マフィアとはいえ、天気がよければ窓を開ける。
異臭のする泥水よりは、香り高い茶を好む。世界中の誰もがそうであるように。
屋敷を囲む木々の緑は五月を迎え、どれも未成年のように初々しく、鮮やかで、彼らのいるバルコニーにまでその青い匂いが届くほどだった。
どのくらいの血を浴びたかもわからない、青いほど白い薄い皮膚をしたベルフェゴールでさえ、おだやかな日差しのもとでは、金の髪に輪をのせたウィーン合唱団の少年のように、清らかで健康的にみえた。
テーブルセットを置けるほど広くとられたバルコニーで、行儀悪く片膝を立てて椅子に座り、ミルクのたっぷり入った紅茶をすすっていたベルフェゴールはふと、庭木の向こうに意識を留めた。
 
「ファッションリーダー、まーた来てるよ」
 
鼻の頭に皺をよせ、ベルフェゴールは言った。
テーブルを挟んで向かいに座っていたルッスーリアが、読んでいたイタリアンヴォーグから目を上げ、ベルフェゴールの視線の先を追った。
新緑を飾った枝の向こう、ちょうど屋敷の門が見える。
門扉は植物を模したゴシック調の鉄格子で、高さは3メートル近くもあり、アーチ型に切り揃えられた鉄格子の先端は、槍のように鋭く尖っている。
前を通ることですら憚られる、そのいかめしい門前にたたずんでいるのは、遠目にもその体臭が漂ってきそうな、みすぼらしい物乞いであった。
 
「ああ、あのジィさんね」
 
その姿をみとめると、ルッスーリアはサングラスの奥で眉をしかめた。
なにしろ視界に入ったのは普段何を口にしているか、どこに身体を横たえているかもわからない、路上生活者である。
彼を目撃したことで、ルッスーリアは自分の飲んでいた茶のにおいさえ変わってしまったような気がして不愉快だった。
 
「誰かがエサでもやったんじゃない」
 
だったら代金を貰わなくちゃ、バルコニーの手すりに腰掛けていたマーモンが言った。
物乞いの老人は、屋敷の呼び鈴を鳴らすわけでも、門に触れるわけでもないが、まるで誰かを待っているかのように、門の奥、屋敷の正面玄関をじっと見つめている。
よもやその屋敷のバルコニーから、マフィア達が自分を見つめていようなどとは、夢にも思っていないのだろう。
マフィアの門前が物を乞うのに向いているとは思えないが、かつて使用人の誰かが施しをしたのだとしたら、食うに困った老人がマフィアの門前に通うのも理解できる。
ここ最近よくみかける彼の老人には、ベルのつけたニックネームさえある。
老人はサラリーマン風のワイシャツの上に、23番のまぶしいバスケットボールのユニフォームを着ており、水色のワークパンツをはき、足にはビーチサンダルをひっかけ、ラスタカラーのニットキャップを被っている。
一様に垢染みて黒ずんだそれらは、あらゆる場所で、あらゆるジャンルの服をかき集めたかのようにバラバラで、どれもみな彼には大きすぎた。
そのうえ一番上に羽織ったジャケットだけがなぜか、女物でなのである。
その薄汚れたピンク色がよりいっそう、彼のみすぼらしさを強調していた。
みすぼらしさの限界を追求したかのような格好の彼を、ベルフェゴールは「ホームレス界のファッションリーダー」と命名した。
しかし彼の個性的すぎる風貌は、無秩序すぎる衣服だけではない。
 
「今はピンクのジャケットとロングヘアがクールなのかな?」
 
ベルフェゴールは例の癖のある笑い方で笑い、おどけた。
 
「あら、ヴォーグにはそんなことのってなかったわ」
 
ルッスリーアも演技じみたしぐさで肩をすくめてみせた。
そう。伸びるに任せた長い長い髪、それこそが彼の最大の特徴である。
路上で生活する者はえてして、髪や髭が伸び放題である事が多いが、あれほどの髪の長さは珍しい。
老人が歩けば、そのうしろを灰色の髪が地を這ってずるずると追いかける。それほどに長いのだ。
もはや何かの意図があってのばしているとしか思えない長さである。
だからこそ、マフィア達もいちホームレスの姿などを記憶にとどめていたのだ。まるで王様のマントだとベルフェゴールは笑った。
 
