"ブルー・ハワイ"




一歩ふみだすごとに、一足980円の青いビーチサンダルが焼けた砂にしずむ。
汗のしみ込んだTシャツを、照りつける太陽が即座に乾かしてしまう、そんな空の下。
雲水は色とりどりの水着と、満開のビーチパラソルと、
その向こうに広がる無限の海に向かって良く通る声を潮風にのせた。

「あごーーーん」

かなりの数の海水浴客たちが何事だろうと雲水を振り返る。
炎天下、海水浴場は今日も満員。

三角ビキニに人さし指をひっかけて、日焼けの境目をのぞきこんでいた彼は、その砂浜にいた。
風にのってやってきた自分を呼ぶ声を振り返ってみれば、
白いタオルを頭に巻き、無地のTシャツ、学校指定のハーフパンツ。
上から白、白、黒というおきまりのカラーリングが、砂浜のむこうにマッチのように突っ立っている。
彼はこのウジャウジャとした海水浴客の大海原から、こちらの姿を見つけているようだ。
今まさにビーチ中の注目の的である合宿中の高校生、雲水は、
半裸でうかれる俗世の衆生などまるで目に入らないといった涼しい顔つきで、
しかし心底めんどうくさそうに、必要最低限に続けた。

「メーーーシーーー」

彼はたぶん、強い陽射しの中、はしゃいだ若者をかきわけ、
わざわざここまで歩いてくるのが面倒くさいのだろう。
阿含はぱちんという音をたてて、レインボーカラーの三角ビキニから指を離し、
その手を山の頂から叫ぶように口のそばに添え、昼飯のためにわざわざ自分を呼びに来た兄に応えた。

「あいよーーーー!」

今度は阿含がビーチ中の視線を独り占めにする番だ。

今日も天下は夏休み。






「やけたわねー、阿含ちゃん」

ビーチの強烈な日差しにくらべると、蛍光灯がついているとはいえ合宿所の食堂は薄暗い。
Tシャツとハーフパンツが基本の、勤勉なアメフト部員達総勢80名のなかに、
海パン一丁の阿含がまじっている。
ドレッドはひとつにまとめ、いつものサングラスは髪にさすように頭の上へ追いやられている。
彼一人だけ、気分は海の家のような気楽さだ。
すっかりチョコレート色に焼けた肩や顔に砂粒をつけたまま、
昼食をとる阿含に向かってサンゾーはそう言った。

「お前もな」

昼食の焼きそばを口一杯に詰め込みながら、阿含はサンゾーを見もせず答えた。
先ほどの女の子2人を、メシを食ったら戻ってくるからと言って砂浜にキープしてあるのだ。
はやいところ食事を済ませて、日焼けした細い腰のもとへ戻りたい、というのがまっとうだろう。

「イヤだ、やっぱり?」

サンゾーはそんな阿含の心中などには全くの無関心で、箸を持ったまま不安そうに頬をなでた。
夏休み早々、この海に面した合宿場についてから、部員達は練習にあけくれ、
阿含は毎日ビーチでナンパにいそしんだ。
日焼けは日焼けでもその種類はまったくの別物といって良い。

「俺も阿含になりてェよ」

ため息まじりに皿の上の紅ショウガを箸でつまみながら、ゴクウがあまりに素直なセリフを吐いた。
半袖のTシャツを肩までまくりあげたゴクウの腕は、袖のラインでくっきりと日焼けのあとがついている。
それは彼がきらめく海を目の前にして、練習しかしていないという証拠である。

「でも今夜はあれっすよ」

ペットボトルからコップにウーロン茶を注ぎながら、一休が言った。

「一休、青ノリ」

間髪いれずにサゴジョーがつっこむ。

「今夜なんかあんの」

浅漬けをばりぼりと噛みながら、阿含は言った。
顔つきから言ってどうやら皆その「あれ」の事を知っているようだ。
興味はないが、自分だけ知らないというのはなんとも気に入らない。

「お前には関係ない」

むっつりとソース焼きそばを咀嚼しながら、雲水が言った。
彼はすこし、怒っている。
阿含が練習に参加しないのはいつものことだし、それは構わないのだが、
飯のたびにわざわざビーチまでナンパに夢中の弟を迎えにいかなくてはならない、
少しくらいむっとしても罰はあたらないだろう。
阿含はやれやれ怒ってら、と言うように肩をすくめ、残りの焼きそばをかきこみ、
コップのウーロン茶を飲み干すと、向かいに座るご立腹の兄に向かって歯を剥き出した。

