「まァた、阿含かよ・・・」
ゴクウはそうつぶやいて、つい先ほどまで阿含がそうしていたように、
椅子にふんぞりかえって部室のテーブルに足を放り出した。
「で?どんなんだった?」
興味深げにサゴジョーが一休をつついた。
「・・西女の制服っした」
一休は、ほんの数分前、ひとりの少女に出会った。
その少女は男子校である神龍寺の校門にたった一人、立っていた。
彼女は誰かを探しているようであったが、さすがに一人で男子校に踏み込む勇気は無いようだった。
「マジかよ!ニシジョっつったら超オジョーじゃん!」
ふんぞり返っていたゴクウがガバリと身体を起こした。
「かわいかった?誰似?」
ゴクウが次々にまくしたてる。
一休はそのお嬢様学校の生徒と話をした。
彼女はもちろん一休を探していたわけではない。一休はたまたま通りすがっただけだ。
「そうっすね、矢田・・明子を若くした感じっす」
一休がそういった瞬間、部室内にいたメンバー全員がゴクリと唾を飲んだ。
「・・・っだーーーーーー!やってられっかーーーー!!」
ゴクウが絶叫し、今まで足を載せていたテーブルを掴んでひっくり返そうとした時。
「やだっ!!何暴れてるの!」
ちょうど部室の扉をひらいて入って来たサンゾーが叫んだ。
「つーか阿含帰ってこねえし!」
ゴクウは振り向いて、何もしらないサンゾーに両手を広げて訴えた。
「阿含、持って帰ったな」
山伏がため息まじりに言った。
「ああ、間違いないな」
サゴジョーが興奮したゴクウを醒めた目で見ながら付け足した。
「矢田明子だもんな」
彼女は一休に金剛阿含を呼んで来て欲しい、と言った。
声はちいさくとても緊張しているようで、どうやら阿含の知り合いではないようだ。
知り合いであれば携帯電話の番号を知っているだろうし、
阿含がたいして学校に来ない事も知っているはずだ。
しかし、今日は来ていたのだ。
それも放課後練習の始まる前の部室に。来ているのだから仕方ない。
一休は部室へ阿含を呼びに行ったのだった。
そして、阿含はまだ部室に帰ってきていない。
「西女の矢田明子か、いいよな」
誰かがそう言った時、ゴクウをなだめていたサンゾーが顔を上げた。
「西女・・・?さっき見たわよ」
矢田明子だったかはわからなかったけど、とサンゾーは言った。
「それで?阿含と一緒だった?」
サゴジョーが訊ねる。
「ああ、阿含ちゃん・・・そっか。それで」
サンゾーはひとり納得したように頷いた。
「なんだよ、どうなんだよ」
ゴクウが噛みつく。
「一人、だったわ。彼女が校門から出て行く時、すれ違ったの。たぶん・・・泣いてたのね」
サンゾーは気の毒そうに顔を曇らせて言った。
サンゾーとすれ違った時、彼女は手で顔を覆い、うつむいたまま、校門を一目散に走って出ていった。
おそらく阿含にひどい事を言われたのだろう。
「矢田明子を!?阿含が!?」
一同、盛大に驚いた。
彼女は阿含の好みではなかったのだろうか。
それともただ機嫌が悪かっただけなのだろうか。
「何を、騒いでいる?」
外まで響き渡る騒ぎの中、雲水が部室に入ってきた。
「雲水、阿含は?」
山伏が訊ねる。
「いや、今日は見てないが・・・何だ?」
阿含はいなくて当然の人間である。
雲水が阿含の事を聞かれる時はだいたい、何か特別な事があった時だけだ。
「阿含さん、さっきまでいたんっすけど」
一休が言った。
「珍しいな。それで、阿含は?」
雲水は先ほど自分がされた質問を、口にしていた。
「女に呼びだされたっきり帰ってこないんだよ」
サゴジョーが言った。
「でも、女一人だったんだろ?」
ゴクウがムキにになって反論する。
「まあ、フケたんだろ。普通に」
サゴジョーがそう言うと、一同、納得したようだった。
彼は気まぐれなのだ。
部室に顔を出したのが気まぐれなら、部活をサボる事は日常だ。
「困ったやつだな」
けれども雲水の眉間にはたちまち皴が寄った。
「・・・?雲水ちゃん、どうしたの?ソレ」
サンゾーは雲水の首筋に、まだできたばかりのかすり傷がある事に気付いた。
