出会って16年とすこし。
血のつながりを侵した、あのよる。














聴こえているか








俺達ふたりはまるで無言だった。
息だけが上がって、青白い部屋に響いていた。


なんと表現したらいいだろう。

俺は、満足していた


ずっと飲みたかった水を飲むことができたような。
乾いた細胞のひとつひとつに充分に行き渡ったような。そんな気分だった。

俺は、阿含とこうしたかったのか。

阿含は、俺とこうしたかったのか。

水を飲んで初めて、喉が渇いていた事に気付いた。
俺はきっと。

ずっと喉が、渇いていたんだ。


これからえさ場を漁りに行くのだろう。
明けの鴉の集団が、鳴きながら寮の部屋のすぐ側を通った。
その声を聴いて、強烈な満足感にじわじわとしみ出てくる不安を感じた。
「阿含」
阿含 は裸のまま俺の横に転がっていた。
「あ゛?」
まだ整わない呼吸で阿含が答える。
「風邪ひくぞ」
俺も阿含とたいしてかわらない格好だが、他に言うべきことが見つからなかった。
「もうお兄ちゃんに逆戻りかよ」
喉の奥で笑いながら阿含が言った。
「・・・仕方ないだろう」
俺は言葉に詰まった。
阿含は時々俺の本当に痛い所を突く。そこが少し憎らしい。
「兄弟なんだ。だから、今日のこ・・」
そこまで俺が言うと、阿含の手のひらで突然口をふさがれた。
「つまんねぇ事、言うなよ」
さっきまで笑っていた阿含の声は、今度は驚くほど真剣だった。
やがて手のひらは俺の唇を離れ、入れ替わるように阿含の唇が降りてきた。
俺はいともたやすく阿含の舌が滑り込むのを許してしまった。
彼の舌はすこしも熱を失わず濡れていて、つい数分前の行為が生々しいほどに蘇る。
冷え始めた身体が、腰のあたりから再びどんよりと重い熱を持ち始める。
阿含の舌が俺の舌を捕らえると、胸が引き絞られてたまらない。

「・・・ごんっ」

阿含は、昔から聞こえない振りが上手い。
明らかに俺は抗議の声を出したのに、阿含は無かった事にしてしまう。
いつもは絶対に放っておいたりはしないのだが、今の俺は放ってしまいそうになる。
俺の葛藤を見透かしたように、阿含の舌がほつれた。
熱にぼやけた阿含の目と、視線が絡む。
瞳の熱はそのままに、阿含は悪戯っぽく笑った。

「最高」

そう言うと、再び唇を近づけてきた。
今度は俺が手のひらを阿含の口に押し付けた。

「兄弟だ。おれたちは」

俺はできるだけ厳しい口調で言った。
阿含は口を押さえつけられたまま、片眉だけをひょい、と上げた。
俺の手首をそっと掴み、口もとから外した。
「だから?」
自信ありげに阿含が言う。
「だから。兄弟は、こんなことを、しない」
俺は自分の言葉が、途切れがちになるのをもどかしく思った。
「こんなことって?」
阿含の目からは熱っぽさが消え、いつもの目の光がもどりつつあった。
「さ、さっきみたいなこと、だ」
俺と阿含は言い合いでは勝負にさえならない。
俺が何を言っても、阿含はいつもよけるか叩きおとすかのどちらかだからだ。
しかも俺はムキになると、顔面に血が上るのだ。
「セックス、ね」
そう言った阿含が笑いをこらえているのがわかる。やはり俺の顔はすでに赤いらしい。
真剣に話さなければいけない事なのに、阿含はすぐに反らしてしまう。
「しねえよな。確かに。フツーは」
阿含は額に張り付いた金髪を、手でうざったそうにかきあげて言った。
「けどよ」
ふいに阿含の指先が、俺の腰骨をかすめた。

「それでも兄弟は兄弟じゃん」

そう言って阿含の指は腰を這い回る。
「り、倫理の問題だ!」
俺はばちんと阿含の指をはたいた。
手をはたかれて、阿含の眉は、今度は眉間に皴を寄せるように動いた。
「なンか問題?」
余裕綽々で、阿含は言った。