「どう」

にっと笑うような口のまま阿含は言った。かといっておかしいわけではないので目は笑っていない。
雲水はちらりと皿から目線を上げて阿含を見る。日焼けした顔に真っ白い歯がまぶしいほどだ。

「大丈夫」

どうやら恋の大敵、前歯の青ノリはついていないようだ。
雲水は怒っていても、こういう事はちゃんと対応する。
変なやつだと内心思いながらも、阿含はよし、と言って立ち上がり再び炎天下の砂浜へ戻って行った。






「なあに、その曲」

浜辺には、もうほとんど人がいなかった。
時々、犬をつれた地元民らしい人間が通りすがるくらいで、昼の火照りが鎮まる午後八時。
ボタンをひとつも留めないパイナップル柄のアロハシャツが、海風になびく。
空には月、海には潮騒、唇には歌。
阿含は昼間ナンパした例の女の子達と3人、缶ビールを片手に気分良く夜の海岸を歩いていた。

「ブルー・ハワイ」

阿含は自分がほとんど無意識に歌っていた歌の名前を、すこしぎくりとするような思いで答えた。
エルヴィス・プレスリーの歌うブルー・ハワイは、
今の阿含にぴったりなハワイアンミュージックの王様だ。
ロマンチック…とまではいかなくとも女の子と海辺の散歩、
そんな時にしぜんに口ずさんだ曲は、母親がいちばん愛する曲だったのだ。
当たり前のことだが、彼女らはそんな事は知らず、ただ聞いた事があると言った。
彼らは缶ビールを片手にたいして意味のない、けれどこの上なく楽しい、
酔っぱらいの会話をしながら特に目的があるわけじゃなしに海岸を歩いていた。

「あ、あそこで花火してる」

女の子の一人、レナ、という名前の、昼間はレインボーカラーの三角ビキニを着ていた彼女が、
海岸のとおく、点滅する火花を指差した。
若者の集団が夜の浜辺で花火をしている。
その火花の爆ぜる音がここまで聞こえてくるようだ。

「いいなー、花火したいね」

もう一人の彼女、アイカの水着の色は忘れてしまったけれど、
その茶色い肌と、日焼けしていない白い肌のコントラストが、鮮やかにまぶたの裏にやきついている。
阿含は缶ビールをごくりとあおって、両腕に2人の肩を抱いた。

「じゃー、仲間に入れてもらおう!」






「どうすか、スイカ食います?」

一休の差し出すアルミの大皿には、合宿所で切ってきたスイカが山と盛られている。
雲水は先ほど合宿所で皆と夕食を済ませたばかりだ。腹はへっていない。

「もらうか、サンゾーどうする」

こういう物は雰囲気だ。花火に対するスイカという小道具。
サンゾーもいただこうかしらと一切れ手にした。
朝から晩まで2週間以上、この男だらけ…はいつものことだが、
練習漬けの合宿所で貴重な夏休みをつぶす彼らにとって、
こんなささやかな花火大会も大きな楽しみのひとつだ。

「きれいねー」

雲水の隣に腰をおろしているサンゾーは、受け取ったスイカに口をつけもせず、
ぼんやりと皆の手持ち花火から吹き出すカラフルな火花を眺めた。

「やんないのか」

雲水はスイカの種をまとめて2、3粒、砂浜に吐き出しながら言った。
昼間は凶器のような温度だった砂も、今はねむったようにひんやりとしている。
雲水も花火は嫌いではないが、神龍寺ナーガの部員は総勢80名だ。
彼の性格からいって80名の中にむりやりはいってまでやろうとはしないだろう。
少しはなれたとこから、皆の花火を眺めているほうがよく見えるじゃないか。
手にもって火をともさなくたって、海からの風で、ちゃんとにその火薬のにおいをかぐことができる。

「ん、いいの」

サンゾーはそう言って、すこしあわてたようにスイカにかじりついた。
80名もの部員がいれば、結構な大所帯だ。その大所帯がにわかにざわついた。

「なにかしら」

サンゾーはそう言ったが、別段たちあがるでもなく、ゆびさきでスイカの種をとりのぞいている。
雲水も特に気にせずスイカを食い、ペットボトルの緑茶を飲んだ。
気のせいだろうか、ずいぶん近くで女性の声が聞こえた。
きゃあ、というようなはしゃいだ声だ。
姿は見えないが…と思うともなしに思っていると、ふと部員達の様子がおかしいことに気づいた。
誰も、花火をやっていないのだ。
花火の入ったビニールバッグは忘れ去られたように放置されている。

「なんだ」

さすがに雲水も、何事かと立ち上がった。
部員の大半は花火を放り出して、何かにあつまっているのだ。そっちに何かあるのか?