「ここにもいる」
 
それまで黙って話を聞いていたレヴィが、唐突に口をひらいた。
バルコニーに背をあずけて寄りかかったまま、顎をしゃくり、レヴィは仲間の視線を誘導した。
レヴィの顎の示す方向は、テラスに面した部屋である。
そこにちょうど、一人の男がドアを開いて入ってきた所だった。
明るいバルコニーから見る室内は極端に暗く見えるが、それでも十分それが誰なのか判別することはできた。それはそこにいる誰もがよく見知った男だからだ。
一斉に向いた自分への視線に気づくと、男は訝しげに眉をひそめた。
 
「…あ?」
 
レヴィは男の問いに答えるように、ゆっくりとした動作で、指を自分のこめかみへ持っていくと、そこをトントンと叩いてみせた。
 
「お前のアタマは乞食がお手本なのか?スクアーロ」
 
 
 
 
 
 
 
星をこの手に
 
 
 
 
 
 
 
しかし、一歩、二歩、三歩と、スクアーロが明るいバルコニーに向けて近づいてくるにつれ、レヴィの表情は曇った。
 
「あらまあ、イヤラシイ」
 
ルッスーリアがそう揶揄したのは、スクアーロの顔面である。
白いテーブルクロスの上で、赤むらさき色のインク瓶を倒したように、スクアーロの白い顔には派手なあざが2つ、できていた。
あざは顔の左半分に集中しており、まぶたと口の端から滲むように広がっていた。
色の中心には生々しい裂傷もある。
その怪我が、一体誰によって、そしてどんな状況で負わされたものなのか、ルッスーリアは知っていた。
ルッスーリアだけではない。バルコニーのマフィア達は全員、知っているのだ。
だからこそ、今できたと言わんばかりの生々しい傷口を見て、レヴィは絶句した。
スクアーロの顔に傷がつくのはなにも今日が初めてではない。むしろ見慣れているといっていい。
しかしレヴィがこの光景に慣れる事は、彼のその性分ゆえに、生涯決してあり得ない。
 
「俺のアタマがなんだぁ?」
 
暗い室内を抜けて、五月の陽射しの中に顔を出したスクアーロは、凄むようにそう言った。
傷のある左目だけが、殴られたせいか赤く充血している。
その左目を見た一瞬だけ、レヴィは動揺したような複雑な表情をしたが、すぐに暗く鋭いまなざしを取り戻した。
その目で、スクアーロの長い銀髪を、毛先からつむじまでを逆撫でるように、ゆっくりとねめつける。
最後にスクアーロと視線を合わせると、言葉を口の中にとどめておくのも忌まわしいとばかりに言った。
 
「胸クソ悪い」
 
場違いな小鳥のさえずりが、2人の沈黙の重さを増す。
ベルフェゴールは「また始まった」と小さく呟き、椅子から立ち上がった。
ベルだけではない。マーモンは手すりからひょいと飛び降り、ルッスーリアは溜め息混じりにヴォーグを閉じた。
仲間達は全員、不穏な空気を察知してこのあたたかなバルコニーを去ろうとしていた。
一度始まると長い事を知っていたし、見ていて楽しくはないどころか、この光景にはうんざりしている。
これ以上この場所にいても、生産的な時間が過ごせるとはとても思えなかった。
 
「うるせーぞぉ、俺の勝手だぁ」
 
スクアーロも用はないとばかりにバルコニーを去るべく、踵を返した。
だがしかし、その背中に投げつけるようにレヴィが言う。
 
「いいや。いい迷惑だ。俺まで惨めったらしい気分になる」
 
すぐに、スクアーロの返したかかとがピタリと止まる。銀の髪がさらりと滑る。
 
「う”おぉい!何が言いたい?」
 
「願掛けか、ラクでいいな。乞食にでもできる」
 
スクアーロの顔が怒りで非対称にゆがむ。
左側は腫れあがっているせいで、うまく怒りのかたちには歪まなかったが、充血した赤い目が凄みを増した。
しかしスクアーロはやがて、はらわたの煮え繰りかえるのを、復讐のよろこびに変えるように、にやりと笑んだ。
レヴィの顔をわざとらしく下から覗き込み、からかうように言った。
 
