それは。
二人だけの、お互いの胸のなかだけの、秘密。
雲水と俺との暗黙の了解だった。
雲水は肌に証拠が残るような事を決して許さなかったし、部屋の鍵にもうるさかった。
わかってる。雲水は葛藤していた。
あろうことか血の繋がった弟である俺と、やってる事に。
しかも同意のうえで。
雲水は俺が求めれば必ずやらせるわけじゃない。
ここが肝心だ。
雲水は俺に無理矢理やられているわけじゃないって事だ。雲水も求めているからこそ俺を拒まない。
これが雲水の苦悩であり、俺の自信だ。
なにが割込んできても、この自信は揺らぐ事はないが、
俺は雲水とは違う。
暴かれそうな自分の悪事を目前に、俺は認めざるを得なくなった。
自分と同じ男で、 自分より身体のでかい、この先輩を。
手に入れたい。
自覚するには、あまりにタイミングが悪すぎると言っていいだろう。
なにしろこれから彼の弟によって、俺は彼から信用を失うことになるからだ。
部屋に忍び込んでまで知りたいと思っていた彼らの秘密は、今となっては霞んでいる。
良い意味でも悪い意味でも、俺はどうでもいいと思い始めている。
彼が何ものであろうと、俺は手に入れたい。
理由も動機も言い訳もない。手に入るかどうかなんて知らない。
ただ。欲しい。
どうしてなのかわからない。
俺は阿含以外に兄弟というものを知らないからだ。
兄弟というものはどれだけ仲がよくとも、どれだけ一緒に居ても、肉体交渉だけはしないものだろう。
どうして俺と阿含の間にはそれがあるのかわからない。
異常なことだとわかっているのに、阿含が触れると異常が正常にかわってしまう。
全細胞が阿含を呼んでしまう。それを抑える事が不可能になる。
解決しなくてはならないとは思っているが、当面の解決策はない。
ただ、その二つの世界を完全に分けておくことしか今はできない。
その二つの世界をいつまでも保つ事ができないことも、わかっている。
阿含は俺とは違うからだ。
告白
「なんかいいもん見つかったか?」
阿含は雲水に耳打ちをしてすぐに一休に向き直った。
もちろん一休が部屋に忍び込んだ時のことを言っているのだろう。
一休は心なしか頬のこわばった雲水と、じわじわと遠回しに秘密をつついてくる阿含を交互に見た。
「・・・なにも」
阿含のサングラスの奥を見て、一休は言った。
「そりゃな」
喉の奥でみじかく笑って、阿含は意味ありげに雲水をちらりと見た。
雲水は畳の目でも数えているかのように、伏せた瞼を動かしもしない。
「阿含さん」
雲水の顔をしばらく見ていた一休が言った。
「んだよ」
案外にはっきりとした一休のその口調に、阿含の笑みが消える。
「もう、言ってもらってもいいっすよ」
阿含の眉がぴくりと上がる。
「今まで黙っててくれて、助かったっす」
正座した膝の上のこぶしを握りしめ、一休は続ける。
「阿含さんのおかげっす」
何を言っていやがる。
阿含の表情が曇るのも構わず、一休は言った。
「雲水さん」
一休は目を伏せたままの雲水の方に向いて座り直した。
名を呼ばれて雲水が顔を上げる。黒いふたつの目がじっと雲水を見ていた。
「もう知ってるかもしんないっすけど」
雲水の返事を待たず、一休は相変わらず一方的にしゃべり続けた。
「俺、雲水さんに恋してます」
雲水の顔を見据えたまま、一休ははっきりと言った。
この険悪なムードに、恋という言葉はあまりにそぐわなかったが、あえて一休は「恋」と言った。
雲水の顔色が変わる。
「好きです」
念を押すように一休は言う。
先程「恋」と言ったのは、人間として、先輩として「好きだ」という感情と誤解されるのを避ける為だ。
「俺、前にこの部屋の前で聞いちゃったんっす」
状況を掴みきれない雲水と、意外な展開に困惑した阿含をほったらかして、一休は続ける。
