燭光






一休は人気のひいた夕闇の校門にひとり、立っていた。
神龍寺の校舎を一言で言えば「寺」だ。
校門といっても普通の高校のような門ではなく、ちいさくはあるがしっかりと三門の形をとっている。

阿含は、まだ居なかった。
というより、本当に来るのだろうか?
門の中の、校舎である堂のあかりはとっくに全て消えてしまった。
そろそろ寮へ戻らなければ、門限に間に合わない。そんな時刻だ。
一休の手に握られている携帯電話のディスプレイだけが、青く光っている。
もうすこし待って来なければ、寮へ帰ろう。一休がそう思った時、校門近くの堂に淡い灯がともった。
「珍しいな」
一休はぽつりと言った。
その堂は普段は立ち入り禁止であり、特別な時にしかその扉は開かれない。
一休はまだ中を見た事すらなかった。
堂に対してその淡い灯はあまりにちいさく、ひっそりとしている。
一休がぼんやりとその障子越しの灯を眺めていると、手の中の携帯電話が振動した。


(メール1件/金剛阿含/no title/クタイブツドウで待つ)


クタイブツドウとは九体仏堂であり、
一休がいままでぼんやり眺めていた、立ち入り禁止の堂の別称である。
本当の名前がなんであったかは忘れてしまったが、皆「九体仏堂」と呼んでいる。
立ち入り禁止の堂に入り、あの灯をつけたのは阿含だったようだ。
彼ならやりかねないし、可能でもあるだろう。

嫌な予感がする。一休は思った。
阿含がわざわざ鍵の閉まっている堂を開けてまで、自分と何か(話がある)のだ。
今度は殴られるどころじゃないかもしれない。できれば行きたくない、が・・・・
一休は九体仏堂の障子越しに揺れる灯を見つめた。

多分、自分は行くしかないのだ。

一休は、ずっと気になっていたのだ。
阿含が、いや、(弟)が、なぜそこまで(兄)に執着するのか。
確かに自分の雲水への想いは、通常の男子校生の想いからはみ出ている。変態呼ばわりされても仕方がない。
けれども、自分の兄がそんな告白をうけたとて、弟があそこまで激昂するだろうか?
しかも彼の一休に対する怒りは(兄)を思いやっての怒りではない。
(阿含)が(一休)に怒りを感じている。そう、敵視しているといった感じだ。
兄弟を取られる、という怒りや寂しさといった可愛らしい感情ではない。
それとも、そんな子供っぽい可愛らしい怒りも、阿含にかかれば凶悪な形になるのだろうか。
もしくは(二人の秘密)に何か関わる事なのだろうか。
起きたい時に起き、食べたい時に食べる。欲さなくとも、全てを持っている。
世界は彼の思うままなんだと、彼を見ると一休はいつも思う。
その彼が、そこまでこだわる何かを、一休は知りたいとさえ思っていた。
「モノズキ高じて死に至る、か」
一休はすこし笑うと、校門内に敷かれた砂利を踏んだ。









(九体仏堂)と呼ばれるその堂は、細長い造りをしていて、北から南へ一直線に廊下が走っている。
廊下の始まりが入り口で、廊下の終わりが出口だ。
その廊下に九体の仏像がすべて西向きに、廊下に沿って並んでいる。
高さ1メートルくらいの台座に、 仏像は横一列に整列しており、
大きさは皆似たような大きさだが、真ん中のものだけ、2メートルはあるだろうか。
今は、たった一本の蝋燭にしか灯がともっていないため、仏像達は濃い影を造り、詳細はわからない。
廊下の北側の突き当たりに座り込んでいる阿含からは、濃い闇の向こうにある廊下の突き当たりは見えない。
もやのような闇が永遠に続いているのではないかとさえ錯覚する。
その闇ががたん、という音と共に細い縦長の長方形に切り抜かれた。
「阿含・・・さん?」
廊下の向こうから、声が聞こえた。
阿含が何も言わないでいると、細長かった長方形は横にスライドし、人影が現れた。
人影はゆっくりと戸を閉めると、おそるおそる床をきしませながら、廊下を進んで来る。
阿含の側の蝋燭の灯が、その人影をやっと捕らえた。
「座れよ」
廊下の終わりの戸にもたれ掛かる様に座った阿含は、
いつも通りのサングラスの向こうから、少し笑って言った。
一休は、言われたままに、阿含に向かい合うように冷たい廊下に腰を下ろした。

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

沈黙が続いた。

堂の中はこの世とは思えない程の静けさで、蝋燭の炎が揺れる音まで聞こえそうなほどだった。
話って何ですか、一休が重い静けさに耐えきれず、口を開きかけた時。

「雲水から電話があった」

唐突に、阿含が言った。
昨晩、阿含の携帯電話には雲水からの着信があった。
阿含は通話ボタンを押して雲水と話しはしなかったが、聞いていた。
自分にむけて、話す雲水の声を。留守録を再生したのではなく、受話器に耳をあてて、聴いていたのだ。
雲水は録音しているつもりで喋っていたのであろうが、その声はとても真摯だった。
目の前で、雲水があの生真面目な顔をして座り、つっかえながら、話しているような気がするほど、真摯な声だった。

