夕暮れどき

ひぐらし

六畳座敷

古い桐箪笥




金剛寺の双子




ぽつねんと座っている。
そこらにある箪笥や、座布団や、くずかごのように。

昨日刈ったばかりだというような小さな坊主頭の影が、
今日最期の西日とともに、畳に淡く。
影だけ見れば、静物のような少年。
年の頃は、ななつかやっつといった所だろう。肩がひどくちいさい。
きちんと正座した姿とは裏腹に、その眼差しは、遠く。
彼の前にある桐箪笥の奥、その奥の壁、
その壁の奥の客間、客間の奥の居間、居間の奥の・・・。
きれいな二つの目玉があるだけで、そこには何も映っていない。
うつろな眼差しのそばを、幾すじもの汗が流れ落ちる。
Tシャツはべったりと背に張り付き、
正座の折り畳まれた膝の間からも、汗が滲んでいる。
膝のそばには、白地の浴衣と、
群青のふんわりとした兵児帯がきれいに畳まれていた。
普段寝間着にしているそれとは違う。
新しすぎて、きっと広げても合わせが糊でくっついている事だろう。

「まだきがえてない!」

突然、襖がひらき、目の錯覚だろうか。幻だろうか。
先ほどまでそこに座っていたはずの坊主頭の少年が姿をあらわした。

「うん・・だって」

襖を開けた少年は、
畳に正座している少年と体格も、顔も、坊主頭も同じだが、
当然のことながら別人だった。
正座の少年はまだ畳にすねをつけたままであるし、
襖の少年はすずしげな紺地の浴衣を着ていた。

「いかないのか?」

襖の少年は、正座の少年に向かって言った。

「・・・行く」

正座の少年は、そう答えて白地の浴衣を睨みつけた。

「せっかく買ってもらったのに」

襖の少年もまた、白地の浴衣に視線をおとした。

「だって・・・ちがう」

正座の少年は、拗ねるように、言い訳するように、
やわらかい眉を寄せ、くちびるを尖らせた。

「雲水のと、ちがう」

憎らしそうに白地の浴衣を睨み、正座の少年はちいさな声で言った。

「おんなしだよ。色がちがうだけで」

襖のそばに佇んでいた少年は、きっぱりとそう言い、
自分の浴衣の袖を両手で掴み、紺の浴衣を広げて見せた。
正座の少年は自分の白い浴衣からも、彼の紺の浴衣からも目をそむけた。

「いいか?ほら、見ろって。
ここにとんぼがいて、ここにも、ここにもとんぼがいる」

少年は襖を離れ、正座の少年の側にしゃがみ込みこんだ。
そして奇麗に畳まれた白地の浴衣を広げた。

「ほら、阿含のにもおんなしとこにとんぼがいる。
ここでしょ、それからここにもいるでしょ・・・」

雲水、という名の少年は、
阿含という名の少年の浴衣の、白を泳ぐ紺色のとんぼを指し、
それから自分の浴衣の、紺に散った白いとんぼをさした。
ふたりの浴衣は、いわゆるネガとポジのような物だった。

「それにおびは、ぴったしおんなしだよ」

白地の浴衣に添えられた青い帯を、自分の腹に巻いた帯にくっつけて見せた。

「な?」

阿含はしげしげと帯と紺のとんぼを見つめ、
それからおそるおそる、白地の浴衣に手をのばして言った。

「おんなしだ」







「ねえ、母さまあれは何ですか?」
金剛寺には双子の兄弟がいた。
彼らは幼いながら、寺に住み込む坊主たちと共に寝起きし、
また共に修業を積んできた。
「あれはね、りんご飴。食べたい?」
彼らの母親はやさしい女で、息子達を愛していたが、
愛しい息子達と一緒に、ごく普通の暮らしを許されてはいなかった。
「いいんですか?」
その為、夏祭りのよくある親子の、よくある会話もまた、
ごく普通のそれとはすこし違っている。
母親はこくりと頷くと、二つの坊主頭をゆっくりと、やさしく撫でた。
こうして、母親が頭を撫でてやる事も、小さな子供がものをねだることも、
年に一度あれば良いくらいなものだった。
次にこのふたつの頭に触れてやれるのはいつだろう。

「阿含!なにいろにする?」
彼は雲水、という。
双子なのだが、先に生まれたのだろう、兄である。
彼は目の前にならぶ、りんご飴を初めて目にした。
割りばしに乗った、あか、あお、きいろ、みどり。
これが本当に食べ物なのだろうか?
つやつやとして、透明で、ガラスにしかみえない。

