退化のメカニズム



靴が血で汚れているのに気づき、阿含は倒れている男の服につま先をこすりつけた。うめき声すらあがらない。周りに転がっている数人にも視線を流し、しゃがみこんで尻のポケットやジャケットの内側を探り財布から紙幣だけを没収する。ふたりほど財布をもっていない奴がいたが、現金だけをもちあるいているか乱闘中になくしてしまったのだろう。あえて身体検査するような気にもなれなかった。
「慰謝料には足りねえけど、こんなもんか」
 角を曲がってしばらく歩くと明るい表通りにでた。ありふれた都会の喧噪が広がっている。ここには週末を楽しもうとする人間しかいないのだろう。阿含と数人の男たちが暴れていたのは裏路地とはいえ決して狭くはなく、けっこう人通りもあったのだが、だれも通報などはしなかったようだ。都会の乾いた無関心は心地よかった。兄ならどう感じるだろうか。田舎の粘着質な人間関係にも難なく適応してみせているようにみえても、こういった感性は意外と近いものをもっているように思う。
 短い電子音が服の内側から響いた。携帯をひらくと女のひとりからメールが届いていた。『今夜ヒマ?』とだけある。さいきんキープした女らしくて名前をみても顔が思い出せない。とりあえず『それなりに』と返信してみた。歩きながら携帯のボタンを押していると、以前にも何度か利用したことのあるセレクトショップが視界の隅をよぎった。大きなロゴマークが描かれたショーウィンドウにはガラの悪いドレッドヘアのシルエットが映っている。ガードレールによりかかり、何人も殺してそうな顔つきしてるよな、と他人事のように眺める阿含。そして再び携帯電話に目を落とした。
 左手の親指でいくつか操作すると、未送信メールの一覧がでてきた。タイトルは軒並み「雲水へ」となっている。本文は他愛のない日常的な内容だ。ただ、それらはすべて自分たちの将来についての話題だった。たとえば『いつか家を買ってペットを飼おう。犬か猫どっちがいい?』とか。小さな液晶画面を見おろしたまま兄の顔を思い浮かべる。高校三年になって二ヶ月もたつのに、自分たちは一度も進路について具体的に話したことがない。もちろん阿含がふだんから面倒な話し合いなどしたくないという態度をとっているわけだが、どうやらこの話題は雲水のほうも避けているらしいと気がついている。それから阿含の携帯には送信されないメールが保存されるようになった。ひとつのことに引っかかったらほかの部分も意識するようになり、要するに、雲水は阿含になにかを要求することがないのだと理解した。生活態度を改めろとかいう説教は相変わらず小うるさいが、そういったことではなく、雲水に対してなにかをしてほしいとは決して言わないのである。自分たちが名実ともに恋人としてつきあうようになってからも阿含は暇つぶしとして女遊びを続けているのに、雲水はそれをやめろとか自分を優先してほしいとか絶対に言ってはくれないのだった。
「可愛くねぇし……」
 手の中の携帯がまた鳴った。女から夕食の待ち合わせ場所と時間を提案される。阿含は無表情に『OK』と送信し、携帯をとじた。目の前のショップから若く着飾ったカップルが幸せそうに笑いながらでてきて通りを去っていく。少し考えて、阿含は店の自動ドアをくぐった。まっすぐに奥のガラスケースを目指す。そこには有名なブランドのシルバーアクセサリーが並んでいる。男性用が多い。お世辞にも繊細とはいえないデザインで、これをつけて人を殴れば有効な武器になるだろうと思われる。阿含には自然に似合うだろう。雲水のふだんの服装を思いだし、まあ違和感はないだろうと判断する。宝石はついていないので値段の上限は知れているのだが、兄が石つきの指輪を使うとも思えない。店員を呼んで、いちばん高い指輪をとりださせた。サイズは自分と同じで問題ないはずだ。紙で作られた鳥の巣のような緩衝剤の中に指輪がおさめられ、箱のふたが閉じられて、アクセサリー用の小さな紙袋に入れられる。
「お支払いはカードで?」
「いや……」
 阿含は財布から一万円札を十七枚だして店員に渡した。
「会員カードはおもちですか」
「ねえけど」
「おつくり致しますか? 特典はこちらになりますが」
 阿含はさしだされた下敷きのようなカードを見もせずに「あー、いらねーや」と答えた。店員は慣れた手つきで阿含にみえるように紙幣を二回ほど数え、釣り銭と領収証をトレイに入れてよこした。
「どーも」
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
 店員に見送られて阿含は店をでる。日が落ちて空が急に暗くなっている。紙袋の持ち手の部分を指にひっかけて眺め、肩からかけていたバッグの中にしまった。携帯を開いて時計を確認すると、待ち合わせの時間までまだかなりあるようだ。とくに宛てもなく阿含は雑踏に紛れていった。

