俺は、話す。
知らないオッサンとふたりで釣りをしてたとか、
かと思ったら昔行ったじいさんちにひとりで居たとか、
牛の乳が生えた大仏だとか、崖から落っこちたとか、お前がげらげら笑ってたとか。

お前は聞く。
つまらなそうに、でも聞く。

映画の面白さは、観なけりゃわからない。
ましてや俺の見た夢なんか、支離滅裂でその上お前は見れもしない。
わかってんだけど。でも、俺は話す。
なんでかわかんねえけど、話す。


「阿含、ねてるのか」


西日を背負った坊主頭が、俺を見下ろしてる。
8月の炎天下を帰ってきてから、汗まみれになったTシャツをほっぽって、
だるい体を畳にあずけたきり、俺はねむってたらしい。
体いてえ。喉が乾いた。暑い。まぶしい。最悪。

俺は上半身を起こして、強烈な西日に慣れない目を凝らした。
まだかすむ。目をこする。
やっぱり、なんか変だ。雲水の片側の頬の影が不自然に強い。
その影が何なのか、俺は凝視する。

「ああ、こけた」

雲水に向かって右、雲水からいって左の頬は、
目の横からくちびるにかけて赤黒くすりむけている。
笑うと傷に響くらしい。雲水は照れ臭そうに歯を見せた途端、いてて、と顔を歪ませた。


「こけたって…原チャで?」

雲水はあまり触れてほしくなさそうに、ああ、そうだと軽く答えて畳に腰をおろすと、
ぶら下げていたビニール袋を物色するふりをした。
よく見ると頬と同じように左腕にも、
巨大な動物の爪にでもひっかかれたような傷が、赤く血で滲んでいる。
確かに原チャリとはいえ、バイクでこけて頬と腕をすりむいたくらいなら、
大したことがないと言えるだろう。

「ばっかじゃねえの」

俺はまだ眠い頭を起こすように、ぼりぼりと爪をたてて頭を掻いた。
寝起きいちばん、気分が悪い。
悪態をつけば、少しはこのむかつきを吐きだせる気がしたが、実際は余計にいらついた。

「食うか?」

ビニール袋の中身は2本のアイスキャンディーだったらしい。
ガキの頃から食ってる、ソーダ味の、一本60円かそこらのアイス。
たぶん、こいつはバイクでコケたあとにこれを買ったに違いない。そんな気がする。

「いらねーよ、つか何でコケたわけ」

西日が眩しい。顔がよく見えない。
俺はサングラスを探したが、玄関に置きっぱなしにした事を思い出して舌打ちした。
雲水は行き場のなくなった俺用のアイスの袋をいじりながら、言いたくなさそうに言った。

「人、よけた」

ばあさんが急に出てきて、と雲水は坊主頭を掻いた。
まあ、そんな事だろうと思ってた。予想してた。
けど俺の気分がまた悪化した。これは予想してなかった。俺は何かに苛ついてる。
ばつの悪そうな横顔を見る。
血がまだ乾ききってない。生々しい皮膚の裂け目があかくちらつく。

「てめーもう原チャ乗んな」

クソすっとろいんだからよ。いつか死ぬぜ。
こう言えば、このけば立った神経がすこしは落ち着くと思った。
同時に、向こうの出方しだいで俺の神経はより逆立つかもしれない、とも予感していた。

「今後、気をつける」

ほらな。後者だった。
息を吹き込まれたように、炎がめらりと燃え上がる。

「もう乗んな」

どんなバカな頭でも理解できるように、ひとつひとつ、強くはっきりと発音して、
俺は命令した。

言う事をきけ。

念じるように睨みつける。

「乗るなって、いってもな」

雲水はそれは難しいだろうと、言い訳するように眉をしかめた。
確かにコケた俺がわるいけど、と拗ねるように目をそらす。
この家は駅からも、コンビニからもずいぶん離れている。
チャリでも徒歩でも行けない距離ではないが、原チャと免許を持ってれば乗るに決まってる。
いちどコケたくらいで絶対に乗らないという大げさな約束はできない。

わかる。よくわかる。

だけどお前には選ぶ権利なんかねえんだよ。
目が西日に慣れてきた。その傷の深さを確かめる為に、左腕を掴んで引いた。
白いTシャツの袖から伸びた腕に、傷をふちどるように、玉になった血がいくつも浮かんで。
見た目は派手だが、アスファルトに薄皮をもっていかれたくらいだろう。傷は浅い。
こいつの事だ、安全運転。それは間違いない。
けれどこいつの身体とたら、きめ細やかとはいえない皮膚が一枚はがれただけで、
みるからにヤワなピンク色の肉が露出してしまってる。
トレーニングだ、腕立てだ、そうは言ってもただの肉。
筋肉質で無防備な腕は、迫ってくるアスファルトの前では、戦慄するほど柔らかい。
寒気がした。

「じゃあ俺がコケたらお前どうする」

言いながらも、俺は傷から目が離せなかった。
今度は頬。
破けた皮膚からほんの少しだけ覗くその肉は、水っぽくて生っぽくて、まるで桃。
歯ごたえがなくて、すぐにくずれる。あたたかい桃。
桃なんかでこいつは"出来て"いたのか。
また、俺の体温が下がる。

「お前がこけるとは思えん」

話がそれたと安心したのか、雲水はすこしだけ笑った。バカ。笑うと痛てぇんだろうが。
俺がそんなへまするわけねーだろ。例えばの話だよ。
たとえば、俺が、放っておけば明日にでも死にそうなバアサンよけて、
たとえば、お前みたいにこけて、血まみれになって帰って来て。
それで。
それで、お前は。
なんて言うよ。

「なんて言うよ」

言って。
もどかしさで、身がねじ切れそうになった。
まるで夢の話をしてるようだ。
俺ばかりが見てる世界を、見えないお前に話してる。
言っても、言っても、とどかないのに。

駆られるように、目の前の身体にしがみついた。
傷のある右側は、気が向かなかった。
雲水が驚いて身じろぐと、うすい肉の下の肩甲骨が、なめらかに稼働する。
きっとまっしろい色をしてるんだろう。
俺のぶあつい髪ごしでも、感じる首筋の体温は高い。

「どうした?」

奥のほうに、
いつか止るだろう心臓が、今はまだ動いてる。
骨を、肉を、つたわって、きこえる。
いつ、止るんだろう。
まだ、動いてる。

たとえ俺が死にかけたって。
お前は、乗るななんて言わないだろう。

お前は、心配そうな顔色で怒ったような声で、
バカ、気を付けろ、って
言うだろう。

それでも、


さめない夢を見てる俺は、言う。


まだ夢のなかばで、


俺は、言う。





「もう乗んな」









060320/ReheaRsal/北川