月面の先住民
 
 
 
 
 
 
 
二年間、特戦部隊と行動を共にした男がいた。
男は隊員達と同じ艦で暮らし、共に戦場へ出た。
空飛ぶ監獄のような生活に不満ひとつもらさず、過酷な戦場に眉一つ動かさなかった。
しかし、
ガンマ団特戦部隊の証である、黒革のジャケットに袖を通すことだけは、頑に拒み続けた。
男が身に纏うのは、フランス軍の戦闘服である。
それは出会ったその日に、男が身につけていたものだ。
ガンマ団特戦部隊が「全破壊」を行わなかったのは、後にも先にもその日だけである。
雪の戦場、それは特戦部隊にとってイレギュラーな任務だった。
 
 
 
「さ、さみい〜!」
 
自分がどこにいようと、故郷イタリアのあたたかな太陽が、いつでも自分を迎えてくれるとでも、思っているのかもしれない。この地中海生まれの男は。
しかし、太陽は氷点下の気温を分厚くくるむ、雲の向こう側だ。その姿さえ見えない。
イタリア人のロッドは、白い歯並びをがちがちと鳴らして震えていた。
 
「当たり前だろう、これを着ろ」
 
後から来た東洋人は、神経質そうな眉をひそめてそう言って、ゴアテックスの上着を投げつけた。
軽いわりには防寒にすぐれたそのジャケットの胸には、彼ら2人の所属する組織のロゴマークが入っている。
黒いジャケットの布地に、同じく黒い糸で刺繍された、六芒星にGを配したマーク。
組織のあらわすマークの下には、部隊名も入っているが、やはり布と同色の糸で描かれているため、光の当たり具合によっては非常に認識しづらい。
しかし、彼らの所属を一般市民に知らしめる必要はない。組織の中で判別出来さえすれば良いのだ。
そしてその部隊は、わざわざ胸の刺繍の部隊名を読まなくとも、即座にそれとわかるほど特殊な部隊である。
黒。その色自体が、彼ら特戦部隊を表しているのだから。
 
「あ〜あ、メンドっちいなあ、もう」
 
金髪のイタリア人は、同僚から受け取ったジャケットに大急ぎで袖を通すと、急速冷凍されたような指先でジッパーを顎まで引き上げた。
 
「申し訳ありません、本来ならこちらで遂行すべき任務なのですが…」
 
歳の頃は40代前半、この作戦の司令官らしきガンマ団員が、恐縮しきった様子でふたりに頭を下げた。
軍服の肩に積もった雪がさらさらとすべり落ちる。
顔色が悪いのは、寒さと恐縮のせいばかりではないだろう。
 
「この貸しは高くつくぜ」
 
この黒い部隊のボス、ハーレムの衣服はふしぎと「黒」ではない。
分厚いウールの軍用コートの色は、隊長服のジャケットの色と同じグリーンである。
この白い戦場の上空を移動していた特戦部隊の艦に、エマージェンシーコールが入ったのはつい数十分前の事だった。
歩兵隊全滅、至急応援を頼む。と。
 
「さっさと終らせるぞ」
 
一通りの説明を受けたマーカーは地図をたたむと、防寒ジャケットのフードをかぶった。
吹き荒れていた吹雪は止んだものの、軍用艦のエンジンのせいか、地面が振動しているらしく、針葉樹に積もった雪がぱらぱらと落ちてくる。
マーカーはそれが鬱陶しいのだろう。短い黒髪をフードでかくした後ろ姿はすでに目標へ向かって歩き始めている。
ロッドとマーカーはこれから、廃墟と化した3階建ての建物へ向かう。
市街地、ともいえないほどの寂しい田舎町で、その3階建ては最も高い建物である。
ガンマ団の制圧は、その3階建て周辺を除いて、すべて完了している。
任務は9割方終ったも同然であったが、その3階建てに残った兵士達の執念が予想外の展開を生んだ。
死なば諸共というわけか、あたりで一番見晴らしのよい建物に立てこもった兵士達は、近づくガンマ団の兵士を片っ端から狙い撃ちした。
絶対絶命をどこか別の場所において、目の前の敵だけに集中できる冷徹さは、敵兵ながら見事としかいいようがない。
鉄の心臓を持った孤立無援の敵兵達はついに、ガンマ団の小隊ひとつを潰すまでに至ったのだ。
魔の3階建てに挑んだガンマ団の歩兵は全滅。
すなわちこの作戦にあたって生き残っているのはこの司令部のみ、である。
9割を制圧しながらも、最後の1割で歩兵隊を全滅させてしまった悲劇の司令部。それがこの40男だ。
彼はこのまま尻尾をまいてガンマ団へ帰るわけにはいかない。
彼にはどうしても、あの3階建ての要塞を攻略できる応援が必要なのである。それもできるだけ早く、強い救援が。
その助っ人に呼ばれたのが、ちょうど上空にいた特戦部隊であり、その羅刹のような敵兵に興味を示したのがハーレムだった。
 
