だいじょうぶ。自分の脚を信じてる。
だいじょうぶ。このまま行けば、きっと間に合う。
だいじょうぶ。もうずいぶんと引き離した。
渋谷まであとすこし。
セナの脚は快調に246を飛ばしていた。



Go! SENA Go!
Vol.5“last spurt




「ハァ・・・ハァ・・なあ・・・ケンジ、まだかよ!?」
ツイストパーマの若者は、10メートルばかり後方にいる仲間に向かって叫んだ。
「わっかんね・・・ハァ・・電話、通じねえ・・・」
ツイストパーマに呼びかけられた軍物のジャケットを来た若者は、息もきれぎれに答えた。
池尻大箸、渋谷間の246を彼らはすでに半分以上を走破している。
だんだんと人が増え始めた。あと数分こうして走り続ければ、すぐに渋谷ひとごみに突入する。
現在追跡中の少年との距離は100メートル以上に広がっている。
少年はこれまでスピードを上げるでもなく、一定の速さで走り続けている。
一方こちらは長い長い上り坂に完全に息が上がっている。
差が開くのはこちらのスピードが落ちているせいだ。
「もう、いても・・・いい頃・・・だけどな」
軍ジャケットは自分の体力の限界を感じた。
(ケンジ)との電話のあと、軍ジャケットの読み通り、
少年は246をまっすぐ渋谷に向かっていた。コース変更はしていない。
本当だったら、とうの昔に渋谷方面から(ケンジ)が姿を現しているはずだ。
ところがもう渋谷に着くというのに(ケンジ)は姿を見せないばかりか、携帯電話にさえ出ない。
(ケンジ)の身に何かあったと考えた方が妥当だろう。
軍ジャケットは前を走るツイストパーマのずっと先の少年を見た。
遠いため(カネ)を確認する事はできないが、
紺のパーカと背中に背負った黄色いバッグのコントラストのお陰でまだ見失わないでいられる。
(ケンジ)の救援が期待できないとなったら、なんとかして自分たちで捕まえなくてはならない。
渋谷の雑踏に入りつつある。 事態は一刻を争っているが、追いつけないものは追いつけない。
まずい。非常にまずい。
ついに渋谷駅の歩道橋が見えてしまった。その奥には(日曜の渋谷)がひしめき合っている。

追いつけなかった。

ケンジは来なかった。

目の前に広がるのは人、人、人。

少年はすでに歩道橋をのぼり始めている。

降りたが最後、彼を捕まえる事は叶わない。








世間一般の人間がそうであるように、セナはひとごみが苦手だ。
思うように歩けないし、すぐ人にぶつかるし、靴のかかとを踏まれて転びそうになる事だってある。
そのひとごみを見て、これほど安心した事があるだろうか。
渋谷ハチ口前の歩道橋の上からは、掃いて捨てる程の人間でできた海だ。
セナは歩道橋の上を走りながらも、眼下に広がる人間のさざ波を眺めた。
この豆粒のような人間ひとりひとりが、自分を救うのだ。
この歩道橋さえ降りてしまえば、あとはもう心配することなど何ひとつない。

「持ってねぇっつってんだろ!!」

日曜の午前に相応しくない声が、歩道橋の階段を降りかけたセナの耳に届いた。
セナは歩道橋の階段を降りかけて、立ち止まった。
見たことのある姿を認めたからだ。

大柄な身体に、短い金髪。

池尻大箸駅でまいたはずの あの若者だ。彼は渋谷に先回りをしていたのだ。
・・・・ただ何か様子が違う。
若者は、昼間ではあまり見かけないタイプの人間に囲まれていた。
歳は若そうだが、鋭い眼差し、派手なシャツ、特殊なヘアースタイル。
そう、まるでヤクザのような。

「オレじゃねぇんだ!取られたんだよ!」

若者は必死に声を張り上げているが、
その身体は歩道橋の下に止められている黒塗りの車に、半身押し込まれている状態だった。
今階段を降りるのはまずい。セナは直感した。
少し若者を哀れにも思ったが、彼が完全に車に詰め込まれてから降りた方が懸命だろう。
若者は暴れてはいるが、多勢に無勢。時間の問題だ。
けれども後の二人組の事もある。セナは後を振り返った。


「わーーーーーーーーっっ!!!!」


振り向いたと同時に、セナは絶叫していた。
ずいぶんと引き離しておいたはずの若者二人は、
すでにセナの5メートルばかり後に迫っていたのだ。
二人とも肩を揺らして息をしている。顔色も悪い。
けれども彼らは「まて!」などと叫ぶ事は決してしなかった。
セナがこちらに気付いていないのなら、あせらず走らずゆっくりと後から忍びより、金を奪えばいいのだ。
「やっと・・・おい、ついた」
軍ジャケットの若者は途切れがちに言い、そしてにやりと笑った。
その笑顔は改札口で見せた笑顔とは全く異質のものであり、
セナは背筋につめたい汗が流れるのを感じた。思わず階段を一段下にあとずさった。
「あいつだ!あいつがカネ持ってる!!」
セナは背後から聞こえたその声に、おそるおそる首を捻った。
歩道橋の階段の下、黒塗りの車は、まだ走りだしてはいなかった。
後部座席のドアもまだ開いたままだった。

