目覚まし時計






「お早う、一休」


早朝の冴え渡った空気に響く彼の声は、普段と何ひとつ変わりは無い。
「おはようございます!・・・あれ?雲水さんマブタが三重っすよ」
三重県の三重では無い。雲水の瞼は阿含と同じ奥二重だが、今朝は一本ばかり皴が多い、の三重である。
「ん・・・ああ」
雲水は一休に指摘されて指先で瞼をこすった。
「寝不足っすか?珍しいっすね」
無論雲水は夜遊びなどしない。
時にはなかなか寝つけない夜もあるが、今日のように白目が充血し瞼が腫れるほどのものでもない。
「そうだな、寝不足だ」
こすってどうにかなるわけではないが、雲水はまだ右目を閉じて瞼をこすっている。
「昨日は阿含さんが帰ってきてたらしいすね。フロに行った友達が言ってました」
雲水の寝不足と、同室の阿含の帰寮。
この二つに関係がないわけがないと一休は踏んだ。そうでもなければ雲水は寝不足になど無縁だからだ。
「あいつは昼夜逆転してるんだ」
やっと目をこする事を止めた雲水が、重そうな瞼を朝日にしかめて言った。
「でも、二人とも意外に仲いいんすね」
一休の(意外に)という言葉に、
(天才の弟と、その弟と比べられ続けてきた兄)という図式がある事を雲水は感じとったが、
かわいい後輩のそんなちいさな失言に、気付かない振りをするくらいの事は雲水にとって朝飯前だ。
「ひょおらいらからら」
そんな一休に対する雲水の声は、欠伸と同時だったため大分不明瞭ではあったが、
一瞬間を置いてその意味(兄弟だからな)を理解した一休は、そうすよねと笑った。
「で、阿含さんは?」
「まだ寝てる。目覚ましはかけてきたから授業には間に合うだろう」
いつも阿含を怒鳴りつけている雲水が、朝練は無理だと踏んだほど、彼らの就寝時間は随分と遅いものだったらしい。
これから寝不足での朝練、寝不足での授業、寝不足での放課後練習。雲水にはつらい1日が待っている。



「どうしたんだ、阿含」
放課後の練習のため、グラウンドに出た山伏をはじめ部員の面々は、例外なく我が目を疑った。
グラウンドにはすでに練習着に着替え、アメフトボールでサッカーのリフティングを試みている阿含が待っていた。
「オ!来た来た!」
今日の阿含は見るからに機嫌が良さそうだ。
しかしホームルームを終えてから来たのにしては、到着が早すぎる。
「阿含、授業はどうした」
同然の結果として雲水が尋ねる。
「あ、出てないッス」
おどけて阿含が答える。
「目覚ましをかけておいたはずだぞ」
きっと阿含の兄が雲水でなかったら、とっくにこの弟に愛想をつかせているだろう。
遅刻しようが何をしようが、ほったらかしてしまうに違いない。
けれども阿含は雲水の弟として生まれた。雲水は阿含の為に目覚まし時計をかけた。
「ハ?んなもん電池抜いといたに決まってんだろ」
阿含は目覚ましをかけられる事を予想してか、事前に目覚まし時計の乾電池を抜いておいたらしい。
「じゃあ、雲水は今朝どうやって起きたんだ?」
山伏が尋ねる。
雲水の三重まぶたの原因は寝不足である事は、朝練に参加した者なら誰もが知っていた。
いかにも雲水の寝た時刻は通常よりもかなり遅いものであるはずだ。
「コイツはね、老人のように目覚まし時計が鳴る前に目が覚めちゃうんすよ。何時に寝てもね」
阿含が親指で雲水を指さして解説する。
「それで、阿含さんはずっと寝てたんすか?」
一休が口を挟む。
「イエス!チョー良く寝た」
阿含は一休に向き直り答えた。
おそらく阿含のお陰で睡眠不足になった雲水と、そんな雲水の目覚ましを軽く回避し(良く寝た)阿含。
雲水には申し訳ないと思っても、あまりに滑稽だ。部員の面々は容赦なく笑った。
「けど一晩中お前等なにやってたんだ?」
山伏が笑い交じりに尋ねる。
「プレステ2とか言うなよ?」
サゴジジョーが言う。寮の個室にテレビはついていないが、まあ、物の例えだろう。
「あ!悪い事してたんじゃねぇの?俺も呼べよー」
ゴクウが雲水を肘でつついて言った。ゴクウの指すところの(悪いこと)とはおそらく酒を飲む、
だとかイヤラシイ女の子の画像を見る、だとかそんなところであろう。
雲水はふぅと息をつき、練習を始めるべくきびすを返した。
「何してたんすか?」
興味津々に一休が阿含に向かって尋ねる。
「しゃーねーなぁー」
上機嫌の阿含は腕を伸ばし、一休の首を巻き込んだ。
「特別に一休君にだけは本当の事を教えてやろう」
そう言って阿含は少しかがみ、一休に耳打ちの格好をした。


「阿含!!!」


一休を始め、部員全員が一瞬己の呼吸が止ったと思ったほどの雲水の喝。
雲水は部員達に背を向けていたが、そうとは思えない迫力の声であった。
にもかかわらずもう既に雲水の背中は、先程の激しい喝が嘘のように普段通りの静寂を取り戻している。

「・・・・・」
誰も何も言うことが出来なかった。ただ口を開けて雲水の背中を見つめた。

「・・・練習、始めるぞ」

その後、誰もこの話題に触れることなくこの日の部活を終えた。
睡眠充分の阿含は練習後、夜の街へ消えた。
雲水は自室に敷きっぱなしの阿含の布団の下から、単2電池を一本発見した。










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「鍵」