「いいのが居たら頼むぜ」
 
ハーレムは悠々と司令官に煙草の火を付けさせながら、2人の部下の背中に言った。
離れた場所から建物ごと吹っ飛ばす、それならば特戦部隊の十八番である。
まるで天災のような彼らの力の前では、屈強な兵士も、無力な赤ん坊も、すべてがみな平等になる。
為す術がない、という意味では兵士も赤子も変わりがないのだ。
だがしかし、隊長であるハーレムの命令は今回に限り、全破壊ではなかった。
今、3階建てに残されている兵士達は、ガンマ団にとっては憎き敵兵であるが、ハーレムにとっては宝の山なのである。
四面楚歌などもろともしない屈強な精神を持ち、ついには四面すべての楚歌を止めるまで戦い続けた、タフな兵士達。
ハーレムはそれが欲しい。
 
「上手くいくかどうか、生け捕りは初めてですから」
 
マーカーは半身振り返ると、珍しく弱気な台詞を吐いた。
まだ若いであろう中国青年の、初々しいともいえるような不安げな表情を見て、司令官の40男は不快そうに顔を歪めた。
同じガンマ団の中でも、特戦部隊は異様な存在だった。
その破壊力の凄まじさは恐れられ、そして戦争を生業とするガンマ団員にすら、忌まれた。それがこの黒革の部隊である。
彼らを呼んだからには、街の姿は残らないものと考えていたが、らしくもなく敵兵を生け捕りにしようとしているらしい。
屈強の歩兵隊が全滅させられた、と先ほど説明したはずだが、聞いていなかったとでも言うのだろうか。
司令官の男は内心舌打ちした。 嫌味な奴らだ。
しかし街へ入り、例の3階建てを中心に放射状に転がる惨状を見れば、生け捕りなど不可能だと、すぐに気付くはずである。
司令官は何も言わず、たった2人だけの"援軍"の後ろ姿を見送った。
 
 
 
 
 
「なるほど、こりゃいい腕だわ」
 
声を潜めてみても、吐く息の白さは隠せない。
ロッドはうっすら雪のつもった歩兵の体を、ひとつずつ確認するように頷きながら、手放しで敵兵の仕事を褒めた。
いくら一番高い建物から狙い撃ちしているとはいえ、木や民家といった遮蔽物も多い。しかも戦闘のおこなわれた数時間前は吹雪だったはずである。
もちろん無駄撃ちも多いが、ガンマ団の兵士達は誰一人として、あの石壁に、触れる事すら出来ずに斃た。
それが結果である。
たかだか地上3階の、朽ちかけた石造りの建てもの。それが潔癖の要塞のように曇天にそびえて見える。
生け捕りは不可能かもしれない。ロッドは正直にそう思った。
決して脅えているのではない。自分たちの力は、生け捕りには向かないと知っているだけだ。
ヤバくなったら破壊してしまおう、それはロッドとマーカーの暗黙の了解だった。
しかし、あっけないほど簡単に、2人は建物に到着した。一発の銃声も聞かないままに、だ。
敵兵はすでに逃げたのかもしれない。だとしたら、今頃どこかの包囲網へ引っかかっているはずである。
それならば、助っ人であるロッドとマーカーの仕事はすでに終わったも同然といえる。あとは敵兵の不在を確認して基地へ戻り、暖かい艦に引っ込む。それだけだ。
 
「待て」
 
しかしその恐ろしく冷えた石の建物に入った瞬間、2人は違和感を感じた。
すみずみまで冷えわたった空気の中で、そのにおいは酷く目立った。残り香ではない、今まさに立ち上っているというそのにおいは、
(煙草だ)
2人は目で確認し合うと、足音をころして煙草のにおいを探した。
 