 雲水は寮の自室に入ってドアを後ろ手に閉め、そのままドアによりかかって深いため息をついた。ようやく部屋にたどりつくことができた。右手で左腕を服の上から押さえる。たいした痛みはないが広範囲ですりむいているのを確認済みだ。部屋は暗かったが窓から夕焼けがさしこんでいて、行動できないというほどではなかった。入口のそばにあるスイッチには触れず、部屋の中央の灯りをつけようと力ない足取りで室内を横切ろうとする。なにか紐状のものに足をひっかけて大きくつまずいた。
「うわっ」
 椅子を倒しながら机に手をついたらそこにはちょうどプリントが置いてあり、雲水の筋肉質な腕がすべってペン立てを転がしてしまった。あわてて床にこぼれ落ちようとしているペンの束を押さえたら、フタがあいたものがあったようで指先に黒い線がつく。よく見れば油性である。雲水は眉をしかめて手をひっこめた。ペンがざらざらと落下するのを無視して灯りをつける。荷物をその辺に適当においてベッドに腰かけた。もういちど、ため息をつく。
「なんか今日はダメだな」
 つまずいたのは家電のコードだった。同室の弟がいろいろもちこんでいるのでほかの部屋にくらべて設備が充実しているのはいいのだが、コンセントがふたつしかないので、かなり大きめのタップを使っているのである。いつも邪魔だと思っていて、今朝ためしに場所を変えてみたのだった。見たところ抜けてしまったものはないらしい。雲水はベッドの下から救急箱を引っぱりだして、傷口を消毒した。まだ長袖の季節でケガ自体は軽微で済んだとはいえ、袖が破れてしまったので、この服はあきらめるしかないだろう。下は学校指定のジャージだが上は私物のロングTシャツだった。まだ新品でけっこう気に入っていたのにガッカリだ。今日は朝から時間割を間違えたり、人違いをしたり、辞書に飲み物をこぼしてしまったり、上履きのまま部室まで行ってしまったり、もちろん部活では単純なミスを連発するし、あげくに体調が悪いのではないかと心配されて早退させられるし、きがえて帰る途中の階段では足を踏みはずして腕を無駄に傷つけてしまうしで、本当にどうしようもない一日だった。救急箱に電子体温計をみつけていちおう腋に挟んでみるが、ひたいに手をあてても熱はないようである。風邪っぽくもないし、単に疲れているのだろう。ベッドのそばの壁に貼ってある一枚の紙に目をやる。自筆の自主トレのメニューだ。ふだんはべつに負担ではないそれが、今日はなぜだかとても厳しい内容に思える。雲水は今週末のスケジュールを思い浮かべた。今日は金曜で明日と明後日は休日だ。もちろん部活はあるが通常の練習で試合はない。提出期限の近い手のかかる宿題もなければ、家事でさしせまった用事もない。今日の自主トレを休んでその分を土曜か日曜にまわしても問題ないようだ。時計をみるとまだ夕食には時間があるが、それも戸棚の中にカップ麺などの備蓄食糧が常備してあるので、気にしなくていい。部活の後でシャワーも浴びてきた。今日はもうこのまま寝てしまおう。
 体温計が鳴った。やはり熱はない。救急箱を無造作にベッドの下に押し戻す。
「阿含はどうするのかな」
 門限を破るなら窓の鍵をあけておかなければならない。いつもは夜中だろうが携帯が鳴って叩き起こされるのだが、今日は御免だった。弟と色違いの携帯をひらき通話ボタンを押そうとして躊躇する。自分ではわからないけれどもチームメイトの言葉では、声にも元気がないらしい。結局メールにすることにした。
『今日は帰るのか』
 送信完了の表示がでる。雲水は立ちあがって冷蔵庫をあけた。……ライトがつかない。先ほどつまづいたのは冷蔵庫のコードだったようだ。タップをひきよせると、ひとつが完全に抜けてはいないが微妙に浮き上がった状態になっている。何度目かのため息をつきながらすべてのコードを必要以上にちからをこめて差しこみ直し、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルをとりだす。口をつければさっそくぬるくなってしまっていて、雲水は眉をさげた。灯りを消してカーテンを閉めても外の夕陽でうっすらと明るい。こんな早い時間に眠るのは久しぶりである。ペットボトルと携帯を枕元において布団に入り、弟のことを思いだす。すぐにメールの受信音が鳴った。
『女つかまえたから、帰んないかも』
 いつもどおりの、予想どおりの答えである。でも今日はあまり見たくなかった。几帳面に爪を切りそろえた指がボタンを押して返信する。
『泊まってこい』
 いったん横たわってしまうともう指を動かすのもしんどかった。雲水は携帯を閉じて枕元に戻したが、手を伸ばして再び開き、電源を切った。携帯をもったままの右手を顔の横に放りだす。瞼をおろしたらすぐに意識が遠くなった。