「お二人の会話。証拠がなんとかって。すげぇ気になっちゃって、この部屋に、無断で入りました」
一休はそこまで一気に言うと、正座した体勢のまま、両手のひらと額を畳につけた。
「すいませんでした!」
土下座の体勢のまま、一休は声を張り上げた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
雲水はともかく 阿含でさえも、何も言葉が出なかった。
雲水にとっては、後輩からの突然の恋の告白と、
どこまでかはわからないが会話を聞かれていた事の、ふたつの衝撃が。
阿含にとっては、この目障りな後輩への嫌がらせが一転したばかりではなく、
あろう事か自分の目の前で堂々と告白を遂げられた醜態。
ふたりともぼう然と土下座した一休の姿を眺めていた。
「俺、何も見てないし、何も知らないっす」
頭を畳にこすりつけたまま、一休が言った。
「だからって許してくれとは言わないっす。なんでも、します」
一休はそこまで畳に向かって言い、おもてを上げた。
「でも、雲水さんが好きだっていう事に嘘はないっす」
まるで一休には阿含など見えていないようだった。それほど堂々としていた。
「これだけは、信じてく
ひゅっ
ダァン!!
風を切るようなひくい音が聞こえたと同時に、一休の身体は彼の背後のドアに叩き付けられていた。
雲水が気付いた瞬間には、ドアの前の一休に阿含が掴みかかっていた。
「おい!」
背中を強く打ち、げほげほとせき込む一休の胸ぐらを掴んで、
今度は拳の一撃を放とうとしている阿含に、雲水が手を伸ばした。
すかさず 阿含は雲水の制止を振り払い、一休を射殺すような眼差しで、
低く、低く言った。
「チョーシ、こいてんじゃねぇぞ」
先程の阿含の座った体勢からの蹴りは一休の胸を突き、未だ一休の呼吸は困難だったが、
一休は言った。
「じゃま、しない、って、いったじゃな、いですか」
がっ
問答無用の阿含のこぶし。
ドアに後頭部をつけた一休の顔面に、
叩き込むように拳のいちばん固い、骨の出ている部分を打ち付けた。
「阿含!!」
雲水は阿含の背中に飛びかかり、その腕を阿含の首に巻き付けた。
暴れはしたが、雲水が首を締めつけるように引っ張ると、
阿含は一休の道着から手を離さざるを得なくなった。
阿含の拳で一休は鼻から血を流していた。
「部屋へ、戻れ!」
雲水は怒鳴った。
いくら背後から首を捕らえてるとはいえ、そう長い間は阿含を抑えてはおけない。
一休はぼんやりとした眼差しのまま、指先で鼻血に触れた。
「一休!!」
雲水がもう一度怒声を上げると、
一休の目には正気が戻り、阿含を見、雲水の必死の顔を見た。
「早く行け!」
一休は雲水のその声をきくやいなや、背中のドアをあけ、
廊下に出るとぎこちなくぺこりと一礼してから視界から消えた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
しばらくの間、雲水は阿含の首に腕を巻き付け、
阿含は肩を上下に揺らして荒い呼吸を繰り返していたが、
一休の足音が廊下の奥に消えると、阿含は腕に巻き付いた雲水の腕を乱暴に外した。
「阿含・・・」
阿含は背中で雲水の言葉を受けたまま、畳にほうり投げてあった上着に手を伸ばした。
「阿含」
雲水がもういちど声をかける。
「追いやしねぇよ。あんな雑魚」
阿含は背中を向けたまま苛ついたような声でそう言うと、
一休の開けっ放しにしたドアからゆっくりと出ていった。
雲水には、今の阿含がどんな表情をしているのか見ることは出来なかった。
畳の上には一休の携帯電話がぽつんと取り残されていた。
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