「見ろよ!ほらっ!!」

後部座席からチンピラをかき分けるようにして身を乗りだし、指を差す金髪の若者の姿があった。
若者の指さす方向に、4人ばかりのやくざ者の目線が集まる。

4人のやくざ者。

金髪の若者。

背後の2人の若者。

まさに前門の虎、後門の狼。

すべての視線は、セナひとりに集まった。


ゴクリ。


ありえない危機に、セナは唾をのみこんだ。

カツ。

階段の下から、足音が聞こえた。
もう、条件反射としかいえなかった。
とにかくこの場を脱出したかった。
無謀なことはわかっていた。
歩道橋の下は、駅のロータリーに出入りするバスやタクシーしか走っていないにしても、
地上何メートルだろうか落ちたらタダでは済まされない。
けれど人間というのは極限の恐怖状態では、とんでもない事をしでかすものだ。
セナは歩道橋の欄干に飛びつき、上半身を思いきり乗りだした。

高い・・・!

道路に映る歩道橋から乗りだしたセナの影は、思いのほか小さかった。
若者や、チンピラ達が、セナに向かって叫び、走ってきた。
けれどもセナの耳に届くその音は、壁の向こうの音楽の様に遠かった。
セナがかろうじて感じられるのは、はるか下の道路を走るタクシーの屋根と、
そこにうつる自分のちいさな影。
それと、長方形の紙吹雪。
なんだろう。セナは思った。
まるでその紙吹雪は自分の影の頭上からふりそそいでい様に見える。


ぱらり


ぱらり


急に鮮明な音が聞こえた。。


「あーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」


その絶叫に、セナは我に返った。
階段を駆け降りる音がした。逆に上ってくる音も聞こえた。
セナの影の頭からわき出しているかのような紙吹雪の正体が、セナの目にもやっと映った。
折り目ひとつ無い、福沢諭吉の描かれた紙。すなわち一万円紙幣だ。
まさか!セナはいまだ歩道橋の欄干に身を乗りだしたまま、両手を肩へ回した。

かさり

セナの指先に、渇いた紙の感触があった。
その紙を掴み、目の前に持ってくると、セナは信じられない光景を目にした。
自分の握りしめられた手のひらから、幾枚もはみだす一万円札。
(カネ)だ。
でも何処に?
セナはおそるおそる、背中のフードを掴み、持ち上げた。
重い。

「拾え!!」
「バカ!こっちが先だ!!」
ダッダッダッダッダ
セナを中心として、チンピラと若者達が一斉に走り出した。
「テメェは下を回収しろ!」
チンピラの一人が下のものに怒鳴りつけた。
流石のセナも、両脇っから迫るこの人数をかわす術はなかった。

違う!

知らなかった!!

僕の背中のフードにそんな大金が入っていたなんて!!


「わぁーーーーーーーーーーーーーー!!!」


セナは緊張と恐怖ではちきれそうになりながらも、無我夢中でやった。
その時セナは完全にパニック状態であり、自分のしている事など理解してはいなかったであろうが、
多分、一番正しい行動であった。
セナは背中のフードに両手をつっこみ、掴めるだけの紙幣を掴み、投げた。
歩道橋の外へ。


「あーーーーーーーーーーっ!」


4人のチンピラ、3人の若者、計7人が同時に叫んだ。
セナはそんな事お構いなしに、いや、全く聞こえなかったのだろう。
フードに手を突っ込んでは掴み、掴んでは捨てた。
「なにしやがる!!下だ!拾えーーーー!!」
セナにあと一歩というところまで来ていたチンピラが、一斉に階段の下へ引き返した。
セナを追ってきた若者二人も、その声に弾かれたようにチンピラどもとは反対側の階段へ走った。
歩道橋の上には、セナがたった一人取り残される形になった。
歩道橋の下ではヤクザと若者がどつきあい、モメながら道路にちらばった紙幣を集めている。
彼らのお陰で通行を阻まれたタクシーやバスの、抗議のクラクションが鳴り響く。
すでにやじ馬が集まっていた。
それを認め、セナは階段を駆け降りた。階段のそばに止められていた黒塗りの車は、
ドアも開けっ放しに放置されていた。
セナはその車の横を通りすぎ、やじ馬を分け入り、震える膝で走った。




