目が覚めた瞬間、俺は思わず笑っていた

この朝にしては弱すぎる光。車のタイヤが水を巻き上げて走るこの音。
まちがいない。
雨が、降っている。





あまごもり





寮の大浴場は、朝の7時に湯が溜まっているほど親切ではないが、
シャワーは24時間いつでも浴びる事ができる。
本当ならば昨晩のうちに阿含を引きずり、
2人で流した汗を2人で流しにくるべきであったが、とてもそんな気力はなかった。
俺は不眠とはまったくの無縁だ。
それはすなわち昼間の練習で肉体が疲労しきっているからであり、
弟という名の夜這の相手ができるほどの体力など、残っているはずもない。
はずもないのだが、性衝動に関してはどこかにストックがあるらしいのだ。
俺も所詮、動物なのだ。
昨夜はその体力と欲望を、文字通りはきだし尽くして力つきるように眠ってしまった。
熱いシャワーを浴び、清潔な浴衣に身をつつむと、昨夜の獣じみた自分など夢のようだ。
脱衣所を出ると、まだ寝静まっている寮の廊下には雨音が充満していた。
強くはないが延々降りつづきそうな雨音だ。

いいぞ。

俺はまた、頬笑んだ。
俺が願ったから、雨が降った。そう思わずにはいられなかったのだ。
自室の簡素なドアを開けると、足音で気配を感じたらしい阿含が、
ちょうどこちらを見た。まさかもう起きているとは思わなかった。
起きている…といってもそれは首から上だけで、体は寝たままなのだが。
ドアをあけた瞬間、俺は笑っていなかっただろうか。
大丈夫だとは思うが少し自信がない。

「起きたのか」

おもわず口調がぶっきらぼうになる。
起きた直後は気にならなかったが、清潔になって戻って来た部屋は、
アルコールと汗のにおいで汚染されていた。
俺は阿含をまたいで布団を横断すると、カーテンをひらき窓を開けた。
風はなく、雨は垂直に、均一に景色を濡らしていた。

「シャワー浴びてこい」

換気もいいが、もとをどうにかするべきだ。
阿含はわざわざ頭を上げて俺の顔をみたことを後悔するように、
どさりと枕に戻してそっぽを向くと、寝起きにごちゃごちゃうるせえよ、
そんな沈黙をストレートに返してきた。
とっとと練習に行きやがれ、とでも思っているのかもしれない。
確かにこいつからすれば、俺は居ればいたで口うるさい存在だろう。
ましてや今日は休日だ。

でも残念だったな。

阿含がこちらに背中を向けてるのをいいことに、俺はまた笑った。
阿含には悪いが俺は今日、練習へ行ってはやらない。
それはお前が起きるまえ、俺の目が覚めた瞬間。
いや、雨が降りだした瞬間にすでに決定されていることなのだ。
もっと正確にいえば昨晩かもしれない。
「もしあした雨が降ったなら」そう思ったのは確かだ。

俺はまだ体温ののこる布団に腰をおろすと、
つい数十分前そうしていたように枕に頭を預けた。
朝いちど出た布団にふたたび横になるのは何年ぶりだろう。
昨夜、俺が一人で寝ているところへ阿含が突然帰宅し、乱入してきたため、
この歳になってはかなり無理があるのだがひとつの布団で朝を迎えた。
阿含の体が布団の真ん中にあると、どうしたって俺の体が敷き布団からはみ出る。

「もうちょっと詰めろ」

寝転がったまま阿含の背中に肩を押しつけると、
阿含は面食らったようにおそるおそる振り向いた。
さあ、聞きたいことがあるだろう。聞いてみろ。

「詰めろって…練習行くんじゃねえのかよ」

世間一般からは阿含はひねくれ者だと認識されているようだが、
それは間違っている。彼は非常に素直なのだ。
その証拠に、俺が待っていたリアクションを、俺の予想と寸分違わず返してくれた。
俺は準備しておいた顔で、素直な弟に正当な理由を言ってやった。

「ああ、今日は雨だから休みだ」

一瞬、間があった。理解するのに少々、時間がかかったのだろう。

「…は?」

いいざま、阿含は肘をついて上半身を起こした。
こいつ大丈夫かと言わんばかりの顔でこちらの表情をのぞき込む。
確かに俺は雨ごときで練習を休まない。
たとえグラウンドが使えなくても、いつかアメフトにつながるトレーニングなんて、
一日中やっても足りないくらい豊富にある。
俺が特別まじめというわけではない。
神龍寺ナーガのメンバーはレギュラーだろうとベンチだろうと、
おなじ価値観を持って、今日も室内トレーニングを始めるだろう。
例外はこいつの方だ。