「俺の顔を見るのが、そんなにツライのかぁ?」
 
レヴィの瞳が濁る。
無視すりゃいいのに、いちいち熱くなって疲れないの。過去にそう言ったのは金銭以外に執着のないマーモンであった。
マーモンに言われずとも、レヴィとスクアーロは双方とも、痛感している。時間の無駄。それ以外のなにものでもない。
しかし、顔を見ると牙を剥かずにはいられないのだ。猫が鼠を追わずにはいられないように、本能的な何かがそうさせる。
2人はほんの一瞬で、相手の血の流れるところを嗅ぎあててしまうのだ。
まるで自分の事のように、いやそれ以上に、相手の痛むところが、弱点がわかる。
それを見たら、えぐらずにはいられない。
 
「まだあるぜえ」
 
スクアーロがそう言って、首の後ろに手をやるような仕草をしたとき、その顔には影が重なった。
少なくともスクアーロは、嫉妬に駆られたレヴィの表情を見て楽しんでいた。
そして自分の持っている切り札が、かなり有効なものであるという自信から、油断していたのだ。
だからこそ目の前のレヴィに、正面から髪をひっ掴まれるような、間抜けな事態になったのだ。
身長差のあるレヴィに前髪から頭頂にかけての髪を鷲掴みにされ、スクアーロの顔は仰がざるをえなかった。
まるでそこらの弱者のような扱いを受ける自分に血の昇ったスクアーロは、反射的に息を吸い込んだ。
が、声を出す前にその表情は、ぎょっとしたように固まった。
自分を見ているレヴィの表情である。
レヴィは自身の存在すべてを賭けるように、スクアーロを凝視していた。
いや、それはスクアーロであって、スクアーロではない。
レヴィが見ているのはスクアーロの目蓋の傷、そのものである。
照準がほんの少しずれているため、スクアーロがいかにまっすぐレヴィの目を見つめても、視線が微妙にかち合わない。
 
「う”おい」
 
レヴィのあまりに思い詰めた視線に、気味悪さを覚えたスクアーロは、傷ではなく自分自身に注意を向けようとしたが、レヴィの眼球はぴくりとも反応しなかった。
ただじっと、灼け突くような視線でまぶたの傷を見つめている。それが余計にスクアーロを苛立たせた。
スクアーロは髪を掴まれ、頭を動かすことはできないが、両腕は完全に自由である。何もじっと待っていることはない。
ところが、バルコニーの手すりに叩き付けてやるつもりで突き飛ばしたレヴィの胸は、鍵のかかった扉のようにびくともしなかった。
剣でもあれば話は別だが、単なる肉体ひとつの力関係では、体格が違いすぎる。
それならば腹でも打ってやろうと拳を握りしめた瞬間、レヴィの目が、傷ではなくスクアーロに向いた。
 
「お前には関係のないことだ」
 
断固とした口調だった。
あまりに堂々としたその物言いに、スクアーロの不信そうな目が、何がだ、と問うように揺れた。その一瞬の戸惑いが、スクアーロに判断を遅れさせた。
 
舌の先でもはっきりとわかるほど、スクアーロの目蓋についた傷は深かった。
内出血をおこしている皮膚は熱を持ち、はりつめていた。
 
(ボスの拳だろうか、このやわらかい皮膚を切り裂いたのは)
 
