|
少なくとも仲が良いようには見えなかった。
オレは奴らが口をきいているのを一度もみた事がなかったし、
弟のほうの常軌を逸した身体能力は、
兄弟仲に不和を生じさせるにはじゅうぶんすぎると勝手に結論づけていたからだ。
兄貴の方は凡人凡人とずいぶんな言われようだが、一年の夏にはすでにレギュラー入りが決定していた。
奴が凡人なら、二年になった今もベンチのオレを含めその他大勢は、一体なんなんだと言いたくなる。
一方天才の方はほとんど練習には来なかったから、
いざ試合になった時にぶっつけ本番で一体どこまでやれるものか、
"天才"とやらへの妬みも手伝って、オレはそっちの方が興味があった。
常に全国を想定して練習に励んでいる神龍寺ナーガが、
あろうことか関東地区の王城に逆転されかけたあの試合で、
オレはあの双子が普通ではないのだということを悟った。
ふつうではない。言葉が足りなすぎるような気もするけれど、
ぴったりの日本語なんてきっとどこにもないんだろう。
オレはあの異様な静けさを、いまも鮮明に覚えている。
あの日、客席はほぼ満員だった。
それまでプレーに一喜一憂し、熱狂していた観客すべてが、
まるごとどこかへさらわれてしまったのではないかと思ったほど、
それは静かな試合風景だった。
「おい、あんな作戦あったか?」
同じ一年のあの兄弟がフィールドへ出てすぐに、ベンチメンバーの一人が言った。
俺達ベンチはいつでも交代要員になれるよう、
普段からレギュラーと全く同じ作戦を頭に入れ、全く同じ練習をする。
「いや…なんだ、あれ」
オレはそう言うのが精一杯だった。
それは神龍寺ナーガまさかの関東大会敗退という恐れなど、
一瞬で忘れさせるほどの光景だった。
おそらくフィールドのメンバー達も、その数分だけは忘れていたに違いない。
金剛兄弟がはじめて揃った瞬間、神龍寺ナーガは突然色をかえた。
気の遠くなるほどの訓練をのりこえた、統率のとれた軍隊のようなチーム。
1から10までシュミレーション通り。それが神龍寺ナーガだ。
それがどうだ。
俺はいったいどこのチームのベンチに座っているんだろうか。本気でそう思った。
見たことのないスピード、練習したことのないフォーメーション。
数秒後にどんな方法で攻めるのか、予想ができなくなってしまった。
ベンチで見ているオレ達にも全く予測がつかなかったのだから、
ホワイトナイツの恐怖はいかほどだっただろうか。
観客もその異様さを感じ取ったのだろう。鳥のさえずりと自分の鼓動だけがきこえた。
これはオレの知っている神龍寺ナーガではない。
体のすみずみまで鳥肌がたつほど寒く、それでいて手のひらでは汗を握りしめていた。
正直、ぞっとした。
「天才か…」
誰かが言った。
この目の前のチームが本当に神龍寺ナーガであるなら、中心は間違いなく金剛阿含だった。
けれどそれだけでは説明がつかない。
アメフトはメンバーひとりがつっ走ったところでどうにかなる競技ではないのだ。
味方をも欺くそのパスを、受け取る人間がいなければ。
「雲水…あいつら一体いつの間に」
オレも同じことを考えていた。
それはまるで毎日何時間もの秘密特訓の末に獲得した、
完璧に息の合ったチームプレーのように見えたからだ。
雲水が受けた後は、神龍寺ナーガの有する多種多様な技に応用されていく。
その時にはすでにホワイトナイツは追いつけない。結果は知っての通りだ。
実は練習嫌いの弟が、仲が悪いと思われていた兄とこっそり練習していました。
考えられないが、そうとしか思えない。
雲水は阿含の動きを把握している。でなければそこに投げるはずがない。
平凡な俺達は「いったいいつ練習していたのだろう?」と思った。早朝、放課後、土日練。
授業と生活に必要な時間をのぞくと、自由になる時間はないに等しい。
試合後、俺達は知った。
兄弟がフィールドの上で出会ったのは、正真正銘、今日が初めてだった、と。
「死ぬまで離れたくない」
その言葉を聞いて、信じられないという表情で涙をながし、
感極まったようにうなずく。
涙声ながらも彼女は精一杯の笑顔でこう言う。
「わたしも」
あれは。
心が通じる、という。
雲水はつけっぱなしのテレビからだだもれる、恋愛ドラマをぼんやりと眺めていた。
タレントとタイトルが変わるだけの、かわりばえのしない月曜の午後21時30分。
壮大にアレンジしたオーケストラバージョンのテーマソングが流れ出すと、
画面は急にわざとらしい笑い声のあふれるバラエティ番組にきりかわった。
と思えば次は歌番組で歌うアイドルのアップに変わり、ニュース、手芸講座、
そして最後にプツンと電源が落ちた。
静けさ。テーブルにリモコンを戻す弟の手。
これを。
心を共有している、という。
まるでテレビが消えたことが合図だったように、雲水はリビングのソファから腰を上げる。
それと同時に隣に座っていた阿含が、雲水の座っていたスペースに片足をあげ、
ソファを占領するかたちで仰向けに寝転がった。
立ち上がった雲水は、ソファの後ろにあるダイニングテーブルに、
ガラスのコップを二つ出すと冷蔵庫を開けた。
カチリ
雲水が冷蔵庫のドアをあけたまま音の聞えた方向を見ると、
赤いソファから突き出た弟の足と、ゆるやかに立ち上りはじめたばかりの白い煙。
わかってはいるはずなのに、雲水はかるく鼻から空気を吸い込んだ。
五感のなかで、嗅覚は一番ごまかしがきかないと雲水は思う。
見ようによってとか、聞かないようにしていた、などの、
意識的な調整機能がはたらく前に、本能が勝手に答えを出してしまう。
不快。
赤いソファがふっ、と笑った。白い煙が勢いよく昇る。
「ヒトのはな、」
驚きで、雲水の心臓はドンと鳴った。
「くせーんだよ」
咄嗟にはその他愛のない言葉の内容すら、理解できなかった。
阿含が自分に向かって何かを言うのはいったい何年ぶりだろう。
雲水は思い出せなかった。そして迷った。
やはり言葉で返事をすべきだろうか?