ビルとビルの間は谷間のように深く、その谷の底には川のようにアスファルトの道路が走っている。
コンクリート、鉄とガラス、それとほんの少しの緑で形成された街。
その谷底の道路を、ひとりの少年が走っていた。
午前11時すこし前。
すでに人とガスと煙に、朝の空気は消えはじめていたが、秋晴れが心地よい。
少年の足取りは軽く、時折うしろを振り返りながらも、どこかへ向かっているように見えた。




セナはあれからひたすらに走り、公園通りを通過し、代々木公園への並木道を走っていた。
誰も、追ってくる様子はなかった。
まるで、さっきまでの事が夢だったように渋谷は若い買い物客であふれ、流行の音楽が流れ、
とても混みみ合っていた。
いちょう並木はどれも黄色く、美しく、
たこやきやヤキソバの出店。 路上で歌を歌うもの。それを眺める人々。
セナはそのお世辞にも上手とはいえない歌声を聴きながら、次第に速度をゆるめた。
歩くようなスピードで、息を整えながら、公園入口の車止めにセナは腰掛けた。
目の前には今通ってきたいちょう並木がまっすぐ伸びている。
パーカーの袖をまくって腕時計を見ると、待ちあわせ時間ちょうどだった。は
並木道の向こう、後の公園、売店、知った姿はない。
色々あったが、セナは待ち合わせに間に合ったのだ。
一安心とばかりにセナはおおきくため息をついた。
「良かった・・・・」
セナは眼前のいちょう並木をながめて、ひとりつぶやいた。
額からは汗が流れ落ち、髪がはりついている。
まだ心臓はどくどくと暴れていて、少し手が震えている。
視線は並木道の向こうへ据えたまま、震える左手を震える右手で押さえた。
やっと呼吸が落ち着いてきた。鼓動の速さも、ずいぶん平静を取り戻してきたようだ。
それでも流れ落ちる汗はとまらず、指先で額を拭った。
幸い風は涼しく、汗だくになった肌に心地よかった。
手を扇かわりにしてあおいでいたセナが、突然、立ち上がった。
並木道の向こうに、知った顔を見つけたからだ。
セナは立ち上がり、もういちど時計を見た。
待ち合わせの時間から3分ほど経過している。
あの歩調でくれば、ちょうど5分の遅刻で到着するだろう。
彼は、いつも必ず5分きっかり遅刻をする。多分ワザとだとセナは思っている。
理由はわからないけれど。けれどセナはその5分がとても好きだった。
自分にゆっくり近づいてくる、あるいは突然姿を現す、その瞬間が好きだからだ。
彼は、ゆっくり、ゆっくり歩いてくる。
まるで5分の時間調整でもしているかのように。
もう、彼の表情が見て取れる距離。けれどもまだ挨拶をするには遠い距離。
充分な距離まで近づいて、彼はいつもと同じように言った。

「早えぇな」

その言葉を聞くと、セナは彼の側まで駆け寄った。
「おはようございます!僕も、今来たばっかりです」
「走ったのか?汗だくじゃねぇか」
彼は汗で額にはりついた髪を、長い指先で撫でた。
「はい、少し・・」
セナは恥ずかしそうに、頭を掻いた。
「じゃあ、先にメシだな」
彼はセナの汗を見て、喉が渇いているだろうと思い、そう決定した。
「ん?」
歩き出そうとした彼は足を止め、後にのけ反ってセナの背中に手を伸ばした。
「オイ、スゲー財布だな」
そう言って彼がセナの前に出した物は。

「あっ」

誰の手垢もついていないようなまっさらな新札の、一万円紙幣だった。

「なんだってこんなトコに入れてんだ?」
そう言って彼はセナのフードを指で軽く引っ張っり、一万円札をセナに手渡した。
「いや、あの、急いでたって言うか、夢中だったっていうか」
セナはしどろもどろに言った。
「どうでもいいがな。メシ、行くぞ」
彼は追及せず、セナに手を差し出した。
セナは一瞬ためらい、それからおずおずと差し出された彼の手を握った。
「あのっ、蛭魔さん」
歩き出した蛭魔に手をひかれながら、セナは言った。
「あ?」
蛭魔は振り向くでもなく、前を見たまま答えた。昼飯の場所でも模索しているのだろう。

「今日は、僕がごちそうします!」

セナは一万円札を握りしめたまま、言った。
ぴくり
蛭魔の長い耳が動く。そしてセナを振り返りる。
「臨時収入か?」
蛭魔の顔はニヤリと笑って言った。
「そ、そんなところです」
セナは、照れ臭そうに、笑って答えた。


彼がいるなら、もう何も怖いものなどないのだ。
これは、きっと臨時収入なのだ。
きっと、これから食べるご飯はさぞおいしいことだろう。









end.


お疲れさまでしたーーーー!
これにて「GO! SENA GO!」はおしまいです。
ここまで読んで下さってありがとうございます・・・・!