レヴィは目を閉じて、あるじの手を思い浮かべた。
彼のことならば、手でも髪でも、細部までありありと思い出す事ができる。
あの人の手は、肉が薄いわりには骨のしっかりとした、決して重厚ではないが、握るとナイフのような残酷さのある拳だ。
あの尖るように突き出た骨が、このまぶたを掠め、この傷が生まれたのだろうか。
レヴィは敬意を籠めて、その裂け目を舌先で辿った。
まるでその傷が、彼のあるじそのものであるように。
スクアーロは、動かなかった。
首にかけられるロザリオを待つように、ただじっとしていた。目だけが閉じ忘れたように開いている。
レヴィが今触れているのは、ザンザスの痕跡である。決してスクアーロ自身ではない。
スクアーロは即座にそれを理解した。
お前には関係ないとは、この事だったのだ、と。
だが、いくらザンザスがつけた傷とはいえ、その傷口もスクアーロの肉体である事には違いない。
現にスクアーロの目蓋には、温かいかたつむりが這っているような、奇妙な感覚がはっきりとある。
それがレヴィの舌だとあらためて思うと、スクアーロは泥水でも飲まされたような気分になった。
しかしそれでもスクアーロは動かなかった。
スクアーロはレヴィを、自分の一存で振りはらってはならないような気がしたのだ。
なにしろこの男のすさまじいまでの執着も、分厚い一枚岩のような忠誠も、全ては誰でもない、ザンザスに投げ出されているのだから。
その真摯さは理屈ではなく、直感でわかった。
目蓋に触れる、抑えた息遣いで。畏れで震える舌先で。
レヴィの目が覚めるようなまっさらな忠誠と、相反するような異常な執着心を、スクアーロは心地よく感じはじめていた。
なぜならこの男が全身全霊を捧げて向う先は、自分と同じ場所だからだ。そう、まるで同士のように。
舌先で丁寧に傷を辿りおえたレヴィは、最後にスクアーロのまぶたにそっと唇を押しあてた。
それは手の甲にする忠誠の口付けのように、恭しかった。
一瞬合ったレヴィの目のなかにもやはり、スクアーロに対する連帯の光があった。
少なくとも普段のように、隙があれば足をすくってやろうとする目とは、あきらかに異なったものだった。
しかし次の瞬間、スクアーロはより強く、髪を引っ張られることになる。
 
「!」
 
そうされる事で、思わず口がひらいてしまうほど真上に、スクアーロの顔は仰向かざるをえなかった。
けれどもそうしなければ、身長の高いレヴィが、スクアーロのもうひとつの傷に触れることはできないのだ。
目蓋にしたのと同じように、もうひとつの傷にもレヴィは唇で触れた。
長さ1センチほどのちいさな傷は、スクアーロの唇の端、口を裂くような位置にある。
ほぼ唇といっていもいいその場所に、やわらかい唇を押し付けられ、やけに熱い舌を這わされて、スクアーロは反射的に退いた。
が、一歩ぶんも下がる前に、スクアーロの踵は何かにぶつかった。髪と肩を掴まれ、そのまま強引に押し付けられる。
背中で感じる凹凸からいって、それは戸枠であるとわかった。そうだ自分は部屋とバルコニーの中間に立っていた。
レヴィは傷のついている場所がどこかなど、意に介してはいないようだった。
レヴィにとってスクアーロは今、敵意の対象でもなければ、人格をもった人間でもない。
ザンザスの痕跡を有している「もの」。刀傷のついた柱と同じ、ただの「もの」だ。
その場所がどこで、どんな意味をもつかなど、どうでもいい。
有しているのがたとえ憎いスクアーロでも、レヴィにとってあるじのつけたその傷口はたまらなく愛おしく、また、有していない自分の身が焦げるほどにもどかしい。
レヴィは、その煮える沼のような思いを舌先にこめ、つよく傷口にねじ込んだ。
塞がっていないその裂け目からは、淡く、鉄の味がする。
 
