隊長のプール
「どうでもいいだろう、着信音なんぞ」
果てしなく続くピ、ポ、パという電子音にいい加減いらつきを覚え、ふた昔まえの俳優のような顔を睨みつける。
同じL字型のソファで新聞を読んでいるこちらとしては非常に耳障りな音だ。
ロッドの手には、いかにもアメリカの工業製品といったアイボリーカラーのコードレスフォンが握られている。
ロッドはそこから顔を上げ、胸焼けしそうな程に甘い目元をこちらに向けた。
「そりゃ、俺はかまわねえよ?内線の着信音がミッキーマウス・マーチだろーが、
ベイダー・マーチだろーが」
手にした子機を大仰にブラブラと振りながらロッドは続けた。
「けど隊長の前で内線が入るたび、ナンか気まずいじゃねぇの」
それをお前が気にしているというのではないのか。そう思ったが口には出さない。
この元イタリア軍人は、拳銃、小銃、マシンガンといった軽火器はもちろんのこと、重火器を扱う訓練も一通り受けており、戦車も戦闘機も動かせる。
が、たかだかオフィス用電話機の着信音を変更することができない。いじりつづけてかれこれ30分が経つ。
もし世界が電話機で戦争をしていたら、お前は軍人には向いていないと言ってやれるのだが。
壊してしまった方が早いのではないか、という職業病じみたアドバイスは胸にしまっておく。そんな事はロッドもとうに思いついていることだろう。
その時、Gがこの共有スペースに戻って来た。無言でロッドの隣にどさりと腰を下ろすと、その大柄な身体の重さで年季のはいった革張りのソファが沈む。
「あったぞ」
そういってGがテーブルに置いたのは、これもまた古そうな小冊子だ。
黄ばみ気味の表紙には「取り扱い説明書」という題字と、ロッドの手にしている電話機のイラストが描かれていた。
ロッドは嬉しそうに口笛を吹くと、表紙がこちらによく見えるように持ち上げて見せた。
「ホ〜ラ、お前だけじゃないの。わかってないのは」
「何のことだ」
「隊長のオ・ト・メ・ゴ・コ・ロ」
あの獅子舞の何が乙女心だ。まったく寒気がする。
しかしどうやらGはロッドに頼まれたわけではなく、自主的に電話機の取り扱い説明書を探して来た、ということらしい。
わかってはいたが、顔の割には細やかな気配りをする奴だ。
ロッドにも隊長にも、目下であったあの生意気な坊やにも、Gは人を選んで態度を変えることがない。
驕ることもないが、それは逆に相手が誰であろうと自分の意志を曲げる気もないという事を意味する。
そのGが勝手に説明書を調達してきたのだから、この面倒にみずから首を突っ込みたがっているという事になる。ご苦労なことだ。
下っ端の坊やがいなくなってから、隊長は少々変わった。
おそらく隊長を変えた一番の原因は「退屈」であろう。
鮫は泳ぐのをやめると死に至るらしいが、我が部隊の隊長も同じなのだ。
鼻歌混じりで説明書を繰るこのイタリア人も似たようなものだが、隊長の方がよほど重症だ。
新しいしごきを考えて実行するという、あまりに日常的にライフワークは、島から帰って来た隊長の時間に意外なほど大きな穴をあけた。
無論、隊長の坊やに対する個人的な感情も大いに関係しているに違いないのだが、それは私の知るところではない。
簡潔にまとめるならば「はり合いがなくて少々元気がない」こんなところか。
「たしかに隊長の威力は近ごろ三割落ちだな」
「戦場では四割増しだけどね」
ロッドは両眉を上げ、なおかつ口をへの字にまげて見せた。イタリア人の表情というのはまるでクレイアニメーションだ。いちいち大げさすぎる。
とにかく隊長は、時間と気分をもてあまし、不完全燃焼な日々を送っている。
隊長というマシンの威力と馬力は凄まじいものだが、次から次へと燃料を投入し続けなければちっとも調子が出ないのが難点だ。
その鬱憤が戦場でまとめて発揮され、より荒っぽくなり、団の体質を変えようと躍起になっているシンタロー総帥に睨まれる。悪循環の出来上りだ。
