こんなにも、似ているのに






ALBERT_14
シンメトリー・シンドローム(L)





寺が部活動を禁じていたわけではなかった。
現に彼はいま、中学時代を取り戻すかのように部活動に熱中している。
アメリカンフットボールといったか、その競技はよほどに苛烈なものらしい。
ひ弱というわけではなかったが、今どきの少年らしい痩身は、
まるで本来はそうあるべきだったのだというように、日に日に筋肉を纏っていった。

「栄達さん、ただいま」

門をくぐって帰って来るたび、ひとまわり逞しくなってくるようだ。
肌は灼け、どちらかといえば優等生だった面立ちは、あっという間にスポーツマンに変身した。
悪くない。私は親…ではないが、親馬鹿だ。

「おかえり」

神龍寺に入学して以来、陽のあるうちには帰ってこなかったが、陽の方が延びたのだろう。
雲水はかすかな西日を背負っていた。
はっとした。
聞いた事を疑ったわけではないが、いまひとつ実感というものが沸かなかった。
雲水の向こうにその姿を認めるまでは。

「阿含」

なぜか、確認するように呟いてしまった。
彼がここへ帰って来るのは中学一年の秋以来だから、2年半ぶりということになるか。
雲水は、私に阿含の姿を見せようとしてか、阿含に私の姿を見せようとしてか、
阿含を振り返るように身体の向きを変えた。
白か?黄か?
阿含のぼさぼさとした水分の少ない髪は、弱い西日を完全に透過している。

「おかえり」

お帰り、という実感のないまま、私はそう言っていた。
嬉しいとか、良かったとか、安堵だとか、はたまた怒りだとか。
本当はまだ、そんなありふれた感情でさえも浮かばず、
ただただ、家出息子の突然の帰宅に面食らっていた。
阿含は、こういうと年寄りくさいが、若者っぽい虫の複眼のようなサングラスの眼で、
ちらりと私の鼻か口あたりを見やったようだったが、すぐにふいと顔を逸らした。
その仕草は生意気で礼儀知らずにも取れるが、
少なくともその人生を生まれた頃から16年間見ていた私にとっては、
気難しく甘ったれの阿含の面影と重なった。

「栄達さん、布団出してもらえますか」

そんな阿含を見た雲水の(困ったな)という表情も、彼の定番の表情だった。
けれどもその定番の表情は、隣に阿含がいてこそ成立するものだったのだ。
ああ出しとくよと返事をしてやると、雲水はお願いしますと言って阿含をともない、
私の前を通りすぎて玄関へ向かった。
おとなしく雲水についていく阿含の背中や肩は、
服の上からでも2年半何をして過ごしていたのだろうと思うくらいに逞しい。
雲水がもし高校でアメフトを始めなかったら、雲水の方がちいさく見えたかもしれない。
しかし今は、こうなる事が当然だったかのように、
彼らの背格好は、本当によく似ていた。






俺はこいつにこんなに気を使っていただろうか。

「どのくらいかかる、渋谷まで」

40ヤード走を終え、私服にアメフトシューズという中途半端な服装の阿含は、
仙洞田監督のはからいでそのまま練習に参加した。
最初は何者だと訝しんでいたアメフト部員達も、
彼がシューズを脱ぐころになると、明日も来るかと詰め寄っていた。

「は?」

阿含は部室のベンチに座って、履いてきたブーツの靴紐を締め上げながら、顔を上げた。
慣れない環境というやつだろうか、顔にはすこし疲労の色がみえる。

「渋谷から来てるんだろ」

一休の話では、阿含に決まった住み家は無いだろうとの事だ。
しいて言えば"渋谷に住んでる"という表現が一番正しいと、
阿含の2年半を知る彼は言っていた。

「さあ」

阿含は興味がないから知らないといった風情で、はぐらかした。
髪が金になり、声が変り、ずいぶんと立派な身体になってはいるが、
みえみえで、小ずるいところはあきれるくらい変ってない。

「うちは20分だぞ」

気付かない振りで優しい声を出す俺も、変ってない、か。
俺は弟を家に連れて帰るのに、なぜこんなに遠回しに気を使っているのだろう。
べつに帰って来てもらわなくたって構わないのだ。
今までそうして、なにも支障などなかったのだから。

