たとえば朝起きて身体がだるい。
おそらく熱があるんだろうと思う。
そんな朝、俺は体温を計ったりはしない。
体温を計りさえしなければ、一日いつも通りの練習をなんとかこなす事ができる。
ところが計ってしまうと、熱が仮に38度あったとして、俺はそれを受け止めてしまう。
自然と身体が重くなる。無理をして朝練に出れば熱が上がる可能性は大きい。
朝練は控えておこうか、などと思ってしまう。
だから俺は、決して熱を計らない。













「大丈夫すっよ。ちょっと話しこんじゃっただけっす」
あの晩、一休は朗らかに言った。
無理をしているようには見えず、怪我のあとも見られなかった。
阿含と一休が話し込むなど、すこし考えられないが、
本当に話しをしていただけならば、音楽やアメフトの話ではないだろう。
ふたりにそんな接点は無いし、そもそもそんな話ならば寮の娯楽室ですれば良い。
立ち入り禁止の堂で、門限時間を越えるまで過ごす必要はないのだ。

ならば何の話をしていた。

そう聞くこともできず、そうか、とだけ言って後は無言で寮まで帰った。
翌朝、一休は普段通り朝練に来ていたし、普段通り阿含は帰ってこなかった。
例年通り朝は冷え込みはじめ、薄暗いグラウンドに霜が降り始めていた。
何もかもかわりなく、あと一時間もすれば当然のように太陽が東から姿を現すだろう。
「雲水」
朝練を終え、教室へ向かう途中ゴクウが声をかけてきた。
「なんだ?」
廊下で立ち止まり、ゴクウを振り返る。
「オレ阿含にCD貸しててさ。アレまた貸しなんだよ。
そろそろ返してもらいたいんだけど、ケータイ留守電なんだよな」
寮の部屋には確か阿含のCDが何枚か積み重なっていた。あの中にあるのかもしれない。
「そうか。部屋にあるかもしれない。夜部屋まできてもらえば」
阿含の奴。人から借りたものくらいちゃんとに出来ないものか。
「わかった。じゃあ、夜行くわ」
そう言ってゴクウは自分の教室の方向へ歩き出したが、あっと言って立ち止まった。
「なんか雲水顔色わりーって、サンゾーが心配してたぜ」
大丈夫なのかよ、とゴクウは続けた。
「そうか?ただの寝不足だろう」
俺は色が悪いと言われた頬を、無意識にさすっていた。
「ならいーけど。オマエ自分で具合わるいとか気付かなそうだよな」
そう言ってゴクウは笑い、さっさと教室へ戻っていった。
その時は自分の体調くらい、自分がいちばんわかっていると思ったのだが。
夕方になるにつれ、 昇降口で靴を履き替えて立ち上がる時、階段を上る時。
めまいを感じる事が多くなってきた。
昨晩、薄着のままウロウロしていたのだから風邪気味なのかもしれない。
ああ、そうだ。一休の友人に借りていたパーカーを洗って返さなくてはいけない。
めまいくらいなら、放課後練習もなんとかなるだろう。
それから寮に戻って、洗濯して、ゴクウにCDを探してもらって。
乾燥機があいていれば今晩中に彼に服を返す事ができるだろう。
しかし部屋にあるCDの中にゴクウのCDがあるとは限らないな。
一応俺からも阿含に連絡をいれておく必要がある。
そういえば今日の放課後練は紅白試合だ。
風邪なんて言ってる場合じゃない。やることも沢山ある。
体調の事は今は考えないようにしよう。布団に入ってから、ゆっくり考えればいい。







「アラ?雲水ちゃんも洗濯?」
寮のランドリーでサンゾーに会った。
あの後、なんとか放課後練習まで乗りきったが、いつもの半分も調子が出なかった。
関節が痛むし、時々悪寒がはしる。
頭も朦朧としていて、さっきも洗濯物を持って部屋を出たのはいいが、洗剤を忘れてまた部屋へ戻った。
「ああ。
・・・・?何かいいにおいがするな」
サンゾーが洗濯物を洗濯機に放り混むと、花のような甘い香りが漂った。
「ふふ。柔軟剤。雲水ちゃんもどう?」
サンゾーはブルーのボトルにピンクのキャップのついた、外国物らしい柔軟剤をこちらへ見せた。
「いや、遠慮しておく」
サンゾーならともかく俺の衣類からその甘い香りが漂うのはいかがなものか。
「雲水ちゃん。アタシ洗濯してあげよっか」
サンゾーは自分の洗濯機のフタをばたんと閉めるとそう言った。
「え?いや・・・」
俺はサンゾーがまだ柔軟剤の事を言っているのかと思った。
「いいから」
サンゾーは俺の持っていた洗剤を奪い、片方の手で犬でも追っ払うように、しっしっとやった。
「病人はおとなしく部屋に帰って休むのよ」
そう言ってハンゾーは背を向け、鼻歌まじりに洗剤をスプーンで計り、洗濯機をセットした。
「そんなに悪いか?顔色」
俺はサンゾーの背中に聞いた。
「鏡を見てご覧なさいよ。真っ青というよりまっしろよ」
サンゾーは俺の方の洗濯機も閉め、振り返った。
「雲水ちゃん。無理したって意味ないわよ。
悪化するだけ悪化して、ガマンしたって最後には倒れちゃうんだから」
そう言ってサンゾーは俺の洗剤を手渡して、ドアの方へ背中をとん、と押した。
そして、サンゾーらしくない、厳しい口調で言った。


「認めなさい。アンタは病人なのよ」



俺はサンゾーの好意に甘えて、乾燥機にかけたあと部屋まで運んでもらう事にした。
「おっ雲水」
ちょうど廊下の向こうからゴクウが姿を現した。
「あれから阿含にもっかい電話してみて一応、留守電いれといたけど」
俺の部屋のドアを勝手に開けながら 、ゴクウは言った。
「あそこに無ければ、ここにはないかもな」
俺が指をさすと、ゴクウはいそいそとCDを漁り始めた。
ゴクウがCDを漁っている間、食堂からお茶でも取ってくるつもりで、
その旨を伝えるつもりでゴクウを振り返った。
「雲水?」
ゴクウの姿が左へ、右へ、大きく弧を描きながら揺れる。
残像が尾を引き、背景と混じりあう。
今度のめまいは相当大きいようだ。
何かにつかまらなくては。俺は側の箪笥に手を突いた、はいいが。
「おいっどうしたんだよ!」

だめだ。
ゴクウの声は聞こえるのに、ゴクウの姿が見えない。
真っ暗だ。膝に力がはいらない。身体が、重い。

「おい、あぶな・・・」



サンゾー。



お前の言う通りだ。
やっぱり俺は、熱があったんだ。

ほんとうは、知ってたんだ。
知っていたのに知らない振りをしていただけなんだよ。


知ってしまったら、認めてしまうから。
無視してたんだ。


熱も



阿含も







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