巨人がむしり取っていったように、その部屋の入口にはドアがなかった。
よじれた蝶つがいがかろうじて残るその入口から、白い煙が漂い出ている。
いや、煙が白く見えたわけではないが、そこから流れ出るにおいと気配が、マーカーに煙の白を見せた。
南を向いた3階の部屋。まだロッドが2階を点検しているが、マーカーが感じる限りでは建物の中はからっぽだ。
ハーレムの欲しがった精鋭部隊は幻だった。
しかし一瞬見過ごしてしまうほどの自然さで、歪んだ窓枠の下、その男はひとり床に座っていた。
ちらばった薬莢と、乱暴に転がされたいくつもの空の弾丸箱に囲まれて、黒い髪の男は煙草を吸っていた。
 
「一人か」
 
ボクサーがガードを解いて背筋を伸ばすように、マーカーはそのドアのない入り口に、身体をさらけ出して立った。攻撃されるおそれはない。それだけは確かだ。
部屋は煙にまじってかすかに血のにおいがした。外に転がるガンマ団員たちのものではない、もっと近く、まだあたたかい血のにおいだ。
 
「ああ」
 
一人かというマーカーの問いに、男は視線もくれずそう答え、ふたたび煙草をくわえた。
この男はおそらく、何十メートルも向こうから、自分とロッドがここへ来る事を知っていたに違いない。攻撃するきならばとっくにやっているはずだ。
しかしその気負いのない自然なしぐさは攻撃どころかまるで、親しい友人にだけ許されるぶっきらぼうな態度に似ていた。
思った通りの声だと、マーカーは思った。
黒い髪、太い顎。こんな寒空の戦場でたったひとり、一人煙草を吸っている。そんな男の声だった。
マーカーは男と横に並ぶように壁に立てかけられているライフルに目をやった。そして理解した。
ガンマ団の小隊をしらみ潰しにコツコツ潰し、終いには全滅にまで追い込んだのは、この男の、たった一人の仕事だったのだ。
だからこそマーカーは問うた。
 
「なぜ、撃たない」
 
男は澱みなく答えた。
 
「弾切れだ」
 
フランス人ではない。言葉には妙な訛りがあった。
よく見れば男のフィールドコートから出た脚のカモフラージュは、フランス軍はフランス軍でも、外国人部隊のものだ。
今はコートで覆われて見えないが、そのカモフラージュの腹は血で染まっているに違いない。
平気そうな顔をしているが、男は怪我をしている。においからしてそれは間違いない。
単なる雇われ外国人である男が、負傷しながら最後の一人になるまで戦うほど、フランス軍に恩義でもあるのだろうか。マーカーは不思議に思った。
 
「弾が切れたのなら、なぜ逃げない?」
 
男は答えた。
 
「無意味だからだ」
 
まったく、男の言う通りだった。
小隊を潰しこの建物から脱出したところで、すでにこの地帯は包囲されている。
外国人とはいえ敵兵は敵兵。その上あれだけの損害を負わせておいて、今更見逃してもらえるわけがない。
まるで空を飛ぶ鳥のような目線で、男は自分のおかれた状況を冷静に知っていた。
それならば、ここで悪あがきなどせずに真っ先に投降するのが最善策であった事くらい、わかっていたはずである。
負けるとわかっているこの状況で、あえて戦い続けた理由について、男はこう答えた。
 
「弾があったからだ」
 
 
 
 
 
少なくとも5名から10名のフランス兵がいると思われた3階建てにいたのは、たった一人の外国人兵士だった。
 
「日本人?」
 
その外国人兵士の素性に、ハーレム以下特戦部隊の面々はみな一様に目を丸くした。
目の前のその男は、とても東洋人には見えなかったからだ。
 
「髪は黒いが…」
 
ハーレムは同じ黒髪をもつ、中国人のマーカーを見た。
 
「髪が黒くとも、灰色の瞳の日本人はいません」
 
男が日本民族に似ても似つかないのは何も瞳の色だけではなかったが、とりあえずマーカーはそう否定した。
男は体格といい顔立ちといい、どう見てもアングロサクソン、またはゲルマン系にしか見えないのだ。
 
