1.通り雨
その日の部活は、夏特有の通り雨で中止になった。
下校時刻はとっくに過ぎていたし、今更室内トレーニングに移るのも何だしって事で。
ついさっきまでは照りつける太陽と、乾燥した砂にまみれて練習をしていたのだけれど、
少し風が出てきたなと思ったら、突然大粒の雨がふりだした。
その後部室に急いで逃げ込み、今はいかにも通り雨らしい物凄いどしゃ降りで、遠くで雷まで鳴っている。
傘を持ってた姉崎さんも、傘を持ってなかった僕を含め部員のみんなも、
じきにやむだろうという事で、蒸し暑さの引いた部室で思い思いに暇をつぶしてる。
ヒル魔はパソコンをいじっていて、姉崎さんは部室の片づけをしてる。
セナ君とモン太君は2人でアメフト雑誌を読んでいて、雪光君は部活で潰れたぶんの勉強を取り戻すのに一生懸命。
三兄弟君たちは、何をするってわけでもなくマンガをペラペラめくったり、缶ジュースをすすったり、あ、黒木君は寝てるのかな?
僕、栗田良寛は、おかしをつまみつつ、小結君とボール磨きをしてる。
「糞チビ、コーヒー」
テーブルに投げ出された足の上の、ノートパソコンから目を離さず、ヒル魔が言った。
あれ?なんだろ。なんかヒル魔に言うことがあった気がする。なんだっけ。思い出せないな、なんだろう。
2人できゃっきゃと雑誌を見ていたセナ君は「はい」とすぐにイスから立ち上がった。
「あ、セナ。私がやるわ。」
姉崎さんが立ち上がったセナ君を制して、先にポットに手をかけた。
あ、わかった。
「ヒル魔さ、なんでセナ君の事、名前で呼ばないの?」なんの気なしに常々から疑問だった事を聞いてみる。
ヒル魔はパソコンから顔を上げ、セナ君を見、
「ほー。糞チビ、テメーにも氏名があったのか。聞かせてみろ」
口の端をつりあげ、犬歯…いや、八重歯っていうのかな、をのぞかせ例の悪魔的な笑みでセナ君に言った。
セナ君はむっとした顔をしたけれど、何も言わず、すとんとイスに座った。
僕はセナ君に助け船をだすつもりで、言った。
「でもヒル魔、セナ君の事名前で呼んでたじゃない。えーっとホラ、恋ヶ浜の時とか」
なぜ、こんな細かい事を僕が覚えているか?
それは気になってたから。
ヒル魔がちゃんとに人の名前を呼ばない事が。
ヒル魔はご覧のような性格で、いや、でも本当はすごく気使い屋で、真面目だし、良いところいっぱいある。
でもすぐにはわからない。だから凄いとっつきにくいんだ。なのにヒル魔はそんなのお構いなしだから。
呼び方だってあんなだし。だから恋ヶ浜戦でセナ君の名前呼んだ時、あっ、って思ったんだ。
ちょっと安心したっていうか…。
だけどあれからセナ君の名前、呼んだの見たことないなって。
そしたら、
突然ヒル魔の横顔から表情が消えた。ゆっくりとこっちを振り返る。
僕とヒル魔のやりとりを、なかばいたずらっぽい表情で見ていた部員のみんなはこう思っただろう。
1、ヒル魔が怒鳴る。2、僕が蹴られる。3、僕がハチの巣になる。
でも、どれも起こらなかった。
こちらを振り返ったヒル魔は口を少し開け、三白眼の目を見開き、顔の筋肉は硬直していた。
一言でいえば。
驚愕の表情だった。セリフをつけるなら、そんなバカな。って顔だ。
蛭魔妖一を知る、全ての人に見せてあげたい。そんな表情だった。
ひやかしまじりの顔でみていた部員の皆の顔は、驚きへとうまく移行しきれていない、なんとも言えない顔でヒル魔を見てた。
部室の屋根を叩く雨音が、さっきより一層大きくなった。
一人だけ違ったのは、セナ君だった。
「本当ですか?じゃあ名前で呼んで下さいよ」
僕を見ているようで、僕なんか見えていないようなヒル魔の目に、正気の光が戻り、バッとセナ君を振り返った。
振り返ったヒル魔の顔は、僕の位置からは見えなかった。
セナ君はもう一度言った。
「呼んでみて下さいよ」
目がきらきらして、嬉しそうだ。
が、急にセナ君の顔が、頭の上に「?」が浮かびそうなほどキョトン、とした表情になったかと思うと、
ガターンッ!
急にヒル魔が立ち上がった。立ち上がったと同時にイスが後にひっくり返った。いや、ひっくり返したのかな?
あっ
と言う間もなく、ヒル魔は部室を出ていった。どしゃ降りの外へ。
ヒル魔がドアを開けた瞬間、カッと雷が光り青白い光が部室一杯に反射した。
「・・・・・・・」
ドォーーーーン!
少し遅れて雷鳴が聴こえた。だいぶ近くに落ちたみたいだ。部室全体がビビビっと振動した。
「・・・ナンダ?」
雷鳴が鳴りやむのを待って、モン太君が言った。
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