問題だらけだ。馬鹿。

問題がありすぎて、どれから言ったらいいか分からない。
「雲水さ。今まで、好きなやつ、いた?」
言葉に詰まる俺をよそに、 ごろんと布団に転がりつつ、阿含は言った。
「レンアイカンジョーで、だぜ」
青白かった部屋は朝陽が登り、カーテン越しに黄色い光がさしこみ始めていた。
「・・・好意という意味では」
また話を反らされている。そうは思ったが、俺は答えていた。
「えっ、ダレ?」
俺の横に仰向けに転がっていた阿含が、驚いてこちらを見た。
「関係、ないだろう」
阿含がこちらを見たように、 俺は阿含から顔をそむけた。
「まあいいや。雲水、そいつとヤリたかった?」
阿含はまた天井に顔を戻し、言った。
「お前と一緒にするな」
俺は阿含の横顔を睨みつけた。
「一度も?いちどもヤリたいと思った事ねぇの?」
阿含がこちらを向く。
「無い」
俺はきっぱりと答える。
「ふーん。俺はさ」
阿含が再び天井に視線を戻す。
「ヤリたい女はいたけど、好きな奴はいねぇな」
白い空気に浮かび上がった阿含の横顔は、真実を言っていた。
阿含は 顔を天井に向けたまま、目だけでちらりとこちらを見た。

「雲水」

ぎくり、とした。
なぜか。理由はわからない。

「なんでもね」

そういって阿含はごろりと転がって、俺に背を向けた。
どうやら、寝るつもりらしい。
俺は阿含に聞こえないよう、動揺を吐き出すように、静かにおおきく息をついた。
「風邪ひくぞ」
そう言って、足もとにまるまっていた毛布を、阿含に放った。
「お前もな」
阿含はそう言って毛布をまくり上げた。












(プルルルルルルル・・・・)

出ない。

一休と阿含と、この部屋で一騒動あって、あれから阿含は帰ってきていない。
5日、か。
一週間や二週間帰って来ないことなんかはざらにあるが、今回は少し事情が違うだろう。
あれから俺は何度か電話をしていたが、コールはしても阿含は出ない。

(プルルルルルルル・・・・)

あの弟の事だ、どこかで野垂れ死んでいるとは考えにくいが。

(留守番電話サービスに接続します)

とても人間の声とは思えないアナウンスが流れる。
阿含の携帯電話の番号が、機械的に流れる。
やがて、発信音が鳴った。

「・・・阿含。俺だ。お前の事だから、死んではいないと思うが・・・」

阿含の留守電にメッセージを入れるのは、人生でこれで何度目だろう。
繰り返し繰り返し、俺はいつも同じような事を録音している。まるでさっきのアナウンスだ。
俺は嫌気がさした。

「阿含。お前と話したい。お前はいつも俺の話をそらすから、ちゃんと」

ひとりで喋っているうちに、阿含が受話器の向こうで息を詰めて聴いている気がしてきた。

「お前は、兄弟は兄弟だと言ったが、俺は」

聴こえているだろうか。阿含。

「俺は、少なからず、その・・・悩んでいるんだ」

聴こえているなら、返事をしろよ。阿含。

「阿含、聴いてるか?やはり・・駄目だ。俺は、」

(ピーーーーー)

録音時間一杯の発信音で、俺は現実に引き戻された。
阿含の返事の替りに、 無機質な女の声が録音を保存するかやり直すかと訊ねてくる。
俺は機械にむかって、電波にのせて、ひとりごとを言っていたようだ。
虚しくなって、適当にボタンを押して電話を切った。
思わずため息が漏れる。




阿含。
お前はあの時。
それでも俺達は兄弟だと言っただろう。



阿含。
お前はアメフトと同じくらい、
へりくつも上手い。



阿含。
それでも。俺はやっぱり。






違うと思うんだ。







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