「アヤシイねえ〜どっかで買ったんじゃねえの?国籍。えっと何だって名前」
 
ロッドはガンマ団員から報告書を受け取ると、難しそうな顔でたどたどしく男の名を読み上げた。
 
「ケ…イ、イ、チロ、コバ…ヤシ?」
 
"Keiichiro Kobayashi"
イタリア人のロッドにとってその名前は、非常に発音しずらいものだった。
特にケイイチローの「イ」、iが二つ繋がる所などはかなりの難所である。
小林敬一郎は日本国籍、埼玉県出身。東京の大学を出て、食品製造会社に就職したという経歴をもつ。年齢はハーレムより一歳年上の35歳。
かろうじて納得できるのは年齢くらいなものである。それ以外では同一人物であると思う方が難しい。
しかし、これはガンマ団が割り出した正式な情報である。
この世界のシステムの上では、誰がなんといおうと彼は"小林敬一郎"なのである。
 
「買うならせめて、白人の国籍にすりゃ良かったじゃねーかよ」
 
どう発音したら正解なのかもわからないアルファベットの並びを見るのはうんざりだと、ロッドは報告書をテーブルに放り投げると、どーすんの、と言わんばかりにハーレムを見た。
 
「国籍がニセモンでも、腕はホンモノだ」
 
ハーレムは何の問題もないといった顔で、ガンマ団員の携えているもうひとつの書類を受け取ると、"小林敬一郎"に突き出した。
 
「オラ、サインしろ」
 
ガンマ団のロゴマークのいかめしい、入団契約書だ。
自称日本人の大男は、手錠をかけられソファに座ったまま、ちらりと書類に目をやった。一瞬でそれが何か理解したらしい。
いや、殺されずにここへ連れてこられた時点ですで察していたのかもしれない。だから返事も早かった。
 
「断る」
 
「はぁっ!?」
 
少々大げさに、ロッドが声をあげた。
このケイイチロー・コバヤシひとりが撃ち殺したガンマ団員の数はなんと42名である。
にもかかわらず殺されずに捕虜となり得ているのは、ひとえに特戦部隊のスカウトだからである。
男は無口だが、断ればどうなるか想像できないほど鈍そうではない、ロッドはそう思っていたのだ。だからこそ、驚いた。
 
「理由は」
 
ハーレムが問うと、男はきっぱりと答えた。
 
「なにかに所属するつもりはない」
 
言葉の意味はわかる。わかるからこそ理解できない。
一瞬の沈黙が、その場を取り巻いた。
 
「フランス軍に所属していたのではないのか」
 
男の身をつつむ、フランス外国人部隊の迷彩服を顎でさしながら、マーカーが指摘した。
外国人部隊とはいえ、彼の羽織っているフィールドコートも銃も、れっきとしたフランス軍の物だ。
しかし男は重く、首を横に振った。
 
「あの作戦だけだ」
 
男は流れ者の傭兵だった。
軍や国家ではなく作戦単位で現地契約し、従軍する完全なフリーランス。
今日はフランス軍だったが、明日もそうだとは限らない。条件次第でどこへでも行く。
 
「その生活も今日で終わりってワケだァ」
 
話をまとめるように、ロッドがあくびをした。
なぜなら男は今から死ぬ。特戦部隊は艦に入れた面接者を、今回は残念でしたと帰したりはしないのだ。
 
「そうだな」
 
男は逆らわず、同意した。
今日は雪空だから、出掛けるのはまた今度にしようぜ。ああそうだな。
そんな調子の同意だった。
 
「いや」
 
暫く黙って男を見ていたハーレムが、振り払うように右手をあげて言った。
 
「それなら契約だ。明日からの作戦に入れ」
 
ハーレムは入団契約書の一部を手書きで修正すると、もう一度男に突き出した。
男はその契約が、ガンマ団とではなく特戦部隊との"作戦協力"であることを確認すると、黙ってペンを受け取った。
ペン先が"Keiichiro Kobayashi"と動くのを確認して、ハーレムは言った。
 
「まずはハラに包帯巻いてこい。あー…」
 
ハーレムは言い淀んでちらりと契約書を見やった。
 
「面倒だ、ケイ、でいいな。ケイ、わかったらとっとと行け」
 
ハーレムの言葉に"ケイ"は黙って頷くと、ガンマ団員に案内されて医務室へ向かった。
 
 
 
 
 
"ケイイチロー・コバヤシ"は、20歳から数えて17つめの名前で、最も馴染まない名前だ。
なにしろ自分で発音するのも難しい。
俺が日本国籍なんてまったく馬鹿らしいが、たまたまこれしか手に入らなかったのだから仕方がない。
しかし皮肉なことに17つの名の中で、一番長く呼ばれる名前となった。
 