「近けーな」

そうだったっけ、そんな近くにあったっけ、と、
意外なほど素直な驚きの表情で、阿含は手を止めた。
それからすこしの間、阿含は黙々とブーツの靴紐を結い上げ、
俺も黙って汗を拭き道着に着替えた。
部員がお疲れさまでしたと部室を出て行くたびに、お疲れっしたと返事をかえす。
当然のように私服の阿含の準備は、ユニフォームを着ていた俺より早く、
ブーツを履いた阿含はベンチから腰を上げずに、ぼんやりと部室を眺めていた。
どうやら家へ、金剛寺へ帰る事にしたらしい。
気のない振りをしているが、立ち上がらないのは俺を待っているからだろう。

「行くか」

着替え終えた俺はそのつもりで声をかけると、
阿含はよっこらせ、と言わんばかりに腰を上げた。
そのいかにもああ面倒くせえというポーズは、
こいつも俺に対して少なからず、気を張っている証拠なのかもしれない。

俺達はあまり喋ったことのないクラスメートとの会話のような、
ぎこちない雰囲気のまま、約20分の道のりをこなした。
ひとつ、わかった事がある。
俺の隣に阿含がいると、すれちがう人の目線というか注目度が格段にあがるのだ。
最初は阿含の派手なサングラスや髪の色のせいかと思っていたが、
やがてそうではないと気付いた。
俺達はあたりまえの事ながら、とてもよく似ているのだ。
遺伝子レベルでは似ているのではなく"同じ"なのだから、間違いないだろう。
昔はなんとも思わなかったが、2年半離れて暮らしてみると、
やはり双子というのは不思議なものなのだと、俺は他人事のように思った。






「なんか無理ある」

6畳間に二つ並んで敷かれた布団を見て、阿含がそうつぶやいた。
確かに。
布団を敷いた俺が納得してしまった。
阿含が出て行った中学のころと、部屋はたいして変わっていない。
高校に入って、筋トレ用の姿見とダンベルが増えはしたが、たいした量ではない。
それでも本棚や机があるのだから、二組の布団は6畳間にぎっちぎちに敷かざるをえなかった。
昔はこうして寝ていたはずだが、俺はこの部屋で一人で寝ることに慣れてきっていたし、
こんなに至近距離に布団を並べて眠るのは、弟とはいえ窮屈というか落ち着かないというか。
俺は阿含という別の生物を迎えてはじめて、自分のテリトリーというものをはっきりと感じた。

「まあ仕方ない」

ほかに部屋がないこともない。
ただ栄達さんは当然のようにこの部屋に布団を運び込んでいたし、
今から移動するのも少々面倒くさい。
なんだか近すぎて気まずいから、いちど敷いた布団を別の部屋に敷き直す、
というのもまた、気まずい。幸い、明日も早いのだ。
腹に入ればみんないっしょくた、ではないが眠ってしまえば何処でも一緒ではないか。

「消すぞ」

俺は問答無用で蛍光灯からたれ下がる紐に手をのばした。

「えー」

阿含は信じられないというように大げさな抗議の声を上げた。
俺の貸したハーフパンツのポケットから、携帯電話を出してディスプレイを確認する。
抗議の対象は布団のレイアウトではなく、就寝時間についてだったらしい。

「俺はもう寝る」

起床時間は6時なのだから、今寝ても睡眠時間は約7時間。
決して長くはないし、しかも俺は今、朝夕の練習の肉体疲労で倒れ込みそうなほど眠たい。
それにしても今更ながら、こいつは今までどんな生活をしていたんだろう。
渋谷に棲み、夜眠らず、筋肉を纏う。

「お前も6時に起きろ」

俺はカチカチカチと蛍光灯の紐を3度引き、捨て台詞のようにそう言った。
俺には俺の習慣と生活がある。
合わせてもらう必要はないが、おとなしく邪魔されてやる気もない。

部屋には窓がひとつあり、俺が物心ついたときにはすでに、
このやけに西洋風なカーテンがかかっていた。
長年の使用で生地はすりへり、満月の夜などは電気を消しても随分とあかるい。
今夜は月がでていないようだ。
真っ暗闇ではないが、本棚や机や阿含の姿は、
濃いグレーと、もっと濃いグレーの
濃淡でしかない。
阿含は仕方なく布団に腰をおろしたものの、どうしたものかと考えているようだ。
居間に行ってテレビでもつけようか、いやしかし坊主どもがうるさく言うかもしれない。
それとも着替えて出て行ってしまおうか、それも少し面倒くさいな…そんな所だろうか。
やがて薄い闇の中に、ぽつりと長方形の青白い光が浮かんだ。
眩しいというほどでもなかったが、
俺は身体を反転させて携帯電話をいじる阿含に背を向けた。

