秘密






「・・・もしもし」
「あ!もしかして雲水さん・・・ですか?」
「ああ」
「すいません、それ俺のケータイっす」

ドジ踏んだ。

持ち込み禁止の携帯電話を、俺は部室に忘れてきた。
部室に戻った時にはもうなくて、もしかして監督にでも見つかったんじゃないかと思った。
誰が出るのかビビリながら自分のケータイにかけたら、彼が出た。


「すいません!」
雲水の部屋の前で、一休は頭を下げ、なおかつ合掌している。
「わかってるな」
雲水は部屋の中で胡座をかいたまま、言った。
「はい、校則違反っす」
一休が潔く非を認めると、雲水はふうとため息をついた。
「見つかるといけないから、雲水さん回収してくれたんっすよね」
合掌したまま目だけを上げて、一休は雲水を窺い見た。
「・・・まあな」
そう言って雲水は立ち上がり、戸口に立つ一休へ携帯電話を差し出した。
「すいません!ありがとうございます!」
一休は卒業証書を受け取るような格好で、携帯電話を受け取る。
実際、一休が部室に落とした携帯電話を見つけたのが雲水だったのはありがたかった。
監督は部室に殆ど顔を出さないので確率は低いが、万が一見つかれば行くところは決まっている。
他の先輩に拾われていたらそれをネタに何をされるかわからない。
「気をつけろよ」
神龍寺生のほとんどが、見つからないように持ち込んでいるのだ。
持ち込むなと言っても無駄だという事は雲水もわかっている。
「はい!・・雲水さん、今日はひとりなんすか?」
一休は雲水越しに部屋をのぞき込んで言った。
「ああ、今日はまだ帰ってないな。いつもの事だが」
阿含の事である。
最近はわりと帰寮することが多かったが、もちろん毎日ではない。
「茶でも飲んでいくか?」
そう言って雲水は、部屋の中へ戻り、
寮の共同冷蔵庫から出して来ていた緑茶のペットボトルを手に取った。
「あ、いや」
一休はいちどこの部屋に、雲水にも、もちろん阿含にも無断で忍びこんだ事がある。
忍びこんで何をしたわけではないが、それが知れたらこの部屋主からの信用を失う事は間違いない。
目撃者はなかったため、幸い雲水には知られてはいないが、つい最近の阿含との一件もあって、
一休はできるだけこの部屋を避けていた。
阿含と顔を合わせるのも、雲水にこの部屋に招いてもらうのも、気まずい。
「ん?」
そんな一休の葛藤を知るはずもない雲水は、普段なら言われなくても上がっていく一休を振り返った。
一休はここで頑なに遠慮するのもかえって不自然なのではないかと、思い至った。
「・・・・おじゃまします」
幸い阿含はいない。もしかすると帰ってくるかもしれないが、確率は高くない。
一休はそう思う事にして部屋へ入った。

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

ペットボトルから湯飲みに茶をそそぐ音だけが、部屋に響く。
「やけに静かだな」
そう言って一休に茶を差し出しながら、雲水は笑った。
雲水は良く笑う方ではない。どちらかと言えば困ったような顔か、仏頂面の方が板についている。
笑ったと言ってもバカ笑いする事はないし、今のように目と口の端だけでかすかに笑うのだ。
「そ、そうっすか?」
一休はあわてて顔を伏せて、茶に手を伸ばした。
畳に置かれた湯飲みに手を伸ばしてつかみ、それを滞りなく口まではこび、茶を飲む。
その動作に全神経を集中しようと心がけた。
そんな事は誰でも日常的にしている動作だが、今の一休には集中力が必要だった。

動揺していた。
雲水に対する後ろめたさによる動揺ではなかった。
行動の読めない阿含の帰寮を案じるものでもなかった。
自分に後ろめたくなるような行動を起こさせた、いくつかのつよい衝動のこと。