「きさ、ま」
 
やわらかい舌とはいえ、つい先ほど出来たばかりの傷口を抉られて、無理矢理に仰向かされたスクアーロは苦しげに言った。自慢の大声ではない。
上を向かされて声が出しづらいこともあるが、これ以上口を開くのを戸惑う気持ちがどこかにあった。
レヴィの舌は、口の端という相当にきわどい場所を這っている。
頭を動かせない状態で、口だけへたに動けば…どうなってしまうかわからない。無意識にそれを避けていた。
それに、これはすぐ終る。どこかでそう高をくくっていた。
ところがレヴィの傷口のなぶり方は、徐々に粘度を増していった。
目蓋にしたように、舌でそっと辿るだけではなく、唇を押しあてて強く吸い、スクアーロの顎ごと救い上げるように舐め上げもした。
それとわかるほどにレヴィの吐く息は熱を上げ、醸し出す空気が獣じみたものに変わり始めていた。
その変化に気付きながら、スクアーロが抗議ひとつしなかったのは、なにもまだ唇への接触をおそれていたからではなかった。
レヴィの狂気じみたザンザスへの想いは、スクアーロを圧倒し、スクアーロに伝播し、そして有無をいわさず同調させはじめていた。
お互いの中に自分の想いを見いだすような、
自分と他人の境界線がなくなってしまったような、
相手の想いを自分のもののように慈しむような、そんなきわめて不明瞭な状態に陥っていた。
レヴィの舌は、スクアーロの唇をこともなげにかすめ、一度かすめたそこにもはや境目などなくなり、深い口付けにいたった。
そこには抵抗も、摩擦もなかった。
どちらかともなく舌を絡ませ合い、お互いを理解しあうように口内を探り合うのは、まるで以前からの決まり事だったかのように自然だった。
 
「スクアーロ」
 
自分を呼ぶ切なげなその声が、スクアーロにはまるで、自らの一部にさえ感じられた。
スクアーロは手を伸ばすと、レヴィの頭を抱き込むようにして黒い髪を握りしめた。
 
「なんだぁ」
 
口調は普段と同じでも、声には重たいようなあまったるさがあった。
充血した左目とは違った紅さが、スクアーロの右目に滲んでいる。
熱でもあるように、ぼんやりと見上げるその顔が、レヴィにはとても他人とは思えなかった。
血を分けた兄弟?いや、同じ細胞でできた俺の分身。そうとしか思えない。
 
「ボスは他に、どこに」
 
レヴィは懇願するように言った。
今のレヴィはスクアーロになら、何もかもさらけ出してしまえた。
自分で制御すらできない嫉妬も、行き場のない情熱も、浅ましくあの人の欠片を拾い集める自分も、この男には隠す必要がない。
スクアーロは決して、笑いはしない。今この瞬間なら、レヴィはそう確信できた。
 
「わかんねえかぁ」
 
まっすぐに見上げてスクアーロは言った。
もったいつけているわけではない。レヴィは即座に理解した。
スクアーロは「許可」をくれたのだ。
レヴィは目線だけでひとつ頷くと、十字架の前でそうするようにゆっくりと膝を折り、ひざまずいた。
異常なまでに青い空と、むせ返りそうになるほど濃い新緑のにおいが、どこまでも非現実的にスクアーロの眼前に広がる。
赤むらさきの痣と、滲んだ涙、水でぼかしたようなスクアーロの白い顔が、そのあたたかな陽射しの下で切なげに歪む。
顎が震え、耐え難そうに息をつく。
うつむくと、肩にかかっていた銀髪が滑り落ち、長い長いそれは、目の前に跪く、レヴィの顔に落ちた。
顔にかかった銀髪を払おうともせず、レヴィはスクアーロを、ザンザスの内部の熱を知るそれを、飢えを満たすように夢中で貪った。
スクアーロの揺れそうになる腰を両手でおさえ、深く口に含む。
 
「レヴィ」
 
名を呼ぶ声が別人のようで、レヴィは目だけを上げた。目が合ってまた、スクアーロの表情が揺れる。
レヴィが、かつて目障りだった男が、いま自分のまえに跪き、腰を抱いて、尽くしている。
その姿はスクアーロに、ザンザスへの想いとは別の欲望を焚き上がらせた。
そしてその欲望が今、視線を介して、レヴィへと伝染する。
緋色の絨毯の上へ、スクアーロの身体が転がった。
スクアーロの下半身にまとわりついた衣服をはぎ取るレヴィのその動作は、妙に手際が良く、無駄が無かった。
片足だけをひき抜くと、力強く膝頭を割りひらく。
 