「おやすみ」

俺がそう言うと、うん?ああ。とぎこちない返事が返って来た。
起きたらこいつは居ないかもな、と予感しながら、
俺の意識は眠気のなかに急激に沈んでいった。






まぶたの裏の闇が、白、黒、白、黒とけたたましく切り替わるのを感じ、
俺はぼんやりと覚醒した。
夢か。
薄く開けたまぶたの向こうは、相変わらずの黒ともいえないモノトーンの世界だった。
まだ、暗い。起きるのには早いだろう。
俺のまぶたは眠気でなかば強制的に閉じる。

…ああ、雨が降っている。雨音がきこえる。

明日まで続くようなら、グラウンドは使えない、
そんな思考もだんだんと薄まっていくその過程で、
突如、
この古びた木造の壁と、磨りガラスの窓がはじけるように震え、
間延びした闇が緊張でひきつるほど、大きな雷鳴が轟いた。
いや、それが雷鳴だと気付くまですこし時間がかかった。それほどに強烈な音だった。
普段、その存在を疑うことさえない家という存在が、
一瞬でこなごなに潰れてしまうような衝撃音。同時に自分の矮小。
まどろんでいた俺の心臓は跳ね上がった。ずいぶんと近い。
俺が上半身を起こしたところで、雷が落ちないわけではないが、
俺はむくりと起き上がっていた。雨粒が力強く窓を叩く。
ふと、何かの気配に気付く。
不覚にも、驚いてしまった。そうか、阿含がいたのか。
阿含は俺と同じように俺に背をむけた格好で、暑いのだろう、掛け布団をはだけ、
灰色の肩のラインをゆっくりと上下させている。眠っているようだ。
雨のせいだろうか、確かに蒸し暑い。
しっかり布団をかけて寝ていた俺のTシャツは、ずいぶんと湿っている。
水でも飲むか、立ち上がろうと腰を上げた瞬間、
稲光が信じられないくらいの光量で瞬いた。
安物のカーテンや黄ばんだ磨りガラスなどではとうてい対抗できない、強烈な光。
合図なしの、天のストロボ。
俺はその一瞬の光のさなかに、阿含の背中にとり憑く何かを見た。
まくれ上がったTシャツのすそから覗く、黒い尾のようなものだった。
俺は左手をついてかがみ込み、むきだしになった阿含の腰を凝視した。
わからない。
稲光が消え、暗いせいだろうか、それとも気のせいだったのだろうか。
何かあるといえばぼんやりと黒いような気がするが、影といえば影かもしれない。
やがてドン、という衝撃音に続いてばりばりと張り裂けるような雷鳴が、
部屋を、寺を、この当たり一帯の街を支配した。
その常軌を逸しているといっていい程大きな音の中で、

ほんの一瞬だけ、俺は俺を見失った。

何か強い力につき動かされるように、指先で黒い尾の見えた肌に触れていた。
正直にいえば、大音量に乗じた感がある。俺は衝動的に触れたのだ。
それは得にざらざらしているとか、つるつるしているというわけではなく、
ただ汗ばんでいた。
雷はいまだ寺の頭上に居座っている。
その存在を示すように、巨大ストロボの稲光がとても静かに光った。
目が。俺を見ていた。
横たわる身体のまとう俺の衣服が、そうさせたのかもしれない。
俺の触れてる背中が、俺の背中に見えた。
肩の筋肉も、鼻のかたちも、なにもかもが、俺だった。
布団をはだけて横になり、こちらを見る男は俺だった。
俺のとなりに、俺が寝ていた。

「なに」

横になった方の俺が発した、寝ぼけたような声で、
幻覚とも魔法ともいえない何かがパチンと醒めた。
途端、俺は狼狽して声が出ず、身体は膠着したように動かなかった。
一体なんだよというように、弟が顔を向こうに戻す。
遅れた雷鳴が瓦を叩く。その音はさっきよりも少し、力を失ったように思える。

「これ」

言ってみて、この声は誰の声だと疑うほどに、俺の声は妙だった。
人差し指と中指の腹で、黒い霧のような尾をなぞる。
俺の指も、彼の腰も、黒い尾も、汗が滲んでいた。

「痛く、ないのか」

できるだけ常識的な事を、と瞬時に頭をかすめて、出た言葉がこれだった。
なぜ、常識を装う。俺はまたすこし動揺する。
間が、あった。
相変わらず闇はどっちつかずのグレーで、雷は精彩を欠いた。
なんど光ったのか、時間にしてどのくらいの間だったのか、見当がつかない。

「…痛てーよ」

やがて曖昧な闇をかきわけ、かすれた声がとどいた。

「痛てえに決まってんじゃん」


アルバート第15話「シンメトリー・シンドローム(R)」へつづく