そんなに気の利く方ではない。
むしろその逆、極めて気が利かないと言ってもいいかもしれない。
ここ数日ずっと感じていた違和感を、
たった今、みつけたのだから。
銀杏の体温
午後練がはじまるすこし前、グラウンドの片隅に彼をみつけた。
彼はスポーツドリンクのペットボトルをかたわらに置いて、
彼のもたれる銀杏の作る影の中に、ぼんやりと腰を下ろしていた。
その影の中に足を踏み入れると、何処を見ているかわからなかった彼の視線はこちらの足もとに移った。
「メシは食ったのか」
俺がそう言うと、両ひざをかるく曲げて座っていた彼は眩しそうに目を細め、こちらを見上げた。
「あ、はい」
彼が背を預けている銀杏は、おおきく老齢のもので、神龍寺創設時にはとうにあったらしい。
俺はその銀杏のつくる影に入り、彼と同じ銀杏に背を預けて胡座をかいた。
「秋も終いだな」
こうしている間にも、銀杏の扇型の黄色い葉はくるくると回りながら落ちてくる。
「そうっすね」
二人で一本の木に背を預けている為、彼が12時だとすると俺は3時の方向を向いている。
顔を見て話すには、首を相手の方へ90度ばかり曲げなければならない。
「雲水さん、秋好きっすか」
彼の声は12時の方向に向かったままだった。
「ああ、良い季節だ。暑くもなく、寒くもなく」
そう言って俺は地面に落ちた黄色い扇を1枚つまんだ。
「雲水さん、アメフト、好きっすか」
彼は、細川一休は、いつだってこっちが照れ臭くなるくらい、まっすぐ目を見て話す。
しかしその彼の声は、また12時の方向に向かっている。
「ああ」
俺も3時の方向を向いたまま、答えた。
午後の練習開始時間まで、まだ20分はあるだろう。グラウンドはだだっ広く、閑散としている。
「俺も、好きっす」
12時の一休の声は、広いグラウンドに吸い込まれそうだ。
「そうか」
思えば、一休はここ数日、こんな感じだった。
すこし前まではどんな下らない事も、真剣な事も一休は身体を、視線を、
まっすぐ俺のいる3時にして俺に接していた。
「雲水さん、アメフト以外の事って考えますか」
「・・・考える、だろうな」
いくらアメフトに心が奪われているとはいえ、他に何も考えないなんて事はありえない。
「一休」
「はい」
「・・・・・・・」
彼は、おそらく(アメフト以外のこと)に今、奪われつつあるのだろう。
それをむりやりアメフトに引っ張るつもりはないが、こんな彼を見ていることが忍びない。
たまらず名を呼んだが、俺が言うことなど、何もないじゃないか。
「うんすい、さん」
かさりと木の葉の動く音がした。
ひやりとしたグラウンドの上に散った銀杏の葉は、発酵しはじめているのか人肌くらいの熱を溜めている。
その熱が心地よく、俺は厚みのある葉の層に手をつき、手のひらにその熱を感じていた。
今、その手の甲にもまた、熱。
銀杏の絨毯についた自分の手を見ると、自分のものよりひとまわり小さい手の甲がかぶさっている。
12時の方向から伸びている、その手の主を見る。
久しぶりに、(一休)を見た気がした。
射ぬくようなその黒く真っ直ぐなまなざしを。
一休はまっすぐ俺の目だけを見ていた。瞳にまぬけな顔をした俺の姿が映っている。
それも一瞬の事で、彼はふわりと表情をゆるめた。
「すいません」
照れ臭そうに笑いつつも、こちらを心配そうに窺いながら彼は言った。
久しぶりに出会った一休の(いつものカオ)に俺はほっとした。
「いや・・・」
俺はもう一度手を見た。
黄色一色の銀杏の絨毯と、ささくれの出来た一休の指に、俺の手の甲はほとんど埋もれていた。
銀杏の体温と、一休の体温に挟まれた俺の手はずいぶん冷たいような気がした。
「こうしてても、いいっすか」
自分の手から、一休の顔へ視線を戻すと、彼は少しうつむいている。
見たことがない、と思った。こんな彼の顔を俺は初めてみた。
笑っているような、泣きそうな。
「ああ、かまわん」
何も考える前に、口が動いていた。
一休がしたいなら、そうさせよう。思考が後から追いついてきた。
一休はぺこりと頭を下げると、また12時の方向へ顔を戻した。
彼の横顔はまだなんとも言えない表情のままで、グラウンドの彼方を見た。
俺も3時に顔を戻した。一休の顔は向こうを向いたが、俺の手の甲にはまだ一休の体温がいる。
俺の指先はもう冷たくはなくなっている。
「秋も、終わりっすね」
「そうだな」
お互い、明後日の方向を見ながら、さっきと同じような会話をする。
一休の指先が、手の甲でぴくりと動く。
グラウンドの彼方にちいさな人影が現れた。多分1年生だろう。もうすぐ午後練がはじまる。
軽く乗せられていた一休の手のひらが、俺の手を覆うようにぎゅっと掴んだ。
銀杏の絨毯が、がさり、と騒いだ。
「・・・・・・・・」
すこしの沈黙のあと、その熱い体温はすぐに離れ、がさがさと枯れ葉を散らしながら一休は立ち上がった。
立ち上がった一休は座っている俺の正面へまわり、俺の顔をじっと見た。
彼のユニフォームにはまだ黄色い扇がついている。
「今日は、雲水さんっすよね」
真剣なまなざしで一休は言った。
「今日は?」
言っている意味がわからず問い返すと、一休はニカリと笑った。
「なんでもないっす」
そう言って一休は右手を差し出した。
「練習、いきましょう」
俺は一休の手を取った。
「ああ」
一休は座っている俺を引っぱり上げると、手を離し、
グラウンドに集まり始めている部員の所へ走り出した。
その後ろ姿のユニフォームには、銀杏の葉がまだついていた。
俺は自分のユニフォームについた木の葉を手で払うと、部員達のもとへ歩き出した。
右手はとてもあたたかかった。
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