「逆だぜぇ」
 
スクアーロは失笑した。
レヴィが、ザンザスの跡を追うというなら、絨毯に転がるのはレヴィのはずだ。
 
「うるせえ」
 
少しばつが悪そうにレヴィは言った。
そして、まるでそうしてしまえば全てが時効になるとでもいうように、レヴィは自身をスクアーロの後孔に宛てがうと、性急にねじ込んだ。
息をのむスクアーロの顔が、露出の高い写真のように白く飛んで見えるほど、五月の光は苛烈だった。
その明るさのなかで、痣の紫だけが鮮やかに映える。
じりじりと、しかし容赦なく侵入してくる質量から逃れるように、スクアーロは苦しげに呻き、白い喉仏を仰け反らせた。
その首筋に浮き上がる、赤い歯形。
約千秒前、スクアーロが「まだある」と首筋に手をやったことを、レヴィは思い出した。
ちょうど長い髪にかくれて見えなかったその位置の、くっきりと刻まれた歯形の赤さに、眠りかけていたレヴィの執着心が、ふたたび燃え上がるように覚醒した。
レヴィは最後までを、たった一息で強引に押し込むと、間髪をおかずにスクアーロを揺さぶった。
突然の、そしてあまりの衝撃に、スクアーロは声すらも出せなかった。
レヴィの豹変にスクアーロの瞳にもまた、怒りが蘇る。
が、しかしその視線の先に、レヴィはいなかった。同時に首に覚えのある激痛がはしる。
皮膚に歯が喰い込むその瞬間にも、容赦なく打ちつけられる嵐のような痛み。
レヴィの次の言葉を聞くまで、スクアーロはただ、呻き、耐えることしか出来なかった。
レヴィはふたえになった歯形を目で確認する事もなく、そのまま顔をスクアーロの首筋に埋め、荒い呼吸のすきまから、うめくように言った。
 
「ボス」
 
それは絶望的な声だった。
スクアーロの瞳に、正気の光が戻る。
レヴィの頭を抱くように手を伸ばし、後頭部の髪を掴みあげた。
顔を上げたレヴィは、涙こそ流してはいなかったが、打ちひしがれたような痛々しい眼差しでスクアーロをぼんやりと見つめ返す。
その顔を見て、スクアーロはレヴィの肩を冷たく押しやった。向こうへ行けというように。
レヴィは魂でも抜かれたように力なく、スクアーロのそのしぐさに無抵抗に従い、絨毯に仰向けになった。
 
「悔しいかぁ」
 
仰向けに寝たレヴィの上に跨がったスクアーロは、勝者の笑みというにはあまりにも野蛮に笑った。
傷ついた子供のように曇りなく、レヴィの瞳が揺れる。
 
「教えてやるぜぇ」
 
その表情に満足したように、スクアーロはそう言って笑み、義手でない方の手を握りしめると、虫でも払うような仕草で振るった。
 
「!」
 
レヴィに比べればスクアーロは決して重くない。
重くはないが、ふたりの下半身はいまだ繋がっており、スクアーロは自分を押さえ込むように馬乗りになっている。
拳を振り抜くその一瞬で、レヴィが逃れることはできなかった。
スクアーロの裏拳をもろに喰らったこめかみが、かっと燃えあがったよう熱い。
おそらく今自分は、スクアーロがボスにされたように、されているのだ。
そう気付くとレヴィは、自分の感情が、抗えないほどの濁流に飲み込まれるのを感じた。
植物も、瓦礫も、生き物でさえもいっしょくたに巻き込み、押し流す。そんな圧倒的な濁流にだ。
レヴィを翻弄するその巨大な流れには、確かに甘さがある。
彼のボス、ザンザスの施したものと同じ痛みを受ける、その甘さは幸せだ。ズキズキと脈打つこめかみはレヴィを幸福にした。
しかし、その幸福は痛みでもある。
実際にその施しを受けたのはレヴィ自身ではない。目の前の男スクアーロである。
その事実は狂おしいほどにレヴィを苦しめた。
そして今自分を責め苛む快楽も、その男によってなされている。
あまりに矛盾が多すぎて、どれか一つをすくいあげる事などできない。
その混沌を掻き消すように、掻き回すように、レヴィはスクアーロの腰を掴み、突き上げた。
 