ほんの一瞬、俺たち3人が黙り込んだ瞬間を狙ったようにロッドの手の中の子機が鳴った。
ミッキーマウス・マーチ
かつてこの部隊に所属していた、アメリカ人隊員が設定した曲だ。
最後の力を振り絞るかのようなミッキーマウス・マーチに、ロッドは片方の眉だけを上げて見せた。
困ったね、そう言うかわりに通話ボタンを押す。
「はいロッド…え?ああーっとハイ、ただ今、隊長に変わります」
ロッドはせわしく立ち上がると子機を持ったまま廊下へ出る。内線でまわしはせずに隊長室に直接持っていくつもりだ。
その理由はひとつ、隊長はまだ寝ている時間である。
ふたつ、尋常ならざる人物からの電話。
マーカーは何事もなかったように、読みかけだったらしい新聞を読み始めた。
最後に読んだ文字で一時停止し、それをいま解除したかのような迷いなく動くその目線。
勝手な推測だが、マーカーは気付かないふりをしていただけではないだろうか。
または電話の着信音や、上官の私情への気遣いなどは自分の仕事ではないと判断したのかもしれない。
マーカーは決して、自分の分を読み間違えたりはしないのだ。
何をどれだけすべきか、どんなに些細なことでもひとつひとつ慎重に判断してから行動する。時々かっとなる事があるが、そこに任務が絡んでいることは皆無だ。
やがてロッドが帰ってきた。子機はそのまま手に持っている。
「誰だ」
マーカーは紙面を追って目を規則的に左右に動かしながら言った。
ロッドがソファに座るのと入れ替わりで俺は立ち上がる。コーヒーを取る為だ。ロッドはフーと息をついてから答えた。
「サービスさまさま」
ロッドの言葉に思わず、振り返った。マーカーも視線を上げていた。
隊長の弟、サービス様が電話をかけて来た。
それは俺が特戦部隊に入隊して、ハーレムという男の下について初めての事だった。
ハーレム隊長と、双子の弟サービス様は仲が悪い。ガンマ団内では有名な話だ。
私用であろうと公用であろうと、わざわざ電話をかけてきたという事実は、兄弟間の関係に変化があったことを決定づけた。
長く続いた冷戦の終結。
「めでたい事だな」
そう言ったマーカーの声はとてもめでたそうには聞こえない。
「ま、急に老け込まなきゃいいけど」
ロッドは電話機の説明書を片手に電話機の操作を続ける。
2人に同感だ。
あの天の邪鬼な隊長は、不求得苦をエネルギーに換えているようなところがある。
島で長年のわだかまりが溶けたのはいいが、逆に気抜けしてしまいやしないかというのが彼らの危惧するところだ。
それでなくても今の隊長の状態はおもわしくない。
「なーんだカンタンじゃん」
陽気なイタリア人が満足げに言った。どうやら着信音の変更が完了したらしい。
生まれ変わった子機がテーブルの上で誇らしげに立っている。
確かに、この役目はこの男しかいないだろうと思った。俺は隊長にする言い訳など何も思いつかない。
そういえば今日は日曜だ。さっきの電話で起きたはずの隊長が、そろそろラジオをつける時間だろう。
一仕事終えたロッドが、さあて飯でも食いにいくとしようぜと言った。
あれ、隊長がいる。
昼飯の後、Gはトレーニングルームへ、マーカーは武器庫へ向かったが、俺はL字ソファのある共有スペースに戻って来た。
そうしたら隊長が一人で酒を呑んでいた。ラジオらしき音は聞こえないし、テレビもついていない。
「隊長?今日…日曜っすよね?」
テーブルの上ではマーカーの読んでいた新聞が、投げ出された隊長の靴の踵でぐしゃりとよれている。
表面上はそれなりに品のいい青の一族の中で、この人の動作だけはどうにも洗練とはほど遠い。
まあどんな上品な家で生まれようと、16から前線に出ていれば仕方ないか。
「ああん?…日曜?」
そう、日曜のもうすぐ14時だ。
いつもならばそのワインボトルと一緒に、馬券が散らばっている日曜日だ。どうして今日は競馬中継を聞いていないんだ…?
