次の停車駅を知らせるアナウンスはまだ流れない。
走る地下鉄から脱出することは不可能だ。
ガラガラの車両では隠れることはできない。
誰かに助けを求める時間もない。
ゴールテープと悪役はどちらもセナの目前に迫っている。



Go! SENA Go!
Vol.3“goal tape




セナは、すでにに車掌室の前まで到着してしまっていた。
ドアのガラス越しに働く制服姿の車掌が見える。
このドアを叩いて車掌に助けを求めてみようか?
原因はわからないが追われています、と。
多分あと数十秒で若者達はこの車両へやってくる。説明している間に追いつかれるだろう。
セナは車内を振り返った。
この先頭の車両では立っている人どころか空席さえある。
いくらセナが小柄であろうと、身を隠せるところがあるとは思えない。
セナはもう一度車掌室を見た。
電車の先頭である車掌室からは、ガラス越しに前方が見え、
暗い地下トンネルをゆったりと湾曲しながら線路が続いている。
この電車が各駅停車だったことがせめてもの幸いだろう。
次の停車駅はセナの降りる予定の駅のひとつ手前ではあるが、この密室からは脱出することができる。
しかし車掌室から見えるトンネルは、永遠に続くかと思われるほど暗い。まだ駅につく様子はない。

どうする?

アナウンスはまだか?
今アナウンスが流れたとしても、その前に追いつかれる。

どうする?

いっそあの若者たちに捕まって、きっと人違いだと弁解してみる?
まさか、話が通じるような顔をしていなかった。

どうする?

きっともうすぐやって来る。
セナの混乱した思考のずっと遠くに、
ガタンゴトンといつもと何もかわらない電車の走行音がきこえる。

どうする?

どうして?

なぜ僕は追われている?



ガラッ



音の方向にセナが視線を走らせると、
ちょうどドアを開けた所に金髪の大柄な若者が肩で息をして立っていた。
彼と瞬時に目があった。
金髪の若者は、セナの姿を認めるとあまりよくない歯並びを見せて、ニカリ、笑った。
「脚はっえぇな、オマエ」

ガタン・・・ゴトン・・・ガタン・・・

彼はセナの背後が行き止まりである車掌室である事を認め、
余裕のある足取りで勝ち誇ったようにそう言った。
ダッダッダッという音と共に、もう一人のニットキャップもすぐに姿を現した。

ガタン・・・ゴトン・・・ガタン・・・


「まもなく池尻大箸に到着します。お出口、左側のドアが開きます。まもなく池尻大箸ー」


セナの待ち焦がれた車内アナウンスがやっと流れた。
これから電車はしだいに減速して、駅のホームに滑り込む。
列車が完全に停車するのを待って、自動ドアがゆっくりと開くだろう。

遅すぎる。

金髪の若者はアナウンスに対してわざとらしく「お?」と言って見せた。
彼の余裕が表す通り、セナと若者2人の距離は5メートル強と言ったところだ。
電車が停車するのを待っていたら、捕まってしまう。
金髪の若者は走ることなく、ゆっくりと、しかし確実に距離を縮めている。

ガタン・・・ゴトン・・・ガタン・・・

セナの背後はどん詰まり、電車はやっと減速し始めたところだ。
逃げきれるか?
いや、もう逃げ道はない。
セナは渇ききった唇を舌で舐めると、ぎゅっとまぶたを瞑った。

ガタン・・・ゴトン・・・ガタン・・・

そんなセナの表情を見て、金髪の若者はにやりと笑ったが、内心ほっとしていた。
電車が揺れて上手く走れないせいもあったが、少年は絶望的に速かった。
もしかすると少年は短距離走かなにかのの選手なのかもしれない。
喧嘩では誰にも負けない自信はあるが、徒競走では十人並みだ。
けれど追いついた今、間近でよく見てみれば、
目を瞑って耐える様に立つその少年は思ったよりもずっと幼く、あまりに華奢で、スポーツとは縁遠い。

ガタン・・・ゴトン・・・ガタン・・・

「なんもしねぇって」
若者は減速する電車のように、ゆっくりとセナに近づきながら、できるだけ優しい口調で言った。
ここで少年に騒がれたら厄介だ。駅員にでも捕まったら面倒なことになる。
やがて少年は固く瞑っていた瞼を開き、不安そうな目でちらりとこちらを見た。
自分の後にいる仲間の方も見たようだ。
(ケンジ)は自分の後に立つニットキャップの仲間を振り返り、目配せをした。
ニットキャップの若者は(ケンジ)の意志を理解し、口を開いた。
「そうだよ。カネさえ渡してくれりゃあ・・」
ニットキャップの若者は、人の良さそうな笑顔をつくって、
(ケンジ)越しに少年に向かってそう言いながら、はっとした。

いない!

(ケンジ)の肩の向こう、脅えきって観念したはずの少年がいない。
少年が立っていて見えなかったはずの「車掌室」の文字がくっきりと見える。
いや、
いた!

自分の目の前だ!

少年はいつの間にか(ケンジ)という壁を越えて自分の目の前にいる。
(ケンジ)はいまだ車掌室の方を見たままだ。

何故だ?
どうやって(ケンジ)の前から自分の前に来ることができたのか?


いや、違う。



捕まえろ!


若者は今まさに自分とすれ違おうとしている小さな少年に、
すぐさま通せんぼのかたちで手を伸ばした。

目が合った。
黒くて大きな目だ。

少年は通せんぼされる瞬間を知っていたかのように、すれ違いざまこちらを見たのだ。
中坊だと思っていたが、それは子供の眼差しではなかった。
次の瞬間、胸にふわりと何かが当たった。
何だ?そう思った時には。
「おわっ!」
足がよろけていた。
少年は目があった瞬間、手を伸ばして胸を突いたのだ。やさしく。やわらかく。
電車がおおきく揺れた事も手伝って、若者はまるで合気道の技にでもかけられたように、
見事にバランスを崩した。
ドスン
「いって!何やってんだよ!」
よろけた場所には、少年を追うべく走り出した(ケンジ)がいた。
(ケンジ)は少年に抜かれ、一瞬あっけにとられはしたが、
自分の後で待機していた仲間をも軽々と抜き去り、列車を逆走しだした少年を追おうとした矢先、
よろけたニットキャップとぶつかり合い、尻餅をついてしまった。
自分に背中から覆いかぶさるように倒れ込んできたニットキャップを、
身体の上からようやく押しのけた時、


プシュー

「池尻大箸、池尻大箸に到着です」


ドアが開ききらないうちに、ホームへ飛び出す少年が見えた。
「逃げられた!」
少年はホームへ降り立つと、一度だけ不安そうにこちらを振り返った。
「どけよバカ!」
(ケンジ)はいまだに車内の床に這いつくばっているニットキャップをまたぐと、
一番近いドアへ転げるように走った。

「ドア、閉まります。駆け込み乗車はご遠慮ください」
閉まりつつあるドアのすき間を(ケンジ)の大柄な身体が、ホームへ転がり出た。
少年は!?
(ケンジ)は、少年が登ったであろうはずの階段を見上げた。
いない。すでにいない。
車内で見せたあの走りならば、すでに改札くらいは出てしまっているかもしれない。

プシュー

バンバンバン!

(ケンジ)が振り返ると、閉まりきった電車の中から、
ニットキャップが必死に開かないドアを叩いていた。


俺だけか!


(ケンジ)はゆっくりと動き出す電車に背を向け、階段を目指して走り出した。








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Vol.4“ruote246”