2500HIT
戦況はすこぶる悪い。
俺は背水の陣だ。
敵は矮小で、ビビリで、その上ちょっと強く出られると何でも言いなりになる、
イヌにも劣る軟弱野郎。
けれども奴は恐ろしい兵器を持っていた。
その兵器は静かに音もなく領土に侵略する大量殺戮兵器。
気が付いた時には手遅れだった。
兵器の詳細未だ不明。
残る作戦はただひとつ。
カミカゼ
「ヒル魔さん、帰らないんですか?」
腫れ物に触るように、そっと肩を揺すられた。
暗い。俺の勘だと19:30といったところか。
だが部室には電気が通っている。当然の事だが、改装される前から通っていた。
だが暗い。しかし暗闇でもない。
プロジェクターだ。スクリーンに反射したNFLの映像だけが煌々と明るい。
そうか、このチビにせがまれてNFLのビデオをここで観てたんだ。
俺は何十回と観たそれ。途中から睡魔に任せて眠っていた。
「終わったのか?」
俺は眩しすぎるスクリーンを無理やり見つめて聞いた。
「はい。でもどうやって止めたらいいのかわからなくて」
この歳になって停止ボタンの■もわからんのか、と思ったがリモコンは俺のポケットに入っていた事を思い出した。
思い出したがなんとなく止める気にもなれず、ぼんやり映像を眺めていると、テーブルでコトッという音がした。
「飲みますか?」
コーヒーカップが置かれ、その中には黒い液体が沈み、表面には光が浮かんでいる。
寝起きのコーヒーの香りに俺は満足した。
「気がきくじゃねぇか」
手をのばし、熱いインスタントコーヒーを飲んだ。
食道を通り抜け、胃にしみ込むのがよくわかる。
奴は俺の向かいに座り、カップにミルクと砂糖を入れ、丹念にかき回している。
ちょうどスクリーンに背を向けた感じで座り、右肩と右頬が少しスクリーンに重なって、
奴の白くまるい頬やワイシャツの白い肩に、流しっぱなしのNFLの映像が色とりどりに映りこんでいる。
逆に左半身は暗がりで、良く見えない。
一体どんな顔でそんなにしつこくコーヒーをかき回しているのか、俺は目を凝らして見ようとした。
ただひたむきに、コーヒーと砂糖とミルクが溶解しあうのを望んでいるように見える。
幼い顔だ。乳くせぇというか。
ただし、この顔にアイシールドが重なった瞬間。マンガみてーに変身する。
俺のもとを離れたボールが、物凄いスピードで遠ざかるのは爽快だ。
そのアイシールドを、俺とごく少数の部員の前で外すとき。
俺は撃たれる。問答無用に一発喰らう。
しまった。
まただ。
俺は知らず、今まさに追いつめられていた。
そう悟った瞬間、身体に汗が浮かぶ。
戦況を打開しなくては。このままでは敗色が濃い。
今、やらなくては。
立ち上がり、テーブルを半周し奴のそばまで行った。
「あ、帰ります?」
奴はもうコーヒーをかき回すのはやめたらしい。片手にカップを持っている。
俺はおもむろに奴の肩を掴み、思いきり押した。
奴の手に持っていた熱い液体が大きく揺らぎ、俺の髪や、首筋にかかった。
一瞬遅れて音がして、奴は床に転がった。
押し倒す、というより張り倒すの方が正しい。
すぐに転がった奴の身体に跨がり、俺はやすやすとマウントポジションを取った。ちょろいもんだ。
奴は椅子の背で、背骨を打ったらしく顔を歪めているが、そんな事には構わない。
奴のシャツの合わせを指で確認すると、一気に左右に開いた。
ブチブチというボタンの飛ぶ音が意外にでかく、AVみてーだと苦笑した。
奴は背中の痛みに気を取られながらも、自分の状況を把握しようと目を見開いて、
自分の破かれたシャツを見た。
俺の髪から滴り落ち、奴の素肌の胸に落ちた茶色い点を見た。
さあ、ビビれ。嫌悪しろ。敗走しろ。
それで全て俺の勝ちだ。
これ以上、俺はお前に支配されはしない。
だから。
俺ははだけた薄い胸に乱暴に手を這わせた。
もう片方の手で、奴のベルトに手を掛ける。
身体が跳ねた。
瞬間、俺は勝利を確信した。
耐えられず笑みが零れた。
お前の拒絶の表情は、俺にとっての大将首だ。
俺はその首を取りに、視線を奴の顔に走らせた。
奴は、見てた。
真っ直ぐ俺の目を見てた。
負け犬の目じゃない。
「僕は」
声は少し震えていた。
ゴクリと喉が鳴った。
「僕はこわくありません」
瞳に涙が浮かんでいた。
そう感じたのは、自分へのせめてもの慰めか。
泣いていようがいまいが、俺はもう身体が動かない。
コイツにかなわない。
敗者の心情は意外にも従順だ。
俺は脱力した。
降参・・・だ。
「え?」
俺の下の小さな身体が身じろいだ。
デケェ。こんなチビのくせに。俺の中でこいつの占める存在感は恐ろしくデカい。
征服された。俺の、負けだ。
「降参だ、降参。完全降伏だ」
俺は奴の身体から降り、床に座り込んでヤケ気味に吐き捨てた。
何がですか?と打った場所をさすりながら身体を起こした。
俺の必死こいて練った最後の反撃は、せいぜいボタンをひきちぎった事と、
その胸に水滴を落としたくらいだ。
畜生。
髪がコーヒーくせぇ。水滴がボタボタ落ちてくる。
冷えてきて冷てぇ。この分だとシャツまで染まってやがる。
情けねぇ。結局俺はコイツになんのダメージも喰らわせず、自分から負けに行ったようなもんだ。
俺は奴を睨みつけた。あの強い眼差しはどこへやら、いつも通りビクッと怯んだ。
何がなんだかわからねえって目だ。ホントに分からねえのか?
普通さっきので察するだろうが。
畜生。
もういい。俺の領土は全部テメーにくれてやる。
ただし。
テメーの領土はこれから俺が根こそぎ奪う。
作戦開始だ。
_____
end.