「雲水とおんなしの」
彼は阿含。
数十分、雲水より遅く生まれた。
彼は雲水よりも一歩後に立ち、雲水の横顔を見た。
それから所在なさげに、うつむく。
ここにとんぼがいて、ここにも、ここにもとんぼがいる。
指先で自分の浴衣のとんぼを、位置を確認するように数え始めた。
ななつまで数えた時、みずあわガラスのような青い玉がとびこんできた。
「これでいい?」
差し出された青いりんご飴の先には、雲水がいた。
阿含は、雲水の右手に同じ青いりんご飴が握られているのを見て、
こくりと頷いた。

「阿含、みて」

雲水が阿含の浴衣の袖を引っ張る。
雲水はその小さな手には大きすぎる青いりんご飴を、
指し棒のように突きだして示した。
「あら、金魚すくいね」
風呂桶ほどもありそうな、プラスチックの浅いプールには、
赤い小さな金魚が所狭しと泳ぎ回っている。
プラスチックの水色と、金魚の赤は、
阿含の目に、とても鮮やかに映った。

「母さま」
阿含は釘付けになったように、金魚のプールを見つめたまま、
母親の浴衣の袖を握りしめた。
泣いたりしないかわりに、笑いもしないこのちいさな息子が、
何かをねだっている。
「すいません、3人ぶん」
母親は金魚のプールを仕切っている派手な婆さんに声をかけた。
代金を支払うと、息子達にうすい紙の張られた、
虫眼鏡のような形のプラスチックの輪を手渡す。
息子達はその輪っかを不思議そうな顔で見つめている。
「紙がやぶれないように、そーっと、こうして、ホラすくえた」
母親は金魚すくいを初めて体験する彼らに、金魚を一匹すくってみせた。
「やってごらん」

これ、という金魚を見つけたのか、
緊張した面持ちで雲水が輪を水にひたす。
金魚は雲水のピンクの輪を笑うようにぎりぎりですり抜け、
つい、つい、と泳いで仲間の群れへ紛れ込んでしまった。
どれがさっきの金魚かわからない、逃げた金魚を探すうち、雲水の紙は破れてしまった。

「坊主、やるねえ」

老齢のわりにはどぎつい化粧、紫のうすい布をターバンの様に巻き、
極彩色の服に痩せた身を包んだ、夜店の女店主が言った。
雲水が見ると、阿含の右手に握られた真鍮のうつわには、すでに9匹の赤い金魚が泳いでる。
左手に握られた輪は水など意に介さず、阿含の思うまま、金魚を捕らえてはすくい出した。
輪に張られた紙は、まるで上質紙のように破れない。
阿含の目は爛々と輝き、頬は金魚の色をうつしたように赤かった。
「雲水、もう一回やる?」
母親は、阿含の真鍮のうつわの中の金魚に見入る雲水に言った。

「やめときな」

女店主が言った。
深い皴と、厚い化粧の奥の目がひかっているようだ。
雲水を、見ていた。
まるで夜の鳥のような、厳しい目。
なんで?雲水は言う事ができなかった。
女店主の目は、有無を言わせないものがあった。
「やめときます」
雲水はそう言って、紙の破れた輪と空の真鍮のうつわを店主に返した。

結局、阿含は12匹もの金魚をすくい、6匹づつ三角のビニール袋に入れられ、
阿含雲水それぞれひとつづつ持って帰った。






夏休み、直前だった。
雲水は帰宅し、ランドセルを背負ったまま、
自分と阿含に割り当てられている部屋へ速足で向かった。

「阿含、そうたいしたんだって?」

ふたりは通学下校を共にしているが、今日は阿含が昼休みに早退していたのだ。
阿含のクラスメイトが、お腹痛いんだって、と雲水に教えてくれた。
雲水が自室の襖を滑らすと、そこには弟の姿があった。
昨日の夕暮れと同じ、阿含は西日の厳しい部屋できちんと正座していた。
雲水の目に最初に飛び込んできたのは、阿含のすぐ側のからっぽの金魚鉢。
水はそのまま入っており、 空っぽというよりは金魚が不在の金魚鉢だ。
金魚はどこへいったんだろう、と目を走らせると、
阿含の膝の前には、赤い、小さい、細長いものが点々と奇麗に一列に並んでいた。
雲水はよく見ようと一歩前に出る。

