌が、僕の口の中で大きくうねるたび、歯と歯がぶつかり合う。
視界を奪われた僕の耳に、乾燥した無音の部室に響きわたる、濡れた音がやけに大きく、
僕の全身の血が冷たくなる気がする。
なのに、シャーペンを握りしめた右手にぬるっとするほど、汗をかいてきている。
舌が不自由だとこんなにも、呼吸が難しくなるなんて。

「ハアっ…」

ヒル魔さんの口の中にはき出した、自分の息がこんなに熱い。
嫌だ、僕今どんな顔してるんだろう。

ひとつの生き物は、しずかに僕を離れた。
ヒル魔さんの唇が離れた途端、僕の濡れた唇が、ひやりとした外気を感じた。
やがて世界が明白になった。

まぶしい蛍光灯の光に照らされた、彼の顔。
熱を帯びた目もとは、僕を見つめ。
かるく開いた唇からは、静かだけれど速い呼吸の音だけ。
けれど、言葉という信号ではない、

気持ちが


ダイレクトにわかった。


でもあえて、僕は言葉で返事をした。


「僕も」




火照った息に押しだされた僕の声は、少しかすれていた。




ヒル魔さんのこと」












好きです。










end