「ケイ、特戦部隊が到着次第、交代だ」
 
いくら馴染まない異国の名でも、2年も呼ばれ続ければ、うっかり"自分の名前"を聞き落とすこともなくなる。
 
「了解」
 
無線にそう返事をすると、すぐに撤退の準備を始める。
現在の主な仕事は、戦場の地均しだ。
今回のように途中で交替することが多いが、一緒に作戦に入ることもある。
同じ艦で移動し、生活も共にしているが、それでも俺はガンマ団員ではないし、ましてや特戦の隊員でもない。
あくまで無所属である。その事はこのフランス外国人部隊の戦闘服が物語っている。
 
白っぽい茶で統一された中東の市街地を、機関銃を搭載した四駆、ハンヴィーが向かってくる。
巻き上げる砂埃はこの殺人的な日差しによって消毒済みだ。
 
「ごくろーさん、下がっていいぜえ」
 
砂とヤシのこんな土地でも、黒革の隊服と気楽な風情はかわらない。
イタリア男が車のドアを閉めなかったのは、俺が代わりに乗り込むからだ。
俺、こと"ケイ"は「全破壊」という任務そのものに加わった事はない。あくまで前哨戦であったり、補佐であったり、援護である。
どれだけ彼らとまじりあっているように見えても、俺が黒革に袖を通さないかぎりは、その一線をこえることはない。
「全破壊」の現場にいるか、いないか。それが俺と彼らの唯一の境界線だ。
 
「いいね。北北西だ」
 
ロッドという名のイタリア人は、目を細めるようにそう呟いた。彼はここからほど近くの目標地点へ、ひとり徒歩で向かう。
彼と、もうひとりの隊員である中国人、ふたりとも特殊な能力を持っているらしいが、たんなる日雇い軍人である"ケイ"がその能力を知ることはない。
 
「すこし急ぎます」
 
俺が乗り込むと、運転手であるガンマ団員はそう断ってから、ジープに似た軍用車両を発進させた。
決行時間が迫っているのだ、全破壊が始まる前にできるだけ離れなければならない。
「全破壊」を目の当たりにしてはならないのは、なにも俺だけではない。たとえガンマ団員であっても、攻撃を目撃する事はゆるされない。
まるで見てはいけない悪魔の儀式から逃げるように、車はどんどんスピードを上げる。
全身黒革の男の姿が、砂埃ごしに遠くなる。
人気のない白茶けた街、青すぎる空、ヤシの木、異国の文字。そして、黒革の男。
男の姿だけが、切って貼ったように浮いていた。
いや、むしろあの黒革が居てもおかしくない風景などは、この世に存在しないのだろう。
彼らはこの世界のどこにも、決してそぐわない。不吉で、望まれない、誰もが目をそむけたくなる棺桶のような存在なのだ。
俺の乗った車は、舗装されていない道を飛ばしているため、車体は大きく揺れながら突き進んだ。
バンパーに入ったガンマ団のロゴマークが、砂をかぶって白くかすむ。
フランス軍の迷彩を着て、
ガンマ団の車に乗り、
赤の他人の戦場を走る、
ゲルマン民族の小林敬一郎。
俺も、さぞ世界から浮いていることだろう。
そんな事を思った瞬間、しずかに、視界が白い光につつまれた。
 
 
 
 
覚醒して数秒。目が闇に慣れずとも、自分の居場所がわかった。
特戦部隊の軍用艦、医務室、ベッドの上、だ。
少なくとも俺は、薬品のにおいと、この特殊なエンジン音が組み合わさる場所を他に知らない。
俺が身体を起こす気配に気付いて、軍医がベッドを囲んだカーテンから顔を出した。
なじみの医者は一方的に質問をし、心得顔で頷くと、ざっと怪我についての説明をした。
首や顔に巻き付いている包帯の下は、割れたフロントガラスによる切り傷で、大した事はない。
ただ、右肩の完治には少々時間がかかるだろうと言った。
落下してきた建物の一部がもろに当たったらしく、骨に影響がある。精密な検査の必要があると説明した。
説明が終わると医者はカーテンをひらき、足早に医務室を出て行った。
治療に必要な何かを取りに行ったのかと身を起こしたまま待っていたが、戻って来たのは軍医ではなく、特戦部隊の隊長だった。
本物の小林敬一郎と俺との唯一の共通点、35歳という年齢に対し、イタリア人のした「隊長のひとつ上」というコメントからいって、年齢は34歳。
眼光の強さに加えて、長い金髪の印象がまるでライオンのようなこの男は、ガンマ団総帥の実弟であるらしい。
彼はくわえ煙草のまま、ベッドを囲むカーテンの中へ割り込んで来た。
 
