10.花火大会の夜
この錆びた階段の終わる所。
この繋がれた手が離れる所。
僕が仲間の一人に戻る所。
待ち遠しいような。名残惜しいような。
足もとを見ると、ステップのすき間から、登ってきた沢山の階段が見える。
頭上を見上げると、それよりは少ない階段の裏側が見える。
前を見ると、闇に溶け込む金髪が揺れている。
足がだるくなってきたし、汗が額や背中を次から次へと流れ落ちる。
ガガガ
大きな雑音が轟く。町内放送用のスピーカーのスイッチが入ったらしい。
「大変お待たせ致しました。これより第29回花火大会を開始いたします」
女性の声のアナウンスが夜空に響き渡った。地上でわっという歓声があがった。
「急げ」
急に手を引かれ、僕はつんのめりそうになった。
ガンガンという二人分の派手な音をたてて、僕たちは階段を駆け登る。
遅いじゃねーかセナ!モン太の声を、浴衣姿のまもり姉ちゃんを、両手いっぱいのヤキソバやかき氷を持った栗田さんを。
想像すると肩の力が抜けた。ほっとした。
けれど、ヒル魔さん。
そんなに早く登らないで。この階段が、この時間が終わってしまうから。
ビルが、もっと高ければいいのに。
「着いたぞ、屋上だ」
ヒル魔さんが階段と屋上を隔てる鉄格子のような扉を、ギィと押し開けた瞬間。
障害物ゼロの藍色の空に、ひとすじの金色が駆け上がり、
弾けた。
僕が今まで遠くから見ていた花火とは別物だった。花火というより爆発に近い。
光が放射状に頭上に広がったかと思うと、熱い火の粉が降ってくるんじゃないかと身がすくむ程に大きく、そして近かった。
ドォーン
「凄い・・・」
僕は肩で息をして立ち尽くし、そう言うのがやっとだった。
ヒル魔さんに手を引かれ、ゆっくり息を整えつつ屋上の柵まで歩いた。
僕は歩きながらも馬鹿みたいに次々に炸裂する火の粉に釘づけになっていた。
花の様に丸く飛び散る、柳の様に垂れ下がる、キラキラと弾けながら消えていく。
ひやりとした鉄の柵に手をかけても、無言で見入った。
光とは随分遅れて聞こえる炸裂音が、手すりをビリビリと振動させる。僕の身体まで振動してる。
いや、違う。規則的すぎる。
ポケットに入った携帯電話が振動しているのだと気付き、取りだすとメールが来ていた。
(もうセナ!花火始まっちゃったよ!どこにいるの?連絡ちょうだい。)
添付ファイルを開くと、さっき見た最初の花火の画像だった。
・・・そうだ。ここにはみんながいない。
「ヒル魔さんっ!」
「ア?」
ヒル魔さんはさっきまでの僕と同じように、一心に空を見上げている。
「み、みんなはどうしたんですか?」
空から目を離すのを惜しむように、ゆっくり振り向き、
「さあ?」
と言った。
「さあって・・ここに来てたんじゃなかったんですか?」
みんな僕より先にここに集合しているんだとばかり思っていた僕は、今更そうではないことに気付いた。
「・・・来ねぇよ。俺がメールを送ったのはお前だけだからな」
え?
僕は急いでメールを確認した。僕が家でまだ時間があるとのんびりしていた頃、ヒル魔さんから届いたメール。
(アメフト部員に告ぐ。
7時30分大鳥神社前集合。
花火見物の絶好の場所を確保した。)
このメールは僕だけに届けられていた。
「どっどうして・・・」
上半身を柵に預けていたヒル魔さんは、ゆっくりとした動作で身体を僕に向けてひねり、
肘を鉄柵に突き、頬杖の姿勢をとった。
そして少し得意げな表情で言った。
「当ててみな」
なぜあのメールを僕だけに送信したのか?
・・・まさか。
ちがう、違う。僕は今何を考えた?
でも・・・。まさか。
落ち着け僕、集合場所は最初丸川橋だった。僕の家の近所だ。
それが大鳥神社に変更された。そこは川を挟んで向こう岸。急がないと間に合わなかった。
だから、誰かに連絡をするでもなく急いで家を出た。
そうしたら。そうしたら・・・。
「オ、噂をすればだ」
ヒル魔さんは鉄柵から身を乗り出し、下を眺めていた。
まとまらない思考はとりあえず保留して、僕もその視線の先を追った。
みんなだ。暗がりでわかりにくいけれど、花火が打ち上がると昼間のように明るくなる。
毎日一緒にいるみんなを、見つけるのは簡単だった。
何か話しながら、ひとごみに流されつつ今、このビルの真下あたりにいる。
モン太の黄色いサッカーシャツ。栗田さんの大きな身体。まもり姉ちゃんの白地の浴衣。赤い林檎あめ。
みんな花火を見ながらぞろぞろと歩いてる。
ビルの屋上なんかにいる僕たちに気付くはずもないのに、僕は僅かに身を引いた。
「呼ばねえのか?大声出せば聞こえるぜ」
どきり、というより、ぎくり。だった。
呼ぶべきだと思う、僕たちは約束していたんだし。まもり姉ちゃんなんか特に心配してるだろう。
「ほら、いっちまうぞ」
いくら牛歩とはいえ、人の波は移動している。
僕の胸はまさに早鐘だった。
呼べない。声が出ない。
だって、僕の左手はまだ、ヒル魔さんの体温の中にいる。
みんなが少しずつ遠ざかっていく。
呼ばなくちゃ、でも。
ドォーーーン。
この音は、あの通り雨の日の雷鳴に似ている。
そんな事が頭をかすめた。
みんなは、もう僕の声の届きそうな範囲を通り過ぎようとしている。
「下ばっか、見てんなよ」
みんなの事なんか忘れたようにヒル魔さんが言った。
「はい」
僕はむりやり顔を上げた。
左手に、少し力を込めたのに気付いてくれただろうか。
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