「もしかして隊長、忘れてたんすかあ?」
うるさい、と不愉快そうに顔を顰めて赤ワインをあおる隊長の姿に、俺は内心ぞっとした。
本当に?嘘だろう?隊長が競馬を忘れてただって…?
前線だろうが海上だろうが劣勢だろうが潜伏中だろうが、隊長は日曜には必ずラジオをつけた。
しかも、今すぐにでも中継をつけようともしない所を見ると、もしかすると馬券すら買ってないのかもしれない。
「ロッド、赤」
空になった緑の壜をごろりと転がす。赤ワインを用意しろと言ってるらしい。俺は仕方なく食料倉庫へワインの赤をもってくるよう連絡を入れた。
Gとマーカーはまだ知らないが、実はいま特戦部隊の存続はかなりアブない。
特戦部隊というよりは、隊長の立場が崖っぷちだ。
ガンマ団は民間の軍事企業であり、俺たち傭兵はいわば社員にすぎない。
部長がクビになったからといって、部下もクビになるわけではないように、俺たち3人はその気になればいくらでも他の部隊が引き取ってくれる。昇進もありえるかもしれない。
けれど隊長はこれでも責任者だ。
最悪の場合、戦闘の権限そのものを剥奪される。
甥である総帥は、叔父に負けず劣らず短気で強引だ。2人の関係はもはや末期と言っていい。
ハーレム隊長からリキッドを取って、弟との確執を引いて、戦争を奪ったら一体何がのこる?
ギャンブルとアルコール、たったそれだけだ。
そのギャンブルでさえ、隊長は手のひらからこぼれる砂をただ呆然と見ているように、手放しかけている。
流し込むべき酒がなくなり、腹の上で手を組んで、眠るように目を閉じたその顔は、すこし青ざめはているが、酒など一滴も呑んでいないように見える。
もはや隊長は、アルコールに強くなりすぎて、全てを忘れて酔っぱらう事すらできない。
それでも、空っぽになってしまった広大なプールを、隊長はアルコールだけで満たそうとするんだろう。
自分のもたれているソファの背が何かの重みで沈んだことくらい、隊長は気付いているだろうが目を開けることはなかった。
くちびるは、とても冷たかった。
なぜか徐々に死んでいくようなイメージが過り、俺は急いでざらついた顎に手を添え、乾いたくちびるを舌でこじ開けた。
捕らえた舌は熱く、赤ワインと動物の味がした。生きてる。そう思うと、他の場所も確かめなければという衝動を抑えられなくなった。
歯の並びを舌の先でなぞる。尖っていてこちらの舌が切れてしまいそうだ。全ての歯列を慎重になぞると、再び舌を捕らえて絡ませた。
彼の舌は無気力になすがままで、いっさい反応をしないが全く気にはならない。この舌の熱さがあれあば十分だと思った。
交わる口内からもれる濡れた音と、彼のすこしだけ荒くなった吐息が腰に響く。
ピリリリリリリリリリ
ピリリリリリリリリリ
聞き慣れない電子音がどこからか聞こえてくる。
音に反応して覚醒したように、閉じられた瞼の奥から深い青がゆっくりと現れる。俺は唇をあわせたまま、至近距離でぼやけた青が音を探して揺れるのを見ていた。やがて瞳は止まり、俺はその先を追った。見慣れたコードレスフォンがチカチカとランプを点滅させている。
パターン1、俺の変更した着信音の名前だ。
ミッキーマウス・マーチでなければ何でもいいかと、適当に設定したので自分でも初めて聴いた…というか、これは。
ちょっとマズかった?
毎日聞いてた着信音がいきなり変わったら、いくら大雑把な隊長でも気付く。
「ロッド」
強い視線が、こちらに向いているのが確認しなくてもわかる。
表には「電話を取れ」裏側には「これはお前の仕業か」二重の意味で責められている、ような気がする。
とにかく俺は逃げるように内線を取った。
「ハイロッド、え?えーっと…隊長。ワイン、赤はきらしてるみたいっす、ケド」
「黒」
「は?」
「赤がねーなら黒もって来い」
「隊長…やっぱ、怒ってます?」
end.