?月?日






午前6時7分。
僕は先週の日曜、ご飯も食べずに一日中歩き回って買い物をした。
黒のリストバンド。
そのリストバンドの入ったリボンの付いた小さな紙袋は、数日僕の部屋の机の引き出しにしまってあったんだけど。
今朝僕はその引きだしを開け、そっと紙袋を取りだし、しばらく眺めてから鞄に入れた。
鞄のジッパーを閉じようか、それともこの紙袋をまた引きだしにしまおうか、
悩んでいたら玄関先からモン太の声が聞こえた。
「セナ、カゼか?」
少し小走り気味に歩きながら、モン太が尋ねてきた。
「え?元気だよ?」
僕の語尾に付けられたハテナマークは少しわざとらしかったかもしれない。
「なんか元気ねーけど」
モン太が言った。
嘘はついていない。僕は喉も痛くないし、身体もだるくない。だから風邪をひいてはいない。
けれど、モン太が(風邪)かどうかという事ではなく、
(いつもと様子が違う)という意味で言ったのなら嘘になるかもしれない。
今日僕は朝ご飯もほとんど残したし、寝たのは明け方だった。
極度の緊張状態なんだ。ずっと。
もしこの鞄の中の紙袋を引きだしにしまって来ていたら、多分この緊張から開放されたんだろうけど。
でも僕は持ってきてしまったわけで。
持ってきてしまったという事は、この紙袋を渡さなくてはいけないわけで。
渡すときの事を考えると、胸が詰まる。手のひらに汗が滲む。
本当は考えなくちゃならない事があるんだけど、何も考えられなくなる。
この紙袋を今日、どうやって渡そう?
朝一番っていうのも何だし、わざわざ休み時間に渡しに行くのもおかしいし、やっぱ放課後かな。
部活前か部活後。でも、どんな顔してたらいいんだろう?
多分こんな真剣な顔してたら駄目だろうな。もっと自然に、軽く・・・僕にできるだろうか?
駄目だ、またモン太が僕の顔を見た。多分すごく不自然な顔してるんだ、僕。
とりあえず、今は朝練に集中、集中。


午後3時45分。
お腹が減った。
今日はまもり姉ちゃんがお弁当くれたんだけど。
ベーコンの巻かれたアスパラとか、ごま塩のかかったご飯とか、
すごくおいしそうだと思ったんだけど。
どうしても飲み込めないんだ。
なんかこう、ゴワゴワパサパサして。
口が乾いてるのかと思ってウーロン茶を飲んだんだけど、やっぱ駄目で。
そのうち疲れちゃって、半分も食べられなかった。
でもお腹は減ってて。
これから部活大丈夫かな。倒れちゃったりしなければいいけど。
いや、倒れちゃってもいいな。
そしたら部活早引きして、家に帰って、今度はご飯をちゃんと食べて、寝たら明日になる。
明日になればこの紙袋の事はもうチャラだもの。
そんな事考えてる時は決まって大体、倒れたりしないものなんだけどね。
そろそろグラウンドに出て、ウォームアップ始めなきゃ。
今日はまもり姉ちゃん委員会でいないから、僕がストップウォッチ持っていかないと。
部活前は渡せなそうだな。だって、まだ来てないんだもの。仕方ない。
胸を撫で下ろすってこういう事だろうな。
彼が来ないわけじゃないし、あの紙袋から開放されたわけじゃないのに、僕は心から安心した。
早くグラウンドに出よう、もたもたしているうちに来ちゃうかもしれないし。
取りあえず今は部活に集中、集中。


午後7時52分。
もうへとへとだ。やっぱ人間はご飯食べないと駄目なんだな。
ランニングの時点で息が切れてしまって、焦った。
僕は今部室に帰って来てみんなと一緒に着替えてる。
わざとゆっくり、服をもてあましながら。
タイミングをね、待っているんだよ。着替えながら。
じゃあ、どんなタイミングになったら僕が鞄を開けて、
あの紙袋を取りだすのかって言われたらそれはまあ、ちょっとわかんないけど。
「ヒール魔!!」
いなくなったと思っていた栗田さんが、いつの間にか戸口に立っていた。
後に何かを隠しているようだ。
「誕生日おめでとー!」
栗田さんの大きな背中から出てきたものは、栗田さんだから背中に隠せた大きな箱だ。
「・・・・・」
ヒル魔さんはちょっと居心地の悪そうな顔で、栗田さんの取りだした箱を見た。

そう、今日は彼の誕生日。
栗田さんはその箱をヒル魔さんのいるテーブルへ運んだ。
「えー!ヒル魔先輩今日誕生日なんスかー!」
モン太がテーブルに駆け寄った。
「ふふ、そうなんだよー」
栗田さんはテーブルに置かれた箱の蓋を固定しているシールをはがした。箱の形からすると中身は・・・。
「じゃーーん!シャノアール特製、無糖ケーキ!!」
栗田さんが開けた箱の中には予想通り、巨大なケーキがでん、と鎮座していた。
無糖?そんなケーキあるの?ちょっと驚いた・・・。
ケーキはちいさなウエディングケーキみたいに、三段になっていて、
一番上の段に(おたんじょうびおめでとう よういちくん)というチョコレートのプレートが乗っている。
「スッゲー!」
モン太が上から下から方向を変えてケーキを眺めている。
ヒル魔さんは、初めて見る生き物を見るようにそのケーキとプレートを眺めた。
「さ、さ、食べよう。みんなも!甘くないけど・・・おもしろそうでしょ」
その後その場にいた部員のみんなと、無糖ケーキを食べた。
無糖のケーキなんて想像できないと思うけど、なんていうか凄い不思議なモノだった。
見た目も食感もケーキなのに、ケーキだっていう味を見事に裏切るんだ。
甘くない、っていうか味がない。
でも気分は出たでしょ、と栗田さんは笑った。
ヒル魔さんはなんかブツブツ言ってたけど、自分の皿に盛られたケーキを残さず食べた。