「ん・・?ああ、切れてるのか?」
雲水は自分の首筋のちいさな傷を撫で、言った。
血が滲んでいるものの、薄皮が剥がれた程度の傷だ。
「切れてるってほどでもないけど、ついさっきってカンジね」
サンゾーが雲水の首筋をまじまじと眺める。
「ピリピリするとは思ったが、いつだろう」
雲水にはそのかすり傷を作った覚えはないらしく、不思議そうに首をかしげた。
「雲水はさー、モテないわけ?阿含と同じカオじゃん」
雲水のかすり傷のことなど気にも留めないように、ゴクウがまた話題を元に戻した。
「ブッ!顔は一緒でもコイツは駄目だろ」
思わず吹きだしたサゴジョーが、親指で雲水を指しつつ言った。
「アメフトバカの、坊主アタマ・・・確かに。男にならモテそうだな?」
山伏がそうひやかすと、部員達は安心したようにどっと笑った。
雲水は何も言わなかったが、立場のなさそうな表情でもくもくと着替えに取りかかった。
雲水は、朝一番に来て、放課後一番遅く帰る。
それは本来、まだ新人である一年の仕事であるし、
雲水ではなくこれが他のメンバーであったら、一年生は決して先に帰ることはできない。
けれども、阿含が例外であるのと逆の意味で、雲水もまた例外なのである。
雲水自身は勝手にやっているのであるし、
自主的なトレーニングに一年を付きあわせる気など毛頭ない。
他のメンバー達も一年が雲水より早く帰ろうと誰も文句を言うものはいない。
・・・というより知らないのだ。
そんな雲水は、やはり今日も一番最後に部室に戻ってきた。
誰もいなくなった薄暗い部室のテーブルに、
いちまいの紙きれが置いてあった。書き置きらしい。
(生徒会長の佐々木さんが雲水さんを訪ねてきました。18:40)
雲水は一年生が書いたらしい書き置きを手に取り、ひとりつぶやいた。
「生徒会長が・・なんだ?」
雲水は、神龍寺の三年生である現生徒会長と、多少の面識はあった。
だがそこまで親しい仲でもない。わざわざ自分を訪ねてくるとは一体何の用だろうか。
雲水はロッカーを開け、着替えながらあれこれ考えてみたが、思い当たる事はなかった。
思い当たるとすれば、弟阿含の素行の悪さくらいなものだろう。
「ああ、ちょうど良かった」
雲水の背後、少しだけ開いた部室のドアから、声が聞こえた。
「生徒会長」
雲水がふりかえると、先ほど訪ねてきたらしい、生徒会長が立っていた。
彼は剣道部の主将であり、そのうえ神龍寺どころか全国でも上位をあらそう成績の男である。
「すいません、何度も。何か御用ですか?」
雲水は、急いで道着の帯をしめて着替えを完成させると、そう言った。
彼は、生徒会長の佐々木は、すこし雲水に雰囲気が似ている。容姿ではなく、人柄が。
剣道部の練習は、アメフト部に負けず劣らず厳しい事で有名だが、
彼自身、普段はとても柔和な男である。
「うん。悪いな、今大丈夫か?」
彼は部室内をすこし見回してから言った。
「・・はい。どうぞ」
彼の仕草に、雲水は会長の話が何か大事なものなのだと気付き、
部室のドアをしめると、椅子をすすめた。
会長はあまり体格が良いほうではないが、
椅子の背を引き寄せる、道着から伸びたその腕は細くとも引き締まっている。
雲水もちかくの椅子に座った事を確認すると、彼はすぐに話しだした。
「もうすぐ、次の生徒会長の選出なんだが」
前置きはせずに、そう言った。
「雲水、俺の後、頼めないか」
どうやら雲水に、次期生徒会長になってくれないか、という話らしい。
「俺が・・?いや、大役すぎます」
雲水は即答した。
謙遜でもなんでもない。ただ、自分に生徒会長は勤められない。そう思ったからだ。
「でもな、成績でいってもお前がいちばん適役だろう」
会長は、雲水が断ることをすでに予想していたようだった。
すこしの驚きも見せず、静かにそう言った。
「いえ、一番は、阿含です」
雲水はきっぱりと言った。そしてそれは事実であった。
「うん。それはそうだけど」
会長は「言うと思った」そんな顔で笑った。
