水は時にうずまき、絡み合い、もつれあう。
けれどもかならず凪はおとずれ、
空の色をくっきりと、うつすだろう。

絡むも凪ぐも、また水。













身体が痛くて目が醒めた。
俺は畳の上に寝ていて、それはもう顔に畳のあとがくっきりつくぐらい固い畳で。
それでもおかしな事に身体の上には掛け布団がかかっていた。
時計は・・・7時ちょい過ぎ。
身体を起こすと、俺が寝ていた畳のすぐそばに三つ折りに畳まれた敷布団が積まれていた。
俺は寝起きが悪いんだ。起きてしばらくは朦朧としてる。それでもわかる。

部屋には俺ひとり。

畳まれた敷布団。

俺にかけられた掛け布団。

7時からの朝練。

あの野郎、間違いなく朝練に行きやがったな。
つい数時間まえまで体温が39度もあったくせに。起きるまで側に居るかと聞いたくせに。
しかも今日はムカつくぐらいの晴れだ。
カーテン越しにそそぐ朝日がクソ眩しい。スズメがちゅんちゅんマヌケに鳴いてやがる。
俺を放っぽっていった雲水は、
いまごろグラウンドで病み上がりの身体でこの朝日を浴び、この音を聞いているんだろう。

「ありえねー・・・・」

どっかで聞いたセリフを、俺はリアルにつぶやいた。






病み上がり、というのか。
身体がふわふわと浮いているような気がする。いつものメニューをこなしても汗をあまりかかない。
自分のしゃべる声をずいぶん大きく感じる。
朝いちばんに部室に来ていた俺を見て、サンゾーが衝撃的な表情をした。
「なんで寝てないのよ!」
あいさつも無しに、サンゾーはヒステリックにそう言った。
「朝起きたら昨日までの身体のだるさがなくてな、もう大丈夫だろう」
俺がそう言うと、そういう問題じゃないわ、とサンゾーはまくしたてたが、
やがてひとつため息をつき、あきれた顔で言った。
「しょうがないコね」
サンゾーは俺の事をよくわかってる。いや、俺にかぎらず人の本質をいうものをすぐに見抜いてしまう。
「ああ、こればかりはしょうがないな」
俺もあきれた。
もしこれが俺じゃなく阿含だったら、俺もサンゾーのように怒るだろう。
けれども俺は朝練に来てしまった。
「阿含ちゃんも苦労するわ」
サンゾーはそう言って着替えにとりかかった。

空は晴れ渡り、空気は澄み渡り、風はつめたくとも陽射しはあたたかい。
雀が平和に鳴いている。流石に本調子はまだ出ないものの、 身体が軽い。気分が良い。
昨夜の汗と熱で毒素が流れ出たという実感がある。
俺の体内の病原体はほとんど死んでいることだろう。
そして、
長いこと居座り続けた俺の意地も、
ほとんど死んでしまった。
あのときの阿含の手の冷たさで。昨夜の冷たいタオルで。すべてきれいに吸い取られてしまった。
見慣れた自分のてのひらを見つめる。
17年前に俺と共に生まれ、俺と共に成長してきたはずの手のひらなのに、初めて見る気がした。

「もう残っているのは、俺ひとつだな」

「だからって、おいていくか?フツー」

はっとして声を振り返ると、俺のすぐ後、グラウンドにすられた木製のベンチの上、阿含がいた。
制服のズボンをはいてはいるものの、道着も着ず、
素足にスニーカーでTシャツにジャージをはおっただけの、阿含がいた。

「オマエさ、俺のキモチとか考えたことあんの?」

阿含はそれでもちゃっかりサングラスをかけていた。

「早いな」

まだ時刻は8時すぎだ。
普段の阿含なら昨晩から起き続けている事はあっても、起床している時間ではない。
見慣れた顔だが、朝日の中で彼を見るのは何年ぶりだろうか。

「無視・す・ん・な」

噛みつくように阿含が言う。機嫌はだいぶ悪そうだ。
サングラス越しでも朝日に顔をしかめているのがわかる。

「ああ、お前の気持ち、か」

グラウンドでは今日も紅白戦が行われている。
基礎トレーニングは多めにみてもらえたものの、紅白戦は流石にサンゾーにベンチに押し込まれた。
練習の様子など目もくれず、阿含は口をへの字に曲げて俺を睨みつけている。

「お前の気持ちか・・考えたこと、無いな。」

俺は紅白試合をながめながら言った。
グラウンドを見ていても、阿含がどんな顔で俺の後頭部を睨みつけているか、はっきりとわかる。

「俺は、俺の気持ちしか考えられないんだ」

阿含を振り返る。阿含はかろうじてベンチに座り、手で膝頭を握りしめ、眉間に皴を寄せている。
あのカオなら、そろそろアレがくるぞ。

「チッ」

ほら来た。舌打ち。
予想通りの行動に俺は思わず頬がゆるむ。

「俺は」

駄目だ。
こらえても、どうしても肩が震えてしまう。笑いで声が震えてしまう。
いますぐぶちまけてしまいたい、この爽快な笑いは何だ?
俺はまた阿含に背を向けグラウンドを見た。

「お前の気持ちなんか考えないが、俺は」

つきぬけた青空に歓声があがる。また白のタッチダウンだ。ゴクウはすこしスタミナ不足だな。
すべるように、吸った息を吐くように、自然な動きで俺の舌は作動した。


「俺は、お前をあいしてるよ、阿含」


ピィィィィィィィーーーーーーー!