 土曜の昼近くになって阿含は帰寮した。残念ながら女はハズレで、週末をすべて一緒にすごしたいと思えるほどの相手ではなかった。ドアをあけたら部屋が暗い。カーテンが閉められている。兄の勉強机の前で椅子が倒れているのが目に入った。
「雲水?」
 見慣れた坊主頭が布団をかぶっている。声をかけたらゆっくりと動いて時計のほうに顔をむけた。
「ああ、いかん。こんな時間か……」
「寝坊……じゃねえよな。具合悪ぃの?」
 男子高校生とは思えないほど整理整頓が好きな雲水の荷物が、床に転がっている。見まわせば机の上のプリントだのペンだのも崩れ落ちたままだ。阿含は舌打ちして椅子を蹴り飛ばした。一言そばにいてほしいと言われればなにをさしおいても戻ってくるのに、こんなときまで、どうして……。
 雲水は、いつもの歯切れ良さがまったく感じられない動きで起きあがろうとしている。
「寝てろよ!」
「べつに病気じゃないんだ。部活はじまってる」
 雲水は枕の辺りを手探りして布団の隙間から携帯を掘りだした。パチンと開いてボタンを押し、起動した音が響く。さらに操作してメールチェックしたらしく、即座に受信音がいくつか鳴った。最初のふたつは弟のメールにだけ設定してある音だ。阿含はバッグをその辺に叩きつけ、兄の手から携帯を奪いとった。
「なんだ。返せ」
 依然として亀のように動作の遅い雲水を無視して、メールを読んだ。もちろん阿含が昨夜のうちに送信したものだ。ふたつとも消去する。残りの一通はチームメイトが今朝送信したもので、『部活は病欠か?』という内容だった。雲水のベッドに携帯を放り投げる。
「阿含」
「おれが送ったのは消したからな。読まなくていい」
「勝手なことするな」
「勝手なのはテメェだろ!?」
 自分でも驚くほどの怒声がでた。ベッドで半ば身を起こした雲水が動きをとめる。その表情をみて阿含は大きく息を吐いて感情をやり過ごし、部屋の反対側にある自分のベッドにどすんと腰かけた。重苦しい沈黙がおりる。雲水が携帯のボタンを押して耳にあて、部活を休むことを告げた。通話はすぐに終わったようだ。また枕にあたまを乗せて布団をかぶる。
「今日は寝てることにする」
「ああ、そうしろ」
「おやすみ」
 雲水は静かに壁のほうを向いた。その背中を見つめて、阿含はサングラスを髪の上に押しあげる。
「……おまえさぁ」
 反応はない。それでも阿含は言葉を続ける。
「おまえ、おれのこと、なんだと思ってるわけ?」
 客観的にみるなら責める資格があるのは雲水のほうだろうし、そうやって反論することもできたはずだ。ふだんの兄ならそうしているだろう。しかし今日はそんな元気もないようだった。眠っていないのはわかっていたので阿含は返事をまった。しばらくして、雲水は呟いた。
「弟だ」
 阿含は苦い笑みを浮かべながら目を瞑った。
「あっそ」
 立ちあがり、携帯と財布をポケットに入れて、ドアに向かう。
「そこのコンビニで、なんか食えそうなもん買ってくる」
 返事もまたずに思いきりドアを閉めた。廊下の窓からの光が眩しくてサングラスに手をかけたが、そのまま外して胸のポケットにしまい、阿含は歩きだした。