「けれど阿含はきっと、就任のスピーチすらしてくれないよ」
すこし困ったような笑顔で、彼は額を掻いた。
「・・・そう、ですね」
雲水もそれは同感だった。
いくら成績がトップでも、学校にいないのでは会長など勤まらないし、
そもそも阿含が引き受けるとは思えない。
「それに俺は、雲水になら任せられると思ってるんだ」
会長は、まっすぐ雲水を見て言った。
けれど。そう言いかけた雲水の肩をそっと、しかし力強く握りしめた。
「雲水。お前は阿含と離れて仕事をしてみても、いいんじゃないか」
彼は雲水の人柄と成績とその努力を認めていた。
関わりあいこそ多くはないが、何か同族のような信頼感を持っている。
そんな真摯な眼差しだった。
「・・・・・」
雲水は、彼の目を驚いたように、見つめた。
「雲水」
念を押すように、会長は雲水の名を呼んだ。
その声に弾かれたように、
彼の目に固定されていた雲水の目線はふらり、と宙を泳いだ。
「・・・・・」
そして眼差しが空を一巡し、生徒会長の目に再び戻ってきた、瞬間。
バシッ
雲水は肩に乗せられた手を、片手で振り払った。
「・・・触ってんなよ」
たしかに、その声は雲水のくちびるから出たものだった。
「・・・雲水?」
雲水のものとは思えない乱暴な仕草と口調に、彼は驚きの色を隠せなかった。
口調だけではない。その眼差しはつい数分前の雲水とは思えなかった。
眉をひきしめた、するどい雲水の眼差しに、
射殺される。
と感じたほど雲水の体は殺気を帯びていた。
あの温和な雲水の逆鱗に触れる様な何かを、自分が言ったのだろうか。
彼は後輩である雲水の目を見ていられなかった。けれども目をそらしたら終わりだ、とも感じた。
手のひらにどっと汗が吹きだした。
「ハァ」
ふいに雲水は、ため息をついた。
その吐息とともに張りつめていた殺気が、霧のように消えた。
ガタタ・・・
椅子を引いて雲水は立ち上がると、
生徒会長などまるでその辺の椅子でもよけるように通りすぎ、部室のドアに手をかけた。
そして引きかけたドアノブを、ぴたり、と止め言った。
「やんねーよ。俺も、雲水も」
バタン。
時刻は夜の8時すぎ、すでに日は落ちて空には月が現れていた。
月明かりの中、アメフト部の部室からひとり、男が姿を現した。
男はドアを閉めると唾を吐きすて、それから両腕を夜空に突きだすように伸びをした。
「阿含」
出てきた男を待っていたかのように、暗闇から声がきこえた。
「いたのかよ。ジジィ」
阿含はゴソゴソと制服のポケットを探りながら、月明かりの奥の人物に言った。
「たまたま、な」
その人物は、意味深に笑った。
枯れ木のような顔に白い髭をたくわえた老人。神龍寺ナーガの鬼監督。
「気持ちわりィーの」
阿含は老監督を一瞥すると、
自慢のドレッドをかきあげポケットから出したサングラスをかけた。
「時に阿含、首はどうした?」
老人は杖を支えていた、細く枯れた腕の一本を上げ、
自分の皴だらけの首筋を指先でとんとん、と軽く叩いた。
「ああ、ブスにひっかかれた」
阿含は忌々しそうに、自分の首筋をこすった。
阿含の首筋には、雲水の首筋についていたかすり傷と全く同じ、傷があった。
老人は、ふう、と弱く息をつくと、阿含に背を向け杖を使って歩き出した。
「阿含」
背を向けたまま、歩みを止めることなく、老監督は言った。
「あ"?」
阿含もすでに反対方向へ歩き出していた。
「あまり、雲水に世話をかけるなよ」
さとすように、静かに言って、老人はその小さな背を闇に消した。
阿含は振り返り、声を睨んだが、すでにそこには老人の気配はなかった。
「・・・だってよ。聞いてたか?雲水」
阿含は、先ほど老人がやったように、傷跡をとんとん、と叩いた。
「オマエのせいで引っ掛かれたんだぜ」
阿含はふたたび歩き出す。
「・・・ハ?オマエが出てこなきゃ、あんな女やっちまったのに」
妬くなよ、あんなブスに。
阿含は肚の奥で笑いながら、雲水を冷やかした。
月あかりに照らしだされた、彼らの影は、
たったひとつだった。
end.