ひとつ、先輩の部屋に忍び込むなんて尋常ではない。
しかも動機が不純すぎる。ひとの秘密を探りに入るなんて。まだ盗み目的の不法侵入の方が純粋な気がする。

ふたつ、眠っているとわかっている雲水の手を握った。
結局それは雲水ではなく阿含であり、事態は余計に複雑なものになったわけだが。

みっつ、阿含にクギを刺されたにもかかわらず、今度は堂々と許可を取って雲水の手に触れた。

どれも先輩に対する後輩の接し方ではない。過剰だ。
自分は今目の前にいるひとに対して、過剰になりすぎている。

自分は、雲水のことを。
気を抜くと自覚してしまいそうだった。
自覚してしまいそうだと思う事で、すでに自覚している自分がいる事にまた動揺する。
「雲水さん」
勢いよく茶を飲み干し、その勢いで畳に湯飲みを置き、一休は言った。
しかし取りあえず声を出したに過ぎない。
手を握るなど異様な行動に出たにも関わらず、静かすぎる雲水が。暴れすぎている自分の思考が。
耐えきれず、別の事に神経を回したかった。
「なんだ」
雲水は空になった一休の湯飲みに手を伸ばしながらこたえた。
一休と雲水の距離が狭まる。
一休の領域と、雲水の領域がわずかに重なりあう。
たったそれだけの事で、一休の胸は強烈に絞り上げられた。
「う、雲水さん、フロ入りました?」
とくに言う事があって呼んだわけではないし、会話はこれで問題はないのだが。
自分自身で知覚できるほどの体温の上昇に、一休は戸惑った。
「ああ、さっきな」
雲水は言いながら一休の領域を離れて、湯飲みに茶をつぐ。
「ど・・・どうりで」
ほんの一瞬、雲水のテリトリーに重なったとき、かすかに感じた匂い。
いくら練習中は汗まみれでも、男ばかりの生活でも、寮に戻ったら誰もが風呂を浴びる。
同じ寮の同じ風呂に入っているのだ。一緒に行ったことだってある。
それなのに。
一休は自分の顔が急激に火照るのを感じた。
雲水が茶のおかわりをついだ湯飲みを、一休の前にすすめる。
ふたたび縮まる距離に、一休は思わず身を引いた。
このまままここに居たら、このままこの人を目の前にしていたら、
とどめようとしている何かが一気に物凄い力で動き出してしまう気がした。
早く、自分の部屋に戻らなくては。

「阿含」
ふいに顔を上げて雲水が言った。
一休の背後にあるドアは、いつ開けたのか完全に開いており、入り口には阿含がよりかかって立っていた。

笑っている。

一休と目が合うと、阿含はドアを閉めて部屋に入り、上着を畳に放った。
そして雲水の側においてある緑茶のペットボトルをつかむと、口をつけてごくごくと喉を鳴らして飲んだ。
「阿含」
雲水がそう言って阿含を睨みつける。口をつけて飲むなと言いたいのだろう。
阿含はひとしきり茶を飲むと、ペットボトルを口から離し、
ペットボトルを掴んだ手の親指でサングラスを少し上げて言った。

「今日は玄関から入った?」

一休は阿含が何を言いたいのか一瞬、わからなかった。
けれども阿含の唇の端を吊り上げた表情を見て、その言葉の意味するところをおおよそ理解した。
「玄関?」
雲水が阿含を見上げて訊ねた。
阿含は雲水の問いには答えず、あいかわらずのにやけた様な顔つきで、一休を見ながら畳に腰をおろした。

(今日は玄関から入った?)

一休は固まった。
玄関というのは比喩だ。玄関から入らないという事は、すなわち。

阿含は知っている。

そう直感した。あの時、確認は怠らなかったはずだ。誰にも見られていないはずだ。
だが何らかのかたちで知らなければ、玄関から入ったかなどという言葉は出ない。
この男は。
一休が自分自身でも忘れたい秘密を、握っている。
「なんの事だ?」
急に顔色の変わった一休を見て、雲水は再び阿含に言った。
「一休は知りたいらしいぜ」
阿含は振り返ると雲水の肩に肘を置き、そう言って笑った。
「?」
雲水の眉は、状況が掴めないといわんばかりに下がる。
阿含はそっと雲水の耳に顔を寄せ、手を口にあてて雲水にだけ聞こえる声で言った。




「俺らの秘密」







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これ、11話目なんですよ。
やっと3人集まりました・・・。