 薄暗い部屋の中で、雲水は壁の模様をなんとなく数えていた。どうにも身体が重い。脳みそが回転しない。休むと決めたときには休まなければならないのに、気持ちのきりかえができず、気ばかり焦っている。やらなければならないことは、たくさんあった。でもそのほとんどは、やらなくても困る者はだれもいない……自分のためのノルマだ。阿含はなにを買ってくるのだろう。昨日の夕食も今日の朝食も食べてない。食欲はなかったが、はやく回復するために無理やりにでも飲みこむつもりでいた。
 耳元で携帯が弟からのメールを受信した。のろのろと手を伸ばして、中身を読む。

『帰ったらプロポーズしてやるから、返事、考えとけ』

 何度か目で文字を追ってようやく内容を理解し、ふるえる手で携帯を顔から離した。まず最初に考えたのは、帰ってくる前に逃げなければ、ということだ。喉の奥がしめつけられるように痛い。落ち着くために深呼吸しようとしたら、嗚咽に近い吐息がもれた。
 ベッドの上で起きあがり、壁に寄りかかって膝を立てる。右手の中で開いたままの携帯に目を落とす。それから視線を宙にさまよわせていたら廊下の彼方から聞き間違えようのない耳慣れた足音が近づいてくる。物心ついてからずっと毎日のように親しんできた足音だ。部屋の前で一瞬だけ立ち止まり、ドアがあいた。明るい昼の日光が四角くさしこんで、すぐに消える。
「ただいま」
「……おかえり」
 大きな人影が部屋を横切って雲水の机の上にコンビニの白いビニール袋を置いた。そして床に放りだされていた阿含のバッグが逆さにされて小さな紙袋が破かれる音がする。その様子を座ってぼんやり眺めていたら、弟はベッドに乗りこんできて雲水の右手をとり、つかんだままだった携帯をどかして顔の前で手のひらを上に向けさせる。小さな箱が傾けられ、冷たい銀の固まりが雲水の手に落ちた。否定を許さないその重さに思わず息をのむ。阿含の大きな手が雲水の手を外側から包みこみ、強引に指輪を握らされた。
「逃がしてやる気なんかねぇからな」
 低く唸るような、脅迫しているとしか思えない口調だった。雲水の口元に微笑が浮かぶ。
「それがプロポーズの言葉か」
「……そうだ」
 雲水の肩に阿含の顔が埋められ、無理に縮れて編まれた髪の毛が頬をくすぐった。雲水は弟の広い背中に腕をまわす。
「おれは、怖い」
「なにが」
 阿含は完全に顔をくっつけているらしい。くぐもった声と熱い息が肩の辺りに感じられる。自分の弱い部分を晒すのは雲水にとってもっとも苦手なことのひとつなので、顔をみなくて済むのはありがたかった。
「……実体のある相手とか、肉体的なものは怖くないんだが……世間の常識とか、習慣とか、良心とか、法律とか、そういう観念的なものが敵にまわると、どうしていいかわからない」
「んなの、いまに始まったことじゃねえだろ」
「そうだな。おまえとこういうことになったときも、同じことを考えた。でも……ひとりじゃなくなればもう大丈夫だと思ったんだ。それに大人になれば怖くなくなってくるんだろうとも思ってた。思ってたんだが……なんだか、以前よりもどんどん怖くなっていく一方なんだ。中学の頃や高校に入ったばかりの頃に比べて……ずっと怯えてるらしい。情けない話だが……」
「おれが守ってやる。心配すんな」
「……うん……わかってる」
「どうやって? とか思ったろう!」
 横から頭突きをくらった。こめかみに近いところがかなり痛くて言葉を継げなくなる。阿含は不自然だった姿勢を少し直して身体をさらに密着させ、雲水の右手をさらにちからをこめた。指輪はもう体温が移ってしまい冷たくはなくなっている。雲水は少し涙をにじませながら、弟の顔をのぞきこんだ。
「まだ、うけとれない」
 阿含の全身が強ばったのがわかった。
「おまえが悪いわけじゃない。おれが勝手なこと言ってるんだ」
 勢いで謝ってしまいそうになったが、それは踏みとどまることができた。
「……そうかよ」
「ああ」
「まだ、ってのが余裕だよな。おれがこんなこと言ってやるの二度とねぇかもしれないんだぜ? これが最後のチャンスかも、とか思わねぇの。明日にはほかの奴んとこ行っちまうかもしんねーのにさ」
「それはいつも思ってる。帰ってこないから」
 まだ言い終わらないうちに後ろに突きとばされ、壁に肩と後頭部を衝撃を感じた。脳が揺さぶられ、一瞬、視界が真っ暗になる。
「なんだソレ! ふざけんな!」
 ベッドに横向きに引き倒され、両手で首をしめられた。目をあけると少しずつ視界が回復し、薄暗い天井と弟の姿がみえる。泣きそうな顔をしているな、と思った。呼吸がどうとかいう以前に喉が潰されそうになり、阿含の手に爪を食いこませる。ふっ、と急に手が緩められた。盛大に咳きこんでいる横でベッドが大きく軋み、弟が床に降りたのがわかる。
「もういい……メシあっためてきてやる」
 阿含は先ほどのコンビニ袋をガサガサいわせて粥のレトルトパックらしきものをとりだし、残りを袋ごと冷蔵庫につっこんで、部屋のドアをあける。
「あごん、ゆびわ、かえす」
「捨てろ!」
 まさに捨て台詞といった感じの怒声が響き、音高く扉が閉められた。近くの部屋の住人には後で謝ってまわらないといけないだろう。ようやく咳がおさまった雲水は、床に放り投げられている小箱とフタを拾いあげ、指輪を丁寧に元に戻した。アクセサリーの価値などよくわからないが、こういうときに弟が安い物を買うとも思えない。無理に返したら本当に捨ててしまうだろうか。しばらく迷ったあげく、机の鍵のかかる引き出しの中にしまった。といっても鍵をかけたことなどないが。
 また自分のベッドに腰かけた。薄暗い室内は静寂に包まれている。そこかしこから寮の仲間たちの生活する音だけがきこえてくる。壁一枚しか隔てられていないのに、そこは遙か遠い世界のように思えた。

