あの夜で、俺達ふたりは。
夜逃げ
別に無理してこんな雨の中、帰る必要ねぇんだけど。
なんでか頭ん中ではあの寮の布団で眠る事に決定してて、
バイクのケツにのっけて貰って寮まで帰ってきた。
バイクっつうのは車と違って渋滞もすり抜けられるけど、車と違って天候には弱い。
夏ならクソ暑いし、冬なら凍りつくほど寒い。雨なら屋根もねえからずぶ濡れだ。
軽さが命のダウンが恐ろしく重い。
スニーカーの中まで雨が浸水していたから、足がこごえきってる。
寮の廊下を踏む足の感覚がねえ。
フロにでも入りてぇけど、今は閉まってっし。
部屋の扉を開けると、意外な事に布団から顔を出した雲水が、暗がりのなかでこっちを見てた。
「あれ、雲水起きてんの?」
この時間に帰ってきた事がバレると、かなり説教がウザい。できるだけ軽く俺は言った。
「ああ」
雲水は怒るわけでもなさそうで、電気をつけた。
「明日朝練ねぇの?」
俺はダウンのボタンを外しながら訊ねた。できるだけ話をズラしとくに越した事はない。
「お前、びしょ濡れじゃないか」
雲水は俺の誘導にひっかかるわけでもなく、説教するわけでもなく、バスタオルを投げてよこした。
「雨、超降ってる」
ひとまず、お説教はなさそうだ。脱いだダウンを雲水に手渡す。
雲水は当然のように受け取ってハンガーに吊るす。
「風邪ひくぞ」
そう言って着替えまで出してきた。
「大丈夫っしょ」
今日の雲水は機嫌がいい。
もしかするとこの後、説教大会が始まるかもしれないが、今は素直に甘えておこう。
雨に濡れた服は着替えたが、身体はそう簡単には暖まらない。
見るからにあったかそうな布団に飛び込む。
「阿含。それは俺の布団だ」
わかってて入ったんだよ。まあ、コイツもわかってんだろうけど。
「あったけぇじゃん。こっちのが」
雲水は何も言わず、蛍光灯を消して冷たそうな(俺の布団)に腰を下ろした。
俺がコイツだったら絶対、俺を叩き出すけどな。
「雲水こっちだろ」
俺は力づくで雲水を布団に引きずり込もうとした。
「なんでだ」
わかってるくせに。
「あったけぇじゃん」
そう言うと雲水は黙り込んだ。
・・・・こいつ今悩んでるぞ。
ガキじゃあるまいし、寒いからって高一にもなって一緒に寝るのはどうなのかとか。
だけどその布団はものすげぇ冷たいぜ、オニーチャン。
俺は雲水を引っ張る手を止めなかった。
「あ、ごん」
信じられない。
まだ頭の片隅ではそう思っていた。
これが、物心つくときから一緒に育ってきた、双子の、兄貴の、雲水の、声なのか。
「うんすい」
この俺の声が、本当に兄を呼ぶ声なのか。
「だ、駄目だ」
「いまさら」
雲水が眉をよせる。
俺の背中に、爪が食い込む。いくら雲水の爪が短くても雲水は女じゃねえ、
その握力で爪をたてられたら俺の背中には傷がつくだろう。
ぎりり、と皮膚にくいこむ雲水の爪が俺の体温をまた上げる。
世の中女に背中に爪の痕を残された男は、きっと沢山いるだろう。
けれど、自分の兄貴に背中に爪をたてられて興奮するやつが、世の中に何人いるだろう。
「うんすい」
俺の声はなんて切なげなんだ。雲水の爪がまた食い込む。
俺はまたスピードを上げる。
この瞬間に。後のことも、先のことも、必要ない。
ただ、ひたすらに雲水のずっと奥まで踏み込み続けるだけだ。
「・・あご・・ん」
痺れた。
痺れきっていた。雲水の俺を呼ぶその声に。
「・・・うん、すい」
雲水の汗で湿った額を撫でる。本当、ガキのころから変んねぇのな。この坊主頭。
もし、俺が酔っぱらいでもして、仲間にこの夜の今の瞬間を話しでもしたら、きっと奴等はこう笑うだろう。
そんなにたまってたのかよ、阿含。
馬鹿か。そうじゃねぇよ。そんなつまんねー理屈じゃねえ。
そんな理屈で、兄貴が抱けるか。
「うんすい」
雲水の耳元に唇を寄せる。俺の声で雲水も痺れればいい。
言葉を耳に押し込むように呼ぶ。
雲水が俺の首に腕を巻き付ける。太い腕だ。
本気だしたら絞め殺されそうなほど、筋肉質な腕。
腕とは対照的に雲水の呼吸は切れ切れだ。細かい息を俺の動きに合わせて吐き出している。
短くはげしい呼吸のむこうで、明けの鴉が啼いた。
「あごん・・!」
首に巻き付けられた雲水の腕の力が、一瞬間強くなり。
「うん、すい」
熱におおわれた俺の思考が、一瞬間遠のいた。
雨はいつの間にかやんでいたらしい。
また、鴉が啼いた。
夜が 逃げる。
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