「きゃー、やだもう危ないってば」

雲水が群がる部員達のアタマとアタマの間から見たのは、二人の若い女性と、
その彼女らを花火を持って追いかけまわしているチンピラの酔っぱらい、
または神龍寺ナーガの主力選手、または金剛阿含という名の弟だ。
彼らはいつの間にかこの花火大会に乱入し、酒でも入っているのか大したはしゃぎぶりだ。
そしてその光景をなんともいえない切なげな眼差しで見つめる神龍寺生…。

「あ、雲子だ!」

阿含は人垣のなかから雲水の顔を見つけ、火を噴き出している手持ち花火をふりまわした。
火の粉が舞い、女達がまたうれしそうに悲鳴をあげる。

「うんこ?」

騒ぎすぎて疲れたというような様子で女の一人が尋ねた。

「あれ、俺の兄貴。似てね?てか雲子、やんねーの花火」

阿含は随分飲んでるようだ。
雲水はため息をひとつつくと何も言わずきびすを返し、もといたサンゾーの隣へ戻った。

「阿含ちゃんが来たのね」

サンゾーはもとの位置からすこしも動かず、
種をすべて取り終えた赤一色のスイカをしゃくしゃくと上品にかじっていた。

「ああ、飲んでる」

雲水はしっかりと眉間にしわを刻んで、サンゾーの隣へ腰をおろした。
よっぱらい特有のあの突き抜けたテンションの高さには、
しらふの人間はとてもついていけない。弟とはいえ閉口ものだ。
しかも女連れときた。自分の手におえるものではない。放っておくに限る。
ところが雲水が腰をおろして間もなく、最強の酔っぱらいは人垣をこじあけ、
平和を願う兄のもとへ現れた。

「うんこ、シカト禁止ー」

阿含はアロハシャツを全開にしてひっかけ、これみよがしに両手を女の腰にまわして登場した。
女は2人とも痩せているが、健康的に灼けた肌がなんともセクシーで、
部員達の唾を飲み込む音が聞こえてきそうだった。

「え、似てるかも、超似てるかも!」

女の一人は阿含の裸の胸にしがみつきながら、無遠慮に雲水の顔を見つめ、そうはしゃいだ。
雲水はその様をみて、俺も阿含になりてェよ、というゴクウの言葉を思い出した。

「でもすっごいタイプ違うねー」

もう一人の女も、品定めするように雲水のつま先から頭のてっぺんまでまじまじと見た。
まあ、どちらも雲水にとってあまり気分のよいものでない事は確かだ。

「でも雲水のほうがちんこでかいよ」

阿含が真顔でそう言うと、女達は顔を見合わせるようにして弾けるように笑った。
この下品なジョークに顔を赤くしたのはむしろ、雲水の隣のサンゾーの方だった。
まったくもってこの世は理不尽なものだ。雲水はあきらめに似た気持ちで思った。
笑い者にされてため息をついてる自分にくらべて、
目の前の彼らの楽しげな感じといったらどうだ。

「じゃあ私、お兄さんにしよっ」

行動の予測ができないがゆえに"酔っぱらいは困る"のだ。
女のひとり、名はアイカというのだが、彼女は阿含の腕をほどき雲水の横べったりに腰を下ろした。
自然、サンゾーとアイカで雲水をはさむ格好になった。
アイカは大胆にも雲水の左腕をとり、強引に腕を組んだ。
雲水はぎょっとして思わず身を引いたが、彼女の目線がちらちらと阿含へ向かうのを見て、
ああそういう事かと了解した。
彼女は阿含の気を、友人のレナよりも自分の方に向けたいのだ。
そう思うとばからしくて振りほどく気にもなれない。
雲水はなかば自棄気味に彼女のなすがままになっていた。