「どうだ」
 
男はいつものグリーンの隊服ではなく、黒いシャツにレザーのパンツといった私服姿だった。
まるで時空のはざまを旅するタイムマシンのように、世界中を飛び回り続けるこの艦には、昼とか夜とかの概念がない。
どこに時計を合わせても、結局はすぐに無意味になってしまうのだ。
しかしとにかく男の服装からいって、現在が「任務中」でないことはたしかだ。
 
「特に問題ない」
 
俺がそう答えると、男は興味なさそうに大雑把に頷き、唐突に言った。
 
「どうやら囮にされたらしい」
 
男は腹を立てていた。
もちろん俺にではない。言うなれば彼の属する巨大な組織、ガンマ団に。
男の話を要約すると、今回の任務、すなわち俺が負傷したあの作戦は、単なる全破壊を目的としたものではなかったらしい。
ガンマ団本部は本来の目的を伏せたまま、特戦部隊に全破壊を命じ、それを陽動として利用したらしい事が、後になって明らかになった、というわけだ。
 
「気に喰わねえ」
 
特戦部隊の隊長であり、青の一族の一人であり、総帥の実弟であるこの男は、自分の知らない所で自分の部隊が利用された事が面白くないのだろう。
日雇い軍人の俺に怒りをぶつけた所で詮無いことだが、話を聞く相手はべつに俺でなくとも構わないのだ。
イタリア人でも中国人でも、この際たとえ熊のぬいぐるみでも。
俺はただ黙って、この気性の荒い雇い主の前に座っていればいい。そういう仕事もある。
 
「気に喰わないのなら、やめたらどうだ」
 
しかし驚いたことに、俺の口から出たのはそんな言葉だった。
俺の言葉に、男の気配がぴたりと静止した。やや間をおいてゆっくりと視線が追いつく。氷山の溶け込んだ海のような冷たい青。その青はどこの軍でも有名だった。
秘石眼。
民間最大手の軍事企業、ガンマ団を統べる一族の青。
その青を正面から受けた俺の口はまた、言葉を吐いた。
 
「文句があるなら、一族など出れば済むことだろう」
 
口から出た挑発的な言葉だけではない。
胸にふつ、ふつと浮かび上がるものがある。実に十数年ぶりに感じる、この感情はそう。
 
「もっとも一族を出たら何もできんのだろうがな」
 
苛つきだ。
俺はいま苛ついている。この男を見て、苛立っているのだ。
秘石眼の男は黙って俺の言葉を聞いていたが、やがてとても静かに、しかし銃口のような視線は俺のこめかみに突きつけたまま、言った。
 
「テメーのようにか」
 
苛立ちで熱を持った頭が一瞬、痺れて機能しなかった。
男は礼をするように腰を折ると、ベッドに座る俺の耳に顔を寄せた。そしてささやくように声を潜め、男は言った。
 
「野良犬きどってやがるが、オメーはもともとかわいそうな捨て犬だ。そうだろ?」
 
捨て犬、という部分は特にわざとらしく声を抑えて言った。大事な大事な秘密なんだろう、と言うように嫌らしく。
知っている。
この男は、知っている。
闇からのびてきた冷たい手に、突然足首を掴まれたような戦慄だった。
捨て犬、それは俺の過去を知らなければ出てこない言葉だからだ。
 
「オメェが悪ィーんだぜ」
 
俺の表情に満足したのか、男は姿勢を正してふんと鼻を鳴らすと、「その肩」そう言って顎をしゃくった。
その肩の傷をつくった建物は、爆撃で倒壊したわけじゃあないんだぜ。
特戦部隊隊長ハーレムはそう言った。
 
「地震だよ。それも相当デカイな」
 
爆撃の直後、俺が気を失ってから、あの場所で地震があった。
もともと地震のない国であるにもかかわらず、その揺れは相当に大きく、耐性のない建物はあっけなく倒壊した。
その崩れ落ちた瓦礫が、ハンヴィーの割れたフロントガラスに落下し、失神していた俺の肩に直撃したというわけだ。
そして秘石眼の男はこう言った。
 
