昨夜の雨に耐え抜いた満開の桜が、惜しげもなく青空に花びらを振る舞う。
砂利の水面すれすれを、這うように舞う桜吹雪とともに、
いちまいの紙切れが阿含の靴に纏わりついた。

皴だらけになったA4サイズのコピー用紙。
ほんの気まぐれで、振り払わずにつまみ上げてみた。

「かんとう さいきょう しんりゅうじ なーが で あめふとを やらないか ?」

力強い筆文字を阿含は声に出して読んでみた。
その時、阿含の背後、長い長い階段の下。
黒いアウディがすべるように停車した。
車体には、青空にうかぶ雲の細部までうつりこんでいる。

バタン

なにげなく、阿含は振り返る。
車を降りて石段を登り始めたその人物もまた、何気なく顔を上げた。
阿含はもういちどそのコピー用紙に視線をやると、
こちらへ向かって石段を登って来るその人物に、身体ごと向き直った。
人さし指と親指でコピー用紙を、石段の下へひらひらと振るようにして、
阿含は言った。

「雲水、アメフトやんね?」




日付をまわっても靴を履き

嗅いだことのない匂いをかぎ

口にした事のないものを口にした

金の前髪の世界は、まるで外国だった




ALBERT_6
王様





こいつら何だっていうんだ。何の意味があるんだ。
もう夜中12時をまわってる。
それなのにこんな大音量で音楽をかけて、どうしようっていうんだ。
どうしてこんなに人がいるんだ。
寝る気はないのか。

「あれ、ユータそのこだーれ?」

フロアを揺らす重低音のすきまを通すように声が聞こえた。
不思議だ。
こんなにも耳を塞ぎたくなるほどにうるさいのに、
「ユータ」というキーワードが混じればなぜか耳に届く。

「ユータァ!呼んでる!!」

阿含はすぐそばでバーカウンターの女と雑談しているユータの耳に向かって背伸びをし、
声を張り上げた。
阿含が声の主の方を指さすと、その女は煙草の煙をかき分けて側まで来ていた。
ただし視線の先は長身のユータではない。

「やだ、ちょうかわいい!なに?ユータの連れ?」

女は・・・女と呼ぶにはあまりに幼かった。
輪郭も身体の線も、阿含のクラスにいる女子とたいしてかわらない。
ただ、彼
女が阿含の顔を覗き込むように膝を曲げると、甘い、女の香水の匂いがした。
彼女の履いた白いウエスタンブーツも、クラスの女子にはない大人っぽさだった。

「超カワイイ!って・・・俺とタメだっつの」

ユータはそう言うと、バーカウンターの女から受け取ったプラスチックのカップをひとつ、
阿含の胸に押し付けた。
中にはオレンジ色の液体が、浮かべた氷が揺れれば零れんばかりに注がれている。