 阿含は食堂の一角に設置された学生用の厨房に入り、テーブルに鮭の粥のレトルトパックを乱暴に転がし、そのまま奥のスチール製の食器棚へと歩みよって表面が完全に歪んでしまうまで蹴りを入れた。ようやく気が済んでふり返ったら何人かいたはずの生徒たちが姿を消していたので、広さが増した厨房で悠然と鍋を選び、水と粥のパックを入れて火にかけてから、椅子に座ってテーブルに両足を乗せた。
 粥は鮭と玉子を買ってきたのだが、鮭のほうで良かっただろうか。いつもの習慣でなにげなく携帯を広げ、舌打ちしてポケットに戻した。
「くっそ、アホらし……」
 なぜ兄の機嫌をとるためにこんなにも必死にならなければならないのか。しかも己だけが。阿含は腕に顔を伏せて瞼をおろした。好きだからに決まっている。
 湯が少しずつ沸騰してくる。部屋に電子レンジがあればこんなところまで来なくても済んだのだ。暖かい飲み物を作るために電動ポットと電子レンジのどちらかを買おうという話がでたとき、雲水が、レンジで沸かした湯で茶を煎れるのは好きじゃないと強硬に言い張った。あの部屋で過ごす時間は兄のほうが多いと思われたこともあり、珍しく阿含が譲歩してやったのだ。
「……」
 こうやって、ずっと一緒に生きてきたのである。大切な思い出の中には必ずといっていいほど片割れの姿がある。それは雲水も変わらないはずだ。別々に生活したことは一度もないし、どんな感じなのか想像するのさえ難しい。そんなものを知る必要はない、これからも一緒に暮らしていくのだから。そう思っていたが、どうやら雲水は同じように考えてはいないらしい。阿含は隣の椅子を蹴った。倒れたときに派手な音がしたので少しだけスッキリする。
 鍋はぐつぐつ煮えていた。もういいだろう。立ちあがって火を止めて鍋をもったらポケットの携帯が鳴って雲水からメールが届いたことを知らせた。鍋を戻して携帯をひらく。

『ありがとう』

 阿含はその画面を見つめて立ち尽くした。これが自分たちの間に立ちはだかる、いまの距離だ。



低温カテシスムの娃鳥さまからいただきました。
低温さんにリンクを貼る際、バナーがないとの事でしたので、
暇つぶしにバナーを勝手に作り、自分のサイトだけだし・・と貼っていたら、

めっかっちゃった☆

怒られるどころか、なんと私のバナーをオフィシャルにして下さったのです。
ウヒャーなんか大変なことしちゃった!と思ってたらコレ。コれですよ。

お礼に小説

え、え、いいんですか?あの、ほんとタナボタっつーか。
超ラッキィィィーーーー!!

もう悪い。阿含が悪すぎる。なのに雲水に不器用。
さいこうです!ウッカリバナーつくって良かったあ。

娃鳥さん、ありがとうございます!大事にします〜!!


そんな娃鳥さんのサイトはコチラ→低温カテシスム