13.花火大会のあと
今にも触れそうな唇に、僕の一週間が消し飛びそうで。
僕が生まれて初めて約束をすっぽかした。あの夜。
みんなの姿がとっくに見えなくなっても、僕達二人は無言でひたすら火薬の弾ける様を見ていた。
あんなに大きく強烈だった光はかすんで、僕は。
僕の身体は、全部心臓になってしまった。
血液の流れがあまりに激しく、目まいがした。
繋がれた手は緊張しすぎて、本当に手をつないでいるのかどうか分からないくらい、痺れてしまっていた。
時々ヒル魔さんの横顔を盗み見て、花火は赤や緑や青など色とりどりなのに、
ヒル魔さんの顔に映る色は、どうして金一色なんだろうなんて考えてた。
やがて花火はクライマックスになり、あっけなく終わった。
夜空は何事もなかった様に暗く、星も月も出ていなかった。
さっきまでの華やかな花火なんかなかったみたいに、静かでいつも通りだった。
すでにビルの下は、帰る見物客でごった返し始めた。
そこでヒル魔さんは僕の手を離した。やっと指先に感覚が蘇ってきた。
どうやらヒル魔さんは屋上の鉄柵に背を預けたらしい。ギッという音が聞こえた。
「もうちょい人が退いてからでもいいだろ?」
そうヒル魔さんの声が聞こえた時、彼の姿を探そうとして初めて僕は、あたりがほぼ暗闇になっている事に気付いた。
下は夜店の光や、ちょうちんの明かりで煌々としているが、僕のいるのはビルの屋上。
月あかりも無く、花火の終わった今暗いのは必然だった。
「はい」
僕は少し遅れて返事をした。
・・・・・・・・・・・・・・。
花火の轟きだけが今も耳鳴りとなって聞こえる。
何か、何でもいいからしゃべって欲しい。
花火の感想でもいい。明日の部活の事でもいい。なぜ皆を呼ばなかったのかでもいい。
暗やみの中さっきまで繋がっていた、感覚の戻った左手をただもてあましている時間が耐えられなかった。
この手をもてあましたまま、あの非常階段を降りるのは嫌だった。
何か僕が言おうか、そう思った瞬間、僕の襟足の髪に何かがゴソゴソと侵入した。
闇にほぼ視力を奪われている僕は、髪をかき分けて侵入してきた巨大な虫を想像し鳥肌が立った。
恐怖をまぎらわすために、声を上げかけた時。
くちびるに何かが、触れた。
それはほんの一瞬だった。
さっきの花火みたいに無かった事にできそうなくらい、一瞬だった。
後頭部にじわじわと熱を感じる。
どうやら巨大な虫ではなく、長い五本の指が僕の髪を梳くように差し込まれているらしい。
やっと僕がそう気付いた時、するりと指は逃げていった。
「行くか」
そのすこし抑えられた声は、思いのほか至近距離で聞こえた。
もし僕がこの時、はい、ではなく次のような質問をすることができたら、
その後の一週間はいくらかましだったのかもしれない。
ヒル魔さん。
今、僕にキスしませんでしたか?
たった一夜にして、いやほんの一瞬でこんなにも日常が変わってしまうなんて、僕は考えた事もなかった。
あの一瞬から僕は(期待する機械)になってしまった。
期待以外なにもできない。ひたすらに(何か)を期待し続ける機械に。
部活中に、練習の後に、携帯電話に、廊下ですれ違った彼の目線に、部活の無い休日に。
いつも通りの彼との距離が僕の神経を逆なでた。平年並の夏の暑さと陽射しが僕を滅入らせた。
仲間が違う世界に住んでるみたいに、遠かった。
僕から何か、言ってみる?
あの時、暗闇で一瞬ふれたのは彼の唇だったんじゃないかと思ったけれど、単なる想像にすぎないのかも。
そもそも本当に唇になにか触れたなんてのも、気のせいだったのかもしれない。
そうだ、気のせいだったんだ。別に何もなかったんだ。
ましてや、キスされたなんて。
馬鹿げてる。
僕は何も言えない。
ただ、それでも手におえない期待が、僕を占領して動かない。
明日の朝こそは期待しない僕に戻って欲しい。戻っているはずだ。呪文のように繰り返す。
朝起きて、昨日までの期待してる自分が変わらずここにいる事に愕然とする。
その朝の繰り返し。
彼の唇が僕の唇に触れてしまいそうな距離に、今。
僕の長い長い一週間が、いとも簡単に消し飛んでしまいそうで、
尋常でない距離にもかかわらず、僕はひたすらしゃべり続けた。
「どうしてそんな平気な顔してるんですか。僕は」
僕がずっと期待してたのは、この唇が僕に触れる事だったんだ。
一週間、本当は気付いてたけど。僕は認めなかった。
「どうせ今僕は真っ赤な顔してますよ」
僕は待っていた。この目でこの距離を確認する時を。
ただし、今決して彼と目を合わせてはいけない。本能がそう言っている。
「僕は・・・」
言葉に詰まった間を埋めるように、ヒル魔さんが言った。
「言ってみろよ」
彼の息がかかる距離。
「・・・・・・」
普段より抑えられた、僕にだけ届く最低限の音量の声に、
僕の血は逆流しているんじゃないかと思うくらい、異常な身体の熱さ。
真っ直ぐ立っているのかもわからない。足もとがぐらぐら揺れている気がする。
また僕は声が出ない。それどころか何も考えられない。何を言ったらいいかなんて選べない。
彼がゆっくりと畳みかける。
「もう、わかってんだろ?」
はい。
もう、わかってます。
いつだったっけ。モン太と話した事があったな。
ヒル魔さんは悪い魔法使いに、カエルになってしまう魔法をかけられてるとか、そんな事。
「言って みろよ」
駄目だと思ったのに今、僕は彼の目をのぞき込んでしまった。
・・・もう無理だ。
僕はきっと言ってしまう。
ほらモン太。だから言ったじゃないか。
やっぱりこのひと、魔法使いの方だ。
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