「彼女、いるんですか?」

浅はかな下心を見透かされているとは知らず、
いや雲水に見透かされていたとしても作戦に支障はないのだろうが、
彼女は無邪気に雲水の顔をのぞきこんだ。

「いや…」

こんな無意味な質問に真剣に答える必要はないのだが、
思いのほか接近した彼女の顔に雲水は驚いてしまった。
たとえその息がアルコールに染まっていたとしても、
雲水にとってあまり馴染みのないシュチュエーションである事はたしかだ。

「あ、阿含。妬いてな〜い?」

阿含に腰を抱かれたレナが、阿含の顔をのぞきこんでいたずらっぽく言った。

「え〜ほんとう〜?」

アイカが調子に乗って雲水の腕により深くしがみつく。
彼女のほそっそりとした身体には少し意外な程ふくよかな胸を、雲水の二の腕に密着させた。

「!!」

雲水はその衝撃的な感触に、強烈な羞恥をおぼえ混乱した。
振りほどくどころかまるでスイッチがオフになったように、膠着してしまったのだ。
停止してしまったのは雲水だけではない、
羨望の眼差しでみつめていた神龍寺ナーガの部員達も、口を開けて声すら出ない。

「アイ、だいた〜ん!」

阿含の胸にまとわりついたレナだけが、面白そうに声を上げた。
誰が予想しただろうか。次の瞬間には雲水に抱きついたアイカの笑い声は悲鳴に変った。

「いや−!痛い痛い!」

彼女のあかるく染めた長い髪がひきちぎられんばかりにひっぱられている。
その悪意のこもった指先の主とは…

「雲水ちゃんから離れなさいッ!!」

サンゾーがヒステリックにそう叫び、雲水をはさむように身を乗り出してアイカに掴みかかったのだ。
アイカはたまらず雲水から腕を離し、自分の髪を掴むサンゾーの手をガリガリと引っかいた。

「ギャー!痛いわねこのメスブタ!」

サンゾーは急いで血のにじんだ両手をひっこめた。

「なっにすんのよ、このオカマ!」

ハァハァと息を切らせながら、アイカは乱れた髪をかきあげた。
その差別的な表情にサンゾーがキレた。

「好きでオカマやってんじゃないわよ!キィィィーーーー!」

さすが、アメフト部!
アメフト部員がそう思うのはいささかおかしな気がするが、
サンゾーは素晴らしい瞬発力でアイカにつかみかかろうとした。

「イヤーーーー!!」

サンゾーをただのヒステリックなオカマだと油断していた彼女は、
そのあまりの迫力に恐れをなし背中を向けて逃げ出した。
逃げる彼女とそれを追いかけるサンゾーを、部員達がわあわあと大騒ぎでよける。

「やだ、アイカどこ行くの!?」

レナがあわててアイカを追う。
アイカとサンゾーはぎゃあぎゃあと口汚くお互いをののしりながら、
暗い砂浜をかけずりまわっている。
さっきまで、彼女のそのすらりと長い足に夢見るような気持ちでいた部員達は、
その恐ろしい姿にショックをかくせない様子でため息をついた。

唐突にひとり残されるかたちになった雲水は、肩でおおきく息をつくと、
脱力したようにゆっくりと後へ倒れた。
さらさらとした砂浜に背中をあずけ、大地に大の字になって、
雲水は夜空を見上げた。
こうして、
いまにも降ってきそうな巨大な宇宙に対面すると、
女達(?)の声は遠い世界の事のようにかすかだ。

月はつめたく、大きく、波の音が聴こえる。

身体がなくなったように、または砂浜に吸い込まれてしまったように穏やかだ。
意識の中にぷかりと浮かぶ自然なメロディー。
雲水は目を閉じ、その慣れたメロディーを口ずさんだ。
背中をあずけた砂浜がかすかに振動し、人の気配が雲水の隣へ同じように横たわった。
それが誰なのか、夜空へ向かった鼻歌が教えてくれる。
ブルー・ハワイ
合流した2人のささやかなブルー・ハワイの旋律が、やわらかな星の光を震わせる。
雲水はそっと目を開き、さっきといくらも変わらずそこにある、
深い星空を眺めてぽつりと言った。

「阿含、結婚するか」

阿含の鼻歌がふとやみ、そのほんの少しの間を、さざ波が埋める。

「新婚旅行はハワイだなー」

そしてまた、どちらともなく、歌い出す。

夜と君とブルー・ハワイ
今夜はまるで天国





end.


♪BGM「Blue Hawaii」Elvis Presley
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