「雲水」

阿含が呼んだ。
阿含の手のひらには、畳に一列にならんだそれが、ひとつだけ乗っていた。

「阿含・・・なにしてる」

雲水はぼう然とした。
金魚鉢の金魚の行方がわかったからだ。
11匹は畳にきれいに並べられ、残り一匹は今まさに阿含の手のひらに乗っている。
阿含はすこし困ったような顔をした。

「あそぼうとおもったんだけど・・・」
動かない、と言って自分の手のひらの赤い金魚を見た。
金魚は、まだ、少しだけ手のひらの上であえいでいる。
雲水は急いで阿含の手首をつかみ、阿含の手ごと金魚鉢につっこんだ。
金魚は阿含の手から抜け出し、金魚鉢の中をするりと泳いだが、
水面に引っ張られるように浮上し、水面でくるりと腹を出した。

「しんじゃった」
雲水はプカプカと浮かぶ金魚の腹を見た。

「しんじゃった?」
阿含は雲水と金魚の腹を交互に見た。

「そうだよ。そとにだしたんだもん」
学校で習っただろう、と雲水は続けた。
「・・・・・・・・」
阿含はまだたきひとつせず、目を大きく見開いて金魚の腹を見つめてぽそり、とつぶやいた。

「みずのなかはくるしいよ」

雲水は阿含の顔をのぞき込み、ゆっくりと。
「それは阿含だろう。金魚はくるしくないんだよ」
そう言って、畳に並んだ金魚の死体を見た。
「お墓、つくろ」

阿含の見開かれた目から、大粒の涙が落ちた。
ぽたり、という音に雲水が気付いた時には、阿含は大声をあげて泣きだした。
幼い子供ならよくある事だが、阿含には珍しい事だった。
雲水は阿含が狂ってしまったのかと怖くなり、
何も言えずただ、阿含をみつめた



12匹の金魚の死体をティッシュにくるみ、庭へ出ても阿含は泣きやまず、
阿含の鳴き声を聞きつけた寺の庭師たちが来て、墓をこしらえてやった。
なに、ナムアミダブツでも唱えておけば金魚は成仏するさ、と言って阿含をなだめたが、
阿含は、それから一晩中、泣き続けていた。




翌日雲水は2人分の成績表を持って学校を出た。
一晩中泣き続けた阿含は、朝になって眠ったのか、
誰が起こしても決して起きなかったのだ。
彼らは明日から夏休みだ。
夏休みだとはいえ、そこらの小学生とはわけが違う。
学校がなければ、そのぶん寺での修業があるわけだが、
それでも夏休み前の空気は、雲水にとって充分楽しい。
楽しさ半分、阿含の心配半分で、雲水は家の門まで走って帰ってきた。

「阿含!おきたのか!」
門の前の道路には、自分と同じ坊主頭の弟がしゃがみこんでいる。
阿含が顔を上げると、雲水は変な顔をした。

「なんだ、そのかお」
一晩中泣き続け、阿含の瞼は腫れあがっていた。
阿含は目をこすると、にこりと笑った。
彼の手には白いチョークが握られており、足もとにはこの炎天下何時間もかかったであろう、
壮大な落書きが広がっていた。
「ばかっ怒られるぞ」
雲水がそう言ってまゆ毛を寄せて見せると、
阿含はその手に握ったチョークを雲水に差し出した。

「雲水もかく?」

流れる汗もそのままにチョークを差し出す弟の顔は、
すこしも悪びれず、無邪気そのもの。雲水が本気で怒っているのではないとわかっている。
雲水は額の汗をTシャツで拭うと、チョークを受け取った。

「ちょっとだけな」

雲水はいたずらっぽく笑って、ランドセルを下し、道路にしゃがんだ。
白いチョークを走らせると、がりごりとアスファルトの感覚が伝わる。
「阿含、あとで花つみにいこう」
雲水はかすれた白い線を伸ばしながら言った。
「なんで?」
阿含は膝をかかえて雲水のはしらせる白い線の行方を見守った。
「おそなえ、金魚に」
雲水はあいている腕で、坊主頭から流れる汗をぬぐう。
「きんぎょ」
阿含はただ、雲水の言ったとおり復唱した。
雲水は顔を上げた。
拭う事を知らないように、顔に、首に、いくすじもの汗をしたたらせた弟の、
きょとん、とした顔があった。
「きのう、金魚しんじゃったろ」
雲水は弟の汗を手のひらでぬぐってやった。
阿含は真剣なまなざしで兄の顔を見ていたが、やがて言った。


「そうだっけ」







アルバート第2話「イレブン」へつづく