「俺のおごり」

阿含が受け取ると、ユータはぼそりとそう言った。

「タメェ!?うっそ小学生かと思っ・・・」

目の前の女がそこまで言った時、これは少し年上だろうか、
2人の少女がウエスタンブーツの背後に忍びより、口をふぐと彼女を押しのけた。

「ナニナニ?アタシも混ぜなさいよっ!」
「キャーわっかぁ!君いくつ?」

あとから登場した少女ふたりのきらきらとした視線は、
阿含一点に集中している。

「なにもー、邪魔しないでよっ」

ウェスタンブーツが2人の間にむりやり割込む。

「オマエ、女ももってっちゃうワケ?」

少女三人を横目に、ユータは阿含に苦笑して見せた。
ユータの口から出た"オンナ"という言葉の生々しさに、
阿含は思わずユータから目をそらした。

「ちょっと、ユータ紹介しなさいよ!」

後から来た派手な巻き毛の少女が、ユータのシャツを引っ張る。

「マジ、ちょーカワイイ!」
「私ねえ、ミーナ。名前なに?」
「彼女いるの?」

「何このガキ、超邪魔」

はっと、少女たちの顔色が凍りつく。
その冷たい声は、阿含とユータの目の前にいる少女たちよりも、
頭ひとつぶん背の高い少女が発したようだった。

コツ コツ

音楽はかわらずフルボリュームでフロアを揺らしている。
それなのになぜか、彼女の履いた靴の音があたりに響いたような気がした。
歳は高校生かそこらだろう。
ゆるいパーマのかかった栗色の髪は腰まで伸び、
黒いベルベットのミニドレスから伸びた足は細く、白く。
ウサギの毛にくるまれたハイヒールが、長い彼女の足を余計に長く見せている。
大きな瞳は明るく、肌の色がすける程白い。どこか外国人の血がまじっているのだろうか。
美しいのに冷たい感じが、まるで人形みたいだと阿含は思った。
彼女は阿含の目の前まで来ると、
自分よりも背の低い阿含を見下すように一瞥すると、すぐに目線を上に戻した。

「ジントニック」

怒ったように彼女が言うと、バーカウンターの女がハーイと返事した。
阿含は自分がバーカウンターをふさぐように立っていた事に気付き、
そそくさと彼女の前を空けた。
ジントニックを待つ間、彼女は質のいいガラス玉のような目でユータを見た。

「怒んなって」

ユータは困ったように笑った。
彼女は何も言わず、差し出されたジントニックのプラカップを持って、
ツカツカとひとごみのフロアへ消えた。
彼女の背中が消えると、少女達がいっせいに騒ぎだした。

「マジあの女、ムッカつく!」
「死ね、レズ女!」
「無視!無視!知らないよもー」

憤った少女たちを、阿含がぼんやりと眺めていると、
ユータが軽く解説をした。

「レズなんだよあいつ。男がだいっきらい。まァ、ちょっとかわいいけどな」

ユータの発言を聞いて、あれのどこがかわいいのかと少女たちはまた騒ぎ立てた。

「ガイジン?」

彼女が消えたひとごみに視線を泳がせて、阿含は言った。

「あー、たぶん半分くらい。アリスっつーし。本名かわかんねーけど」

アリス。
阿含は声には出さず、くちびるだけで唱えてみた。

「なに?ああいうのがいいわけ?」

つい先程まであからさまに媚びた表情をしていた、
ウェスタンブーツの表情が豹変した。
他の2人も面白くない、といった顔で阿含を睨んだ。

少し、いい匂いがするなんて思って損した。

するすると暗く薄い幕がおりるように、 阿含は急に嫌気がさした。
久しぶりにユータに会って、マクドナルドを初めて食べて、
煙草を吸ったし、髪はすけるほどに金色になった。
信じられないような遅い時間に電車に乗って数十分前、
生まれて初めて東京の地を踏んだ。
ここは夜中なのにお祭りみたいに明るくて、
見たこともないような服を着た、自分と同じような年の子供が沢山いた。
ずっとずっとその間、この暴力みたいな音楽に似て、
阿含の心臓は興奮で高鳴りっぱなしだった。

だったのに。阿含はにわかに舌打ちした。

阿含の顔色の変化を敏感に察知したのか、それともこの爆音の中で舌打ちが聞こえたのか、
少女達はぴくり、として阿含の様子を伺った。

なんだ、こいつらクラスの女子と一緒じゃんか。
ぎゃあぎゃあうるさくてすぐ人のせいにする。

固まった空気をかき混ぜようと、ユータが口を開きかけた時、
フロアが沸いた。

「なんだァ?」

個々に酒を飲み、個々に踊っていたはずの少年少女達は、
いつの間にか一個の大きな塊と化していた。
巨大なやじ馬の固まり。
口々にしゃべり、中には拳を振り上げ中心に向かって叫ぶ者もいた。
長身のユータでさえその中心部に何があるか見えないらしい。
ユータはバーカウンターに手をついてよじ登り、高みから中心を見下ろした。

「誰、誰?」

巻き毛の少女がたまらずユータに向かって声を張り上げた。
ユータはわざとらしく、まるで山にでも登ったように、手でつくったひさしを額にあてて、
やじ馬の中心部を眺めてから、阿含と少女3人を見下ろして、
例の歯茎をのぞかせてニヤリと笑った。

「アリスだ」

集団が声を合わせて手を打ち、一気に高まっていくのがわかる。
かすかに、女の悲鳴のようなものが聞こえた。

「ザッマみろ」

ウェスタンブーツの幼い顔が笑うように醜く歪んだ。
阿含は状況がわからず、巻き毛にどういう事かと問うた、が、
巻き毛が答える前にバーカウンターの上に立ったユータが、
やじ馬どもの声に負けぬように阿含に言った。

「阿含!デビュー戦やっか!」

ユータは満面の笑みで阿含を見降ろしていた。
デビュー戦?阿含が首をかしげてみせると、
ユータはバーカウンターの上に並んだラムの瓶を一本掴み、そのままフロアに叩きつけた。


バッシャァーン!