「たしかあの日も揺れていた」
 
それは俺にとって衝撃的な事実だった。
あの日。2年前、彼ら特戦部隊と出会った、あの雪の戦場。
微弱ではあったが、あの日も大地が揺れていたと、ハーレムは言う。
 
「ダメージがあると制御が難しくなンだろうよ。そのチカラ」
 
確かにあの日俺は、脇腹をかすめた銃弾で怪我をしていた。
特戦部隊と出会った時、意識ははっきりとしていたものの、すでに微熱が出はじめていた。
あの時、自分でも知らないうちに大地を揺らしていたとは気づかなかった。
そして今日の大地震である。
大地に影響を及ぼす事のできるこの力は、秘石眼と同じように、世界でただひとつの一族だけが使えるものだ。
だからこそ、 俺はこの力を使わなかった。15年間一度も。
どんなに危機的な状況でも、死の目前でも。この力は一生使うまいと決めたのだ。
使ったが最後、俺の素性はたちまち明るみに出てしまう。
罪人の家族として国を追放された人間にとって、一族の名前などもはや呪いでしかない。
名前を変え、力を隠し、15年。
到達された。完璧に消し去れたと思った過去からポンと肩を叩かれたような、そんな気分だった。
それも、自分でさえ知らなかった弱点をともなって、だ。
 
「たいした鼻だ」
 
俺はどこか清々しいような気分で、この最初の到達者を賞賛した。
 
「さすが、血統書付きだ」
 
皮肉をこめてそう言うと、男は笑った。
 
「よく言うぜ、エリートお坊ちゃまが。どうりでデキるはずだ」
 
「…今はドイツ人ですらない」
 
「日本人か」
 
「そうだ」
 
叔父の罪名など今更どうでもよかった。
一族だからと巻き添えを喰って、国まで追放されたにもかかわらず、俺は叔父の持っていたという"危険思想"がどんなものであったのか、今でも知らないのだ。
忠誠を誓って捨てられるくらいならば、一族も国籍も名前もなにも持っていたくはなかった。どこにも属したくはなかった。
ただそこにあるものを食べ、そこにある引き金を引く。そうやって生きてきた。
雲を抜けて射す月明かりのように、青い眼の男が俺を見ていた。
 
「俺は、一族の犬だ」
 
それは静かな宣誓のようだった。
 
「ああ」
 
俺は承認した。
そうだ、お前は青の一族の犬だ。
つねに手綱を握られ、いいように使われ、時には巻き添えを食い、邪魔になればあっさりと捨てられる。
それが一族の犬。俺も居た場所。
ハーレムはふと、思い出したように言った。
 
「マーカーとロッドが、今どこにいるか知ってるか?」
 
任務中ではないのだろうが、艦のどこかに居るのではないのか?
そうでないのなら、つい先ほどまで失神していた俺が知るはずがない。黙っているとハーレムは言った。
 
「休暇で地上にいる」
 
2人が休暇中である、という事はさしあたり任務がない事を意味する。すなわち向かうべき戦場も。
ならばこの艦はどこへ向かっているのだろうか。
それを口にすると、ハーレムはまるで犬にでもするように、俺の頭をはたいた。
 
「ちったあ自覚しろや、震源地」
 
この艦は何処かへ向かっているわけではない、大地から「浮いて」いる為に飛んでいるのだ。
失神状態の俺は、力の制御ができず、無意識に大地を揺らしてしまうからだ。
 
「すまん」
 
15年の傭兵生活で、素性を知られたのも、失神したのも、頭をはたかれたのも今回が初めてだった。
艦が高度を下げているとは思ったが、それは俺の意識が戻ったからだったのだ。
この男が私服になっているのも、俺の意識が戻り次第、地上で休暇を取る為だったのだ。
 
「歩けんだろ、出ろ」
 
着陸を待って、男は言った。
2年にわたってこの部隊と契約し続けて来たが、どうやらそれも今回で終了だ。この肩では当分、戦場へ出ることはできない。
私物など何もない。銃も服もすべて借り物だ。
俺はトレーニングパンツに上着を引っ掛けた姿でベッドを降り、ハーレムについて艦を出た。
到着した場所がどんな場所かなどと想像していたわけではなかったが、それは俺の想像を絶する場所だった。
 
雪…いや砂漠か?
 