兄弟なら呼吸のようにしている会話というもの。
それは彼らとっては非常に馴染みのないものだった。
阿含と雲水は言葉を交わさない。
交わす必要がないからだ。
雲水が好むものを阿含が好み、阿含が不愉快に思った事を雲水も不愉快に思う。
彼らの精神はほぼ完全に直結していて、意見を違える事はまずなかった。
だから言葉という、遠回りなうえ誤解を招く恐れのある道具をわざわざ使って、
主張したり説得したり、意見を言うといった機会がないのだ。
もちろん同じ事を思った上でも、起こす行動、たとえば練習に出るか出ないかなどの違いはある。
それは性格というもので、彼らはそれすらも把握していた。
通常の兄弟のような経験による予測ではなく、自らの体調のように片割れを理解している。
いや。していた、と言い直した方がいいのかもしれない。
「ヒトの…」
雲水の発したそれは会話を成立させるにはあまりに足らなすぎた。
言葉に出してみてふと、「ヒト」には「他人」という字が当てはまるのだろうかと思った。
そうか。
雲水は自分がなぜこんなにもその煙のにおいを堪え難いと思うのか、理解した。
阿含が好むものを、自分が嫌悪しているからだ。
これまでもこれからも好みは同じであるべきなのに、
煙草の煙だけが"違ってしまったこと"を無意識に思い出させる。
雲水は何も取り出さずに冷蔵庫を閉めると、赤いソファへ向かった。
どこかにひっかけて剥がれかけた爪を、無理矢理に全てはがそうとする前のような、
どこか自虐的な覚悟で雲水は認めた。
自分たちは別々の人間なのだと。
雲水は17にして初めて知った。
魂が繋がったまま生まれ育ってきたから、今の今まで自分たちが別々の人間だなど、
知識として知っていても実感がなかった。
そうだ、俺たちは命までが繋がっているわけじゃない。
雲水の胸は鷲掴まれたように痛んだ。
その白い煙が胸にしみる。
(なんだ?)
雲水がソファの背もたれを跨いで、左腕を阿含の腹について体重をかけると、
阿含は驚いたような顔をした。
雲水が阿含を驚かせたのはうまれて初めてだったので、弟の顔を見て自分も驚いてしまった。
やはり、その煙のにおいは調子を狂わせるらしい。
雲水は弟の手首をつかむと自分の方へ引き寄せた。
阿含のこわばった筋肉が(何をする気だ)と言っている。
昨日までは人間のことばを理解し、しゃべっていた猫が、
突然にゃあにゃあとしか言えなくなった、あれは何かのアニメだっただろうか。
弟の体温が地球の裏側くらい、遠く感じた。
阿含のなかを流れている血が、自分の中を流れる血と同一であるはずがない。
そんなことに今きづいた。
雲水は唇をよせて、弟の指にはさまった細く白い煙草をくわえて吸った。
口の中に充満した煙を慎重に肺まで誘導すると、むせ返るような感覚はあったが、
阿含の言った通り不思議と不愉快ではない。
この肉体が阿含と共有することのできない、自分ひとりのものである証拠のようだった。
(死ぬまで離れたくない、か)
陳腐なドラマの手垢のついたセリフが突き刺さる。
そういう意味だったのか。
なんだ、脚本のせいじゃない、自分が理解していなかっただけなのかもしれない。
はじまりが同じだったから、まさか最後がずれるなどとは考えたこともなかった。
阿含、お前が煙草など始めなければ、もう少し気付かずにいられたかもしれないのに。
雲水はため息と同時に煙を吐いた。
けれど気付いてしまったからには仕方ない、せいぜい自分が先であるよう祈るだけだ。
「とりあえず、肺ガンに向けて俺が一歩リード」
煙草をひとくち吸い込んで阿含が言った。出し抜いてやったといわんばかりの表情。
確かに阿含が煙草を吸い始めてからもう半年にはなる。
雲水は顔にかかった煙に眉をしかめながら言いかえした。
「副流煙の方が有利だ」
|

0706/ReheaRsal/北川
|
|
|