審判役のサゴジョーの笛が響き渡る。
ヤケになったゴクウがボールを蹴飛ばす。白のメンバーがすがすがしく手を打ちあっている。
このぶんだと放課後は赤が荒れそうだな。
整理運動を始める掛け声が響く。グラウンドでサンゾーが手招きしている。
メンバー達が小突きあったり、笑いあったり、俺もその仲間に加わるべく一歩踏みだす。
それにしても、今日は良い天気だ。
俺の方を見ていた何人かが、あっ、と言って指を差しかけた瞬間。

ドッ

俺は不覚にも、病み上がりの体力というものを、
後のベンチに座っていた阿含という存在を、忘れていた。

ドサァッ

とっさに両腕を地面についたはいいが、そのまま崩れ、
俺は前のめりにグラウンドに倒れ込んでいた。口に砂が入った。
整理体操を始めようと集まっていたメンバーから、どっと笑いが起きた。

「・・・・・・っ!阿含!!」

背中に重くのしかかる、阿含を怒鳴りつけた。
いつもなら上半身くらいは起こせるが、今日は腕に力が入らない。
起き上がるには阿含をどかすしかないようだ。

「・・・・・・・・・・・」

阿含は何も言わない。俺の首に両腕をまきつけ、俺の背中にのっかって、
俺をいまだにグラウウンドから離そうとはしない。

「・・・・阿含?」

無理に首を曲げて背中の阿含を振り返ると、阿含は俺の背に顔をうずめ、ぴくりとも動かない。
彼のモップのような髪が顔を被いかくし、表情が見えない。

「おい、降り・・・」

そこまで言って、俺は背中がじわりとあたたかい事に気付いた。
あたたかいと思ったのは一瞬で、すぐにその部分は冷たくなった。
また、あたたかい。もう、冷たくなった。

「阿含、お前」

手を伸ばして阿含のゴワゴワした髪を掴んで顔を上げさせようとするが、
阿含は背中にしがみついて意地でも顔を上げない、といった感じだ。
整理体操中のメンバーも、何か様子がおかしいとこちらを窺っている。

「くっ」

俺は思わず吹きだした。
我が弟ながら、阿含は実に悪名高い。その阿含が。

「ははっ」

阿含を引き剥がすのは諦めて、俺はそのままグラウンドにつっぷし、笑った。
多分メンバーは訝しげな顔で、こっちを見ている事だろう。
熱で頭がおかしくなんたんじゃないかとゴクウあたりに言われているにちがいない。

「あごん、あはは、お前っ」

俺はグラウンドにうつ伏せたまま、阿含を背中にのせたまま、両腕でまくらをつくり、頬を預けた。
腹も、口の中も、腕も、額も砂だらけだ。

「・・・・っせぇ」

蚊の鳴くような声で阿含が言った。
もう、決定だ。
そのかすれた声。17にもなって。

「お前・・・泣いてるんだろう」

ガバアッ

まさにそんな動きで阿含は俺の背中から起き上がった。
そして顔を確認する間もなくきびすを返し、走り出した。
久々に見たな。阿含の全力ダッシュだ。

「くっくっ」

俺は笑いを噛み殺しながら身体を起こした。背中にしみこんだ阿含の涙がつめたい。
グラウンドに座ったまま、身体についた砂を払い、阿含を見た。
阿含はあのまま走ってどこへ行くつもりなんだろうか。

「雲水!」

阿含は立ち止まり、こっちを見ていた。
この距離ではもう表情を確認する事ができないが。
けれどもその立ち姿から、阿含が何か言いたげな事はわかる。
俺が阿含の方を見ている事は阿含もわかっているだろう。俺は黙って待った。
すう、阿含が大きく息を吸い込んだのがわかる。






「バァカ!!」






どこまでも続くような薄水色の壮大な空をバックにした阿含は、
ものすごく滑稽で、おかしかった。
俺は、阿含のように大声を出す気にもなれないので、座ったまま、片手を上げて答えた。
阿含はそれを確認したのか、またガムシャラに走り出した。

だから阿含、それでお前は何処へ行くつもりなんだ。



ああ。



本当に今日は良い天気だ。






end.




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オマケ「セロテープ」

補足「巴雑記」