白みはじめた空の濃紺。見渡す限り地面の白。
そこは、たった2色で構成された世界だった。
雪原でもなければ、砂漠でもなく、多少の起伏はあるが山はない。植物も、建物も、光も、動物も、空き缶ひとつ落ちてない。
生き物の気配も、文明のにおいも感じない。
奇妙すぎるがしかし、どこかで…。
 
「ここは、どこだ」
 
前に立つ、ハーレムの後ろ姿に尋ねた。
黒い服を着た男の姿は、白い紙に黒い墨で描かれたように際立って見えた。
あまりに何も無さすぎて、遠近感がうまく掴めない。
俺はふと、ガンマ団はこのまま俺の口を封じるつもりなのかもしれないと思った。そしてそれは当然の事のように思えた。
特戦部隊は、秘密主義のガンマ団の中でも、極めて重要で特殊だ。
面接者を生きて帰さないような部隊が、2年ものあいだあの艦で暮らした俺をただで帰すとは、とても思えなかった。
ここは処刑にはうってつけの場所に見えた。いや、わざわざ殺されなくとも、ここへ放っていかれただけで俺は死ぬだろう。
なにしろここには、草一本すら生えていないのだから。
 
「わかんねーか」
 
男はポケットから煙草を出し、火を付けた。
その小さな明かりだけが、この紺と白の死んだ世界で、命のある唯一のように思える。
火をつけた動作で男は腕時計を見た。
 
「12時間前にはオメー、ここに居たじゃねーか」
 
今、午前4時だ。青い目の男はそう言った。
12時間前?午後4時、任務中だ。
全破壊の決行時間がたしか16時30分だったはずだから、そう、ちょうどイタリア人と交代した頃だ。
 
「そうだ。これが全破壊後だ」
 
秘石眼の男は両腕を広げ、その"何もない"としか言いようのない奇妙な風景を誇らしげに背負った。
 
「…」
 
「あ?」
 
「月面だ」
 
この風景を見たときの既視感が何であったのか、俺はようやく理解した。
アポロ13号の行った、月の写真。ここは、あの世界にそっくりなのだ。
暗くて、広くて、白骨のように生気がない。全破壊後、それは完璧な無生物の世界だった。そして思った。
この風景の中になら、あの黒革の上下は完璧に馴染むのではないか、と。
 
「何もねえだろ」
 
現に、この男はぴったりとはまって見えた。
この"何もない"世界のアクセントのように、ここで生まれた先住民のように。
 
「それに誰もいねえ」
 
男が、何を言わんとしているのかわかった。
破壊者がどんな顔をしていたか、どんな国籍で、どんな力を使ったか、破壊後のこの世界は語るすべをもたない。そう言っているのだ。
 
「最後だぜ」
 
月面の長は言った。
 
「特戦部隊へ入れ」
 
 
 
 
 
 
 
「ジーゼル…いや違うか、ドイツ読みだから…んー"ジー"じゃなくて"ギー"か?
ギーゼ、ギーゼル…ベ…ると?んー隊長〜、これなんて読むんすかァ?」
 
ロッドは現在入院中である新隊員の書類を、ヒラヒラと振りながらそう言った。
 
「ああん?知るか、本人に聞け」
 
休暇の酒が残っているらしいハーレムは、ソファにぐったりと身をあずけ、不機嫌そのものだった。
しかしその程度の不機嫌にロッドは屈しない。かまわず続ける。
 
「本人たって…ケイはまだ知らないっしょ?今度は自分がドイツ人になったなんてさあ〜」
 
その"新隊員"はあきらかに白人であるにもかかわらず、国籍は日本人という怪しさであったため、ガンマ団員として正規登録するにあたり、より自然な国籍をハーレムが勝手に用意したのだ。
 
「テメーがナニジンかぐれえ、知ってんだろ」
 
「あ〜…アイツ、ドイツ人だったのね。納得」
 
謎に包まれた新隊員の「本当の」国籍がドイツだったと知って、ロッドは大いに納得した。
なにしろその男は無口で、仏頂面、おまけに"クソ"が付くくらい真面目なのだ。
 
「で、あんだって名前」
 
ソファの背に頭を乗せてのけぞったまま、ハーレムが言った。
 
「だあーから、読めないんだってば。綴りはジー、アイ、エス、ビーイー…」
 
「あー、んじゃ、今度はジーだな。ジー」
 
「……はあ〜こんどは"G"っすかあ〜、ちょおっとイージーすぎっしょ隊長ー」
 
ロッドは呆れたようにそう言ったが、もう一度だけ書類に視線を落とすと、まあそれでいいか、とテーブルに放り投げた。
新隊員の本名を覚えることはこの先も、なさそうだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
end.