「あ”っ、」
 
殺したいほど憎い男の歪んだ顔に、レヴィの口元は薄く笑んだ。
スクアーロの顔を歪ませているのは、苦痛なのか快楽なのか、それはどうでも良かった。
ただ、原型をとどめないほどずたずたにしてやりたい。
レヴィはその思いに取り付かれ、ひたすらに掻き乱した。
スクアーロは唇を噛み締めたまま、時折、耐えきれないように喘ぎを漏らした。髪は乱れ、幾すじも顔にかかった。
身体の内側でおこっている戦いに、ひたすら耐えていたようだったスクアーロはやがて、色の違う赤い両目で、どんよりとレヴィを見た。
何かいいたげに歯の隙間から赤い舌がのぞいたが、何も言わずに、手を、レヴィの顔に伸ばした。
また殴る気かと、身構えたレヴィの両目を、スクアーロの黒い手が覆う。
革の手袋をした手で両目を覆われても、光に満ちたこの場所では、決して暗闇にはならない。
黒革の隙間から星空のように光が漏れる。
 
「休むな、カスが」
 
革の冷たい感触ごしに響くその声は切羽詰まって、スクアーロは限界を迎えそうなのだとレヴィは理解した。
いや…違う。ボスがだ。
この手のひらの向こうにいるのは、スクアーロではない。ザンザスなのだとレヴィは悟った。
スクアーロのしたことを体験し、スクアーロのされたようにされ、そして今、手のひらの闇を見たレヴィは、スクアーロの視点を自分のものにしていた。
 
「ボス、見えねえよ」
 
レヴィは、きっと明るいであろう闇のむこうにいる主へ問いかけたが、ザンザスからの返事はなかった。
息遣いと、腰を揺らす気配だけがそこに動いている。
焦げ付くような熱を解放すべく、腰を揺らす主の姿が、おそらくそこにある。
レヴィは手のひらの闇のなかに、それを思い浮かべざるを得なかった。
目に映る場所なら、どんな場所でも思い出せる、彼の身体の情報を総動員して、まだ見たことの無い表情をつくりあげるのだ。
それはレヴィにとって、あまりに慣れた行為だった。
しかし現実にはザンザスはそこにいるのだ。けれど見ることは許されない。
生きた仮面のように喰い込む目隠しの指が、お前など必要ないと言っているようで、レヴィは虚しくなり、虚しさがレヴィをいっそう飢えさせた。
 
「頼むよ、ボス」
 
飢餓でレヴィの声が震える。
しかしレヴィが願いを口にした途端、目を覆う手には一層力が入った。掴み上げるようにされ、頭蓋骨がきしんだ。
せめて声だけでも聴かせてほしかった。
ここまで来て、拒絶される意味がわからなかった。
見慣れた景色がちらりと透けて見えたように、レヴィはふと、我に返った。
スクアーロはいつも"こう"なのか、と。
 
「嘘だ…」
 
口に出さずにはいられなかった。
レヴィがスクアーロを憎むのは、スクアーロがザンザスに"選ばれた男"だからだ。
自分よりも"ザンザスに近い男"だからだ。
スクアーロの手はザンザスに届き、俺の知らないザンザスをスクアーロは知っている。レヴィはずっとそう思っていた。
だから、邪魔で妬ましくてたまらなかったのだ。
スクアーロがいなくなれば、俺の手が届くはずだと。繰り上がる事ができると。
それがどうだ、スクアーロは届いてなどいなかった。
スクアーロで”さえ”ザンザスには届いていないのだ。
 
「わかったかぁ」
 
手のひらのむこうで、スクアーロが言った。
ほんの淡い期待で星空へ手を伸ばし、そのはかりしれない距離を知るように、レヴィは知った。
届かない。
俺も、スクアーロも。
呆然とするレヴィの胸から、スクアーロの長い髪が這うように滑り落ちた。
その絶望的な距離を、スクアーロはとうに知っていた筈だ。俺より早く、手を伸ばしていたのだから。
渇いた舌で、レヴィはぽつりとつぶやいた。
 
「願掛けか、楽でいいな」
 
星空の向こうでスクアーロが自嘲気味に笑う。
 
「俺の勝手だァ」
 
 
 
 
 
 
end.
 
 
 
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