午後8時47分。
「あーなんか胃がもたれるー」
そう、無糖ケーキは意外にこたえた。
モン太でさえもたれているのだから、今日ろくに食べ物を口にしていず胃が縮まっているのか、
僕はなんかもう家に帰って夕飯を食べる気になれない。
商店街を抜ければもうすぐ泥門前駅に到着する。今日は随分遅くなってしまった。
商店街はすでにシャッターが降りている店が多い。
僕の鞄は朝と変わらず、あの紙袋を閉じこめている。
渡せなかったんだ。
だって、モン太とかヒル魔さんの誕生日知らないのに、
僕が知ってるってなんか・・・変じゃない?しかももうプレゼントまで用意してるし。
それでなくてもあの(巨大無糖ケーキ)のインパクトの後に、こんなちっぽけな紙袋出せないよ。
「でも栗田さん良く考えたよなー。誕生日っつたらケーキだけど、ヒル魔さん食えねえし、
無糖ケーキ特注とはなー。そこまでして祝いてぇってキモチがいいよな」

あ、今刺さった。なんか僕に。
そっか。僕が誰にどう思われるとかじゃないんだ。
今日はあの人が生まれた日で、その事を僕がどう思うかなんだ。
うん。
凄く嬉しい。
あの人が生まれてくれて。今日まで元気でいてくれて。
それを、僕も祝いたい。

「モン太、僕学校行ってくる。先帰ってて」
肩にかけていた鞄のストラップをぎゅっと握りしめ、商店街をダッシュで逆戻りした。
オーイ!どうしたんだー?とモン太が呼んでいるけれど、僕は振り返らず走った。
ヒル魔さんは僕らより早く来て、遅く帰る。部室に泊まる事も多いみたいだ。
だからって今日は誕生日だし、今日も部室に泊まるとは限らない。
でも、僕とモン太が部室を出たとき、ヒル魔さんはまだ残ってた。走ればまだ間に合うかもしれない。
商店街を逆に抜け、僕は学校前の坂道まで猛ダッシュで走って来た。
坂の上は暗く、頂上に学校の巨大な影が浮かんでいる。
あそこまで行けば、きっとヒル魔さんに会える。
寝不足、食事抜き、部活後とあって僕のコンディションは最悪で、
駆け上がる事も多いこの坂道で僕のスピードは途端に落ちた。
でも急がなきゃ、今日渡さなくちゃ、今日言わなくちゃ。
まだ坂道の中ほどあたりで、僕が坂道にさしかかってから誰にも会わないけれど、
きっと部室には明かりが灯っている。お願い、灯っていて下さい。
そう僕が祈った瞬間、突然目の前に何かが現れた。
僕は驚いて急ブレーキをかけた。

「何してんだ、オマエ」
暗い坂道に浮かび上がった、白い金髪。
「ヒル魔さんっ」
突然登場した彼に、僕はまだ心の準備が整っておらず、動揺した。
そりゃあ、ヒル魔さんに会うためにここまで引き返して来たわけだけど、ちょっと急すぎるよ。
「セナ?忘れ物?」
びっくりしすぎて見えていなかったけど、ヒル魔さんの横にはもう一人いた。
まもり姉ちゃん。
なんで、どうしてまもり姉ちゃんがここに?
「私委員会の仕事片づけてて・・・その、遅いし、ヒル魔君ちょうど帰るところだったから・・」
僕がまだ尋ねてもいないのに、まもり姉ちゃんはしゃべりだした。
僕はヒル魔さんを見た。
暗がりに浮かぶヒル魔さんの顔は、白くて、怖いような、でも凄くきれいだった。
「忘れモンか?」
ヒル魔さんがあきれた様に言った。
忘れ物、といえば忘れ物かもしれないけど、僕はあなたに用があって。
ふと、視線を落とすとヒル魔さんの手から、紙袋がさがっている。
その中に覗く青いリボン。
さっき部室には無かったもの。
ふと、まもり姉ちゃんの顔を見る。
まもり姉ちゃんは僕の視線の先に気付いていた。それでもまもり姉ちゃんのセリフは、
「忘れ物ならセナ、一緒にいこっか?」

まもり姉ちゃんが、あげたんだ。
ヒル魔さんに誕生日プレゼント。
僕は急にいたたまれなくなって、なんか無性に悔しくなって、俯いた。
鞄のストラップをぎゅっと握りしめ、鞄を抱えなおした。
「セナ?」
まもり姉ちゃんの心配そうな声が、余計僕の歯をきしませた。
「大丈夫、ひとりで行けるよ」
あんなに朝心配していた(自然なふるまい)が、思いの外簡単に出来た自分にすこし、驚いた。
「そう?」
まもり姉ちゃんの声を聞こえなかった振りをして、僕は一歩坂道を登った。

「また明日」
そう言ってもう一歩、坂道を上る。
二歩、三歩、四歩と僕はスピードを上げた。
きっと二人はまだ僕の後姿を見ているだろう。
だから、もっと速く走りたい。
二人から見えない所まで。

もっと遠く、速く。






end.