その声で、その顔で、雲水は言った。


「やはり、駄目だ」


今まで、なんとか誤魔化して、回避してきたその言葉を、阿含はついに受け取ってしまった。
雲水のあの声が、言葉が、今また蘇り、阿含はくちびるを噛んだ。
「阿含さん?」
いっこうに続こうとしない言葉を促すように、一休は言った。
一休の言葉を発した時のかすかな吐息で、蝋燭の炎がゆらいだ。
「・・・・・・邪魔なんだよ」
ちいさく、ひくく、そして震えた音で、阿含はつぶやいた。
「え?」
一休は聞き直すように言った。
実際は一休にはちゃんとに聞き取れていた。言葉自体は。
しかしその言葉の持つ意味までは、瞬時に聞き取る事はできなかった。
阿含は、うつむいていた顔を上げると、一休の目を捕らえた。
暗闇に蝋燭一本のあかりしかない事で、一休の目はきらきらと輝いているように見えた。
阿含はその瞳の方へ、ゆっくりと手を伸ばし、けれども素早く腰を上げた。

ダンッ!

ゆっくりと伸びてくる腕に、催眠術にでもかかったかのように一休は一瞬動けなかった。
大きな音で気付いた時には、自分の背中は堂の冷たい廊下にべったりとついていた。
起き上がろうとすると両肩を押さえつけられた。
肩を押さえつけている手の先には腕が伸び、黒い、闇より黒い蜘蛛のような髪が自分の上に垂れている。
そのはるか天上から金色の巨大な仏像の顔が、自分を見下ろしている。その表情は冷たく微笑んでいた。

殺されるかもしれない。

一休の背筋に冷たい汗が噴きだした。
阿含と(話しをする)など有りえなかったという事を、一休は痛感した。
話で解決するという発想がこの男にあるわけがなかったのだ。
この体勢、一休の上に阿含が覆いかぶさり、抜け出せないような体勢で、
もしあの拳を喰らったらおそらく数発で意識がぶっ飛ぶだろう。そうなったら、俺はもう助からない。
一休は肩を固定されて動かない腕の替りに、足を必死にばたつかせた。
「暴れんなよ」
阿含は事も無げにそう言うと、一休の足の間に身体を割込ませた。
それでも尚、一休は身体を捻り、足を振り上げ激しく抵抗を続けた。

ボォ・・

蝋燭の炎が、消えんばかりにゆらいだ。
「ぐ」
一休はみじかくあえいだ。
わき腹に阿含の拳がめり込んだのだ。
喰らったのはわき腹だったため、意識はしっかりとあったが、痛みで動きは封じられた。
するり
一休は妙な違和感を覚え、まぶたを上げると、
自分のわき腹に食い込んでいた阿含の拳が、自分の道着の帯をほどくのが見えた。
帯をほどいた阿含の指が、今度は自分の腰、ズボンにかかった。
一休はぼう然とした。
暴力を振ってくる様子はいっさいない。
ただし、そのズボンにかかった指は下着ごと一休の肌をむきだしにしようとしている。
一休は声も出ず、空いた腕で阿含の手を夢中ではらいのけた。
ばしん、という音が堂内に響いた。

「な、なにっ」

一休は声を搾り出し、阿含の顔を見上げた。

阿含もサングラス越しに一休を見た。

阿含の顔の半分は蝋燭の炎に照らされ、半分は影になって闇に溶け込んでいた。
明るいほうの頬の筋肉がわずかに動く。くちびるが開き、並んだ白い歯が見えた。

「強姦」

暗く、長い廊下に、阿含の喉の奥の笑い声がひびく。
蝋燭の炎に照らされた、一休の白い喉が、ごくりとうごく。

阿含の指が再び動き出す。
一休の道着の中に着込んだTシャツを、胸までまくり上げた。
「!」
一休は自分の腹から胸が冷たい外気に触れたのを感じ、
蝋燭のあかりに照らされている肌を見た。

状況が掴めなかった。
ただ、肌が泡立った。
顎が、震えだした。

「ビビんなよ。あいつにこうされたいんだろ」
上から阿含が言った。一休は焦点の定まらない目で阿含を見上げた。
「あ?もしかして逆?」
阿含はそう言って、サングラスに指をかけた。
「我慢しろよ。取ってやっから」
そう言うとサングラスを外し、床に置いた。
「前に間違えたよな。俺と雲水。
似てんだろ?ゴーカンされるとはいえ、ちょっと燃えね?」

阿含は、笑っていた。

阿含の笑顔は、いつも皮肉と見下しと威嚇の笑顔だ。


今の阿含の笑顔は、心底楽しそうな笑顔だ。





狂気の笑みだ。








「かんちがいすんなよ」




燭光に照らされた側の、阿含の顔が言った。




「俺と雲水は」




影になった側の、阿含の顔が言った。







「和姦だぜ」





一休をみおろす金色の阿弥陀仏は、




燭光の阿含と同じ顔で笑っていた。







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