やじ馬どもがいっせいに振り返る。
阿含の抜いたばかりの金髪が、抜けんばかりに上へ引き上げられた。

「アーーーーリス!!」

ユータは少年少女の塊に向かってありったけにそう叫ぶと、
天上に向かってひとさし指を突き立てた。
それは観客へのアピール。
次に指は片手でつかんだ、自分と同じ金髪頭の少年を力強く指し示した。
観客の視線は面白いくらいユータの指先を追って、天上から少年へと流れた。


「今助ける!!」


フロアの少年少女すべての視線を集めたユータの声が、
阿含の頭上を越えて彼らに届く。

ウォォォォォォ!

一個の塊だったやじ馬どもは、まるで一匹の生き物の様に叫び、そして姿を変えた。
フロアに立っていた阿含からは、
どこにいるかさえ確認できなかった"アリス"がすぐに姿を現わした。
少年少女という生き物が、阿含の前に道を開いたのだ。

アリスの黒いベルベットのミニドレスは、フリルが無残にも垂れ下がり、
髪で隠れて確認できないが、おそらく胸の辺りははぎ取られているのだろいう。
揃いの生地でできたバラのコサージュがくっついたまま、床で残骸となっている。

それでもアリスは手で身体を覆うことなく、両手を後に回して立っていた。
アリスの背後には彼女の肩くらいまでの背丈の少女が守られるように、震えていた。
ユータが不意に阿含の背を蹴った。
阿含はつんのめるように、2歩、3歩とやじ馬の空けた道へ放り出されてしまった。
さっきまでの熱狂が嘘みたいに、観客達は行儀良く、阿含を見つめた。
遠くで音楽が聞こえる。
阿含はもう、フロアの音楽の音量が大きすぎるとは思わなかった。
赤絨毯に蹴りだされた阿含を、アリスは睨みつけた。
さっきと少しも変らない、汚い物を見るような差別的なまなざし。
阿含は思わず、赤絨毯を歩み始めていた。
3歩、4歩、歩むごとに意志を増す阿含の姿に、
観客達の興奮は遂にはちきれた。
少年少女達の熱狂と、享楽と、歓声でもって、
阿含は"リング"に迎えられた。

フロアの音楽などままごとのようだ。
今の阿含はそう思う。
自分ひとりへ向けられるこの膨大なエネルギー。血が沸き立つようだった。
阿含が"リング"に足を踏み入れると同時に、
生きた"リング"はゆっくりと阿含の出口に分厚い扉を閉ざした。
歓声、嬌声、罵声、何百とわめきあい、ひびきあい、ぶつかりあっているのに、
その中心部は静かでもあった。
膨大な音の中から、たった一つだけの声が選ばれ、
阿含の耳に届く。

お名前はー?

阿含はアリスと自分を腹におさめた、
大きな生き物を視界にとらえながら、ちいさく唇を動かした。

「あごん」

窓の外の潮騒のように、観客達は遠くでさざめいて、
また一つの声が選ばれる。

いいか、"あごん"。
5人の悪役を倒さないと"アリス"を助けられない。
死亡遊戯って知ってるか?そう、ブルース・リーの。
彼が塔を上がるごとに一人の強敵を倒したように、
このファイトも君ひとりで勝ち上がらなければならない。

阿含は潮騒の奏でるしずかなしずかな音楽を、
選ばれて届いたその声を、
なだめるように、うなずくように、微笑むように、
ゆっくりと目を閉じた。


自分がこの世界の王様になる事を、
もうすでに阿含は知っていた。


ゆっくりと瞼を上げると、
ティーンエイジャーとは思えないような髭面で、
プロレスラーのような屈強な身体を持った、
狂暴な眼差しの忠実な "部下" が、
阿含の瞳にうつっていた。


アルバート第7話「泥棒」へつづく