「マジで?なんでまた…」

だまされているのではないかと疑うように、阿含は言った。

「神奈川大会、優勝しただろう」

「あ?まあ、そうな」

神奈川大会の優勝など、神龍寺ナーガにとっては勝って当たり前。
いわば最低ラインのクリアにすぎない。
地方大会突破でお祝いだなどとはしゃげるほど、俺達の所属するチームは弱くない。
それでも俺はこう言った。

「お前がいたからだ」

現実的に考えて、俺の一日の自主トレとひきかえに、阿含が試合に出るのならば、
そちらの方がチームにとっては有益だ。不本意ではあるがそれは認めざるをえない。
なにしろ阿含が参加した決勝試合の点差は、勝ってるこっちがうんざりするほどだった。

「そうかあ?」

俺が居なくてもあんな試合、楽勝だっただろう、阿含の表情はそう言っていた。
この弟は
素直でも馬鹿ではないので、そう簡単におだてに乗ってくれるわけではないようだ。
しかしこちらとしては、疑われようと今さら筋書きを変えるわけにはいかない。
強行突破するしかないのだ。俺は強気で言い切った。

「そうだ」

そして強引にこう続けた。

「だからだ」

「へ?」

ニワトリのように首を突き出して阿含は言った。
先日阿含のお陰で決勝を快勝し、今日は練習には不向きな雨が降っている。
だから今日、俺は練習へ行かない。
というごく自然な理屈に、阿含が気付くまで少し間があった。

「…それだけ?」

阿含の表情はさも不審げで、俺の表情から真実を読み取ろうとするような目つきをした。
こいつは昔から、人の見抜いて欲しくない事に関して異常に鋭いのだ。
普段は俺が練習に行こうとすると、全力で阻止しようとするくせに、
いざ練習に行かないと言ったら疑ってくる。

その視線に俺は少々動揺した。

「そ、それだけとは何だ!」

そして俺は昔から、ごまかしたりとぼけたりするのが下手で、
苦手意識からか動揺するとすぐに表面化してしまう。
仰向けに寝ている俺の顔を、見極めるように覗き込んでいた阿含の顔が、
ふいに意地悪く笑んだ。

「ふう〜ん」

何を納得しているのか、ひとりうんうんと頷いている。

「だから優しくしてくれんだ」

阿含はすべて見透かしたように、「だから」を強調して言った。
まあ、お前がそう言うなら、そういう事にしてやってもいいけど。とでも言いたげだ。
もう駄目かもしれない。全部ばれているような気がする。
しかし、挑発に乗るわけにもいかない。
俺の不得意なところではあるが、ここはこのまましらを切るしかない。

「き、今日だけだぞ」

「へーい」

俺の心中を察してわざと騙されてるふりをしているのだろう。
阿含はにやにやと俺の顔をなめ回すように眺めて、おどけた返事をした。

「関東大会も勝つんだぞ」

ならば俺も騙されたふりに騙されたふりをしてやる。
俺はなかばヤケになって、ついでに次回の約束もとりつけてやろうとそう言うと、
意外な答えが返ってきた。

「んで、クリスマスボウルも、だろ?」

阿含の目が不敵に輝いている。
俺たちはいつのまにかアメフトの話をしていた。いつだってそうなんだ、結局。
俺と阿含は気がつけばアメフトの話をしている。

「当然だ」

そう、今日も一日こんな風に過ごしたい。
だからこそ俺は、雨にかこつけて、試合にかこつけて。
お前を閉じこめておきたかったんだ。
阿含、お前にはもうわかってるんだろう?

「わかったら、さっさとシャワー。浴びてこい」

「えー…」

「酒くさいままの男と、一日中いっしょにいる気にはなれんからな」






end.






いちど誰かの書いた文章を、トレースしてみたいと思っていました。
同じテーマを私が書いたらどうなるのかな、と。
話の流れとかセリフを殆ど変えずに書いても、それは違うものになるんだろうか、
それともやっぱり同じようなものになるんだろうか…と。
そんな実験をするにはうってつけ、書けば書くほど、
私と千代さんて感覚の構造がぜんぜん違うんだなあ、
というのが肌でわかって、それがすごい面白かったです…!
結果、「ちがうもの」になったのか、「にたようなもの」になったのか、
正直じぶんではわかりません…。笑
でもすごく楽しかった…千代さんの文に今までで一番近づけた感じがします。

千代さん、あらためて、ありがとうございました!
「チヨガミ」